2009年12月31日

もうすぐです!


もうすぐ、あと、あと1時間足らずで年があけます。

ウラン、やったね。

今の私たちにとって、この瞬間を迎えられることは奇跡に近いこと。

この奇跡が起こることに、ウランと私たち家族を支えて下さったすべての皆様に心から感謝します。

家族4人揃ってお正月を迎えることができて、本当にうれしい。

そして、何より、ウラン、あなたの頑張りに、

「ありがとう!」

パパとも、今まで支えあってきたこと、今パパとママがケンカなんてしたらウランが心配しちゃうこと、
きちんと話し合い、理解しあい、今まで以上に仲良しの家族を目指そうね、と新年に向けて誓ったよ。

先ほどまではばぁば、おじちゃん、おばちゃん、いとこちゃんたちと初めての年越しをしました。

にぎやかな雰囲気に包まれて、とても楽しんだ様子のウランです。

お正月って、こんな感じだよ、ウラン。

経験出来てよかった。

そして、4ヶ月バースデー、おめでとう。

パパとケンカ

今年最後の今日、嫌な寒さです。

寒さは心臓にとっては大敵。
去年のように暖冬だったら良かったのに。

ウランは昨日から、寒さのせいもあってまた調子が悪く、ついにお守りのようなトリクロ(導眠剤)が効かなくなってきました。

昨晩主治医の先生に電話で相談し、「セルシン」というもう少し作用の強いお薬に変えてもらうことになり、今朝パパが病院に取りに行っています。

さて、そのパパですが明け方ケンカしてしまいました。

昨晩、私が悪寒や頭痛があり、「インフルエンザ?!」と焦って熱を測ったところ体温が35.4度!
インフルエンザでは無さそうなのでホッとした反面、体温が低くてもやっぱりしんどいので、ウランの添い寝(ベッドの横にソファを置いて寝ています)をパパに代わってもらうことにしました。
パパもまかせて!と請け負ってくれました。

ところが!!
誤って、いつも1時間から1時間30分かけて、注入筒で流すミルクを30分で終わらせてしまっていたのです!


今のウランは、酸素量が減りからだの中で使える血流が激減しています。

例えば、消化活動のために腸に血流を取られると、それだけで酸欠になり呼吸困難になります。

なので、30〰35CCのミルクを、1滴1滴注入筒でお鼻の管に流してあげて、ゆっくり消化できるようにしています。それで普段はミルクの注入時間が1時間から1時間30分かかるのです。


それを30分で、ということは、ウランが窒息どころか呼吸自体が出来なくなるリスクがあるため大変危険なのです。

案の定、消化のタイミングでウランはひどく苦しくなり、一時、呼吸が出来なくなりました。
鼻の酸素チューブから流す酸素に加え、お口に多めの酸素をあてて、なんとか落ち着きました。

もちろんパパは悪気があったわけではなくて、「ねぼけてた」ようなのですが、昨日からウランの調子が悪化しているときなだけに、ひどくパパに怒ってしまいました。

加えて、
こんなときに体調が悪くなる自分に最も腹が立ちます。

体温低いのは病気ってわけではないでしょうから、気合が足らないんだろうかと。。

なんだか暗い年越しになってしまいました。

ごめんね、アトム君、ウランちゃん。

来年は良い年になりますように。

そして穏やかな一年でありますように。

2009年12月29日

熱は下がったけれど・・・

アトム君 今朝36.7度まで熱が下がり、耳下のリンパの腫れと痛み(インフルエンザによる影響)も冷やピタ効果で良くなってきました。ホッ。

タミフルは残り5日分飲みきることと、熱が下がってから7日間は他の方に伝染してしまうリスクがあるので、外出や家族以外との接触を避けなくてはいけません。


ということは、、年末年始親戚へのご挨拶はもちろん、お買い物、公園だっていけません。

しかも家の中では、ウランちゃんへの感染防止のため、一室に隔離してベッドの上で食事・睡眠・遊びをさせています。ちょっと可哀想だけど、、已むを得ません。

アトム君 大丈夫でしょうか。乗り切れるかな。

本読みやDVDはこの2日間で飽きられてしまいました。
カルタも、「もういやっ」と言われてしまいました。。

体が元気になってきてるので、お部屋から出られなかったり、何より大好きなお外に出られないとなると、、
うーん、アトム君の気分を紛らわす知恵が必要です。

2歳児の男の子、家の中で退屈せずに過ごせる方法、何があるかなぁ、、悩む。。

でも兎に角大事に至らなくて何よりでした。ホッ。

2009年12月28日

新型インフルエンザ

26日の夜アトム君が急に38.6度の発熱!

新型・季節性インフルエンザどちらも予防接種は済んでいますが、もしかして?!と思ったら
やはり新型インフルエンザでした。。

色々気をつけてはいたのですが、保育園で流行っていたこともありますし、予防接種のおかげで38度台の熱で済んでいるようです。

いつもはパパと寝ていたアトム君、珍しくママとの添い寝がいいー、と駄々をこねました。

アトム君と寝るのはウランが生まれて以来なので約4ヶ月ぶりです。

タミフルと頓服の鎮静剤カロナールで熱は37度台に落ち着いてきましたが、今度は右側の耳下と首の辺り
(リンパ)が腫れ、痛くて眠れないほどです。再度今日病院に行って見ます。


同時に、ウランちゃんに伝染ったらどうしよう、もちろんパパもママも伝染るわけにはいきません。

空気清浄機、プラズマクラスタ、加湿器、ファブリーズフル稼働で、もちろんアトムといるときはマスクで
何とか乗り切ります!

2009年12月25日

クリスマス

もうすぐ25日が終わろうとしています。

11月下旬にウランの病状が急激に悪くなり、入院した際、主治医の先生に

「一度くらいクリスマスやお正月、体験してみようよ」

といわれました。

その時から、毎日カレンダーの日付が変わるたびに、25日が来るのが怖くて仕方がありませんでした。



でも、その25日がもうすぐ終わります。

ウランは本当にがんばり屋さん。

強い子です。


つい欲が出て、初めての桜だって見れちゃうんじゃないかと思いたくもなりますが、

まずは、家族4人、

一緒に初夢を見ることを信じて、

また1日1日大切に過ごしていきます。

2009年12月24日

しあわせ


このところウランは格段とお話が上手になりました。

なんご(喃語)を延々と話し続けるので、疲れないかなぁと心配になるくらい。


普通機嫌が悪いと赤ちゃんはお話しないというから、調子が良いということなのかな、良かった良かった。

毎日家事は最低限にとどめて、時間があればウランを抱っこしています。


お手手に指を添えると、ぎゅーって 握ってくれます。

これが本当にあったかくて気持ち良いのです(^_^)。

抱っこしても、指を握っても、あったかい。


それだけのことですが、

毎日その時間が、とてもしあわせです。





12月12日のブログに書いた渡航移植のための募金活動について、

ゆうりちゃんは、目標額達成で渡航が決まったそうです。本当に良かったです!!

もちろん今後も、海外への移動による体への負荷や、ドナーとめぐり合うための時間、移植後の状態回復など色々とステップがあるのかもしれないですが、とにかく受け入れ先の病院が決まって、渡航が確定できたこと、本当に良かった!!
ttp://saveyuuri.web.fc2.com/


美香子ちゃんはもう少しとのことで、早く集まって渡航スケジュールが決まりますように、微力ながら応援しつづけていきたいと思います。

ttp://mikako-bokin.com/

2009年12月22日

冬至


さて、今日は冬至なので、かぼちゃを食べてゆず湯に入りました。

「無病息災」

の願いを込めて。

ウランは11月27日に入院して以来沐浴は禁止でしたので、ほぼ1ヶ月ぶりの沐浴となりました。
(もちろん毎日体拭きや洗髪はベッドでしてましたよ!!きちゃない赤ちゃんでは無いです(^_^))

夜のお薬が終わった後だったので、少しまどろみ加減だったことも功を奏し、あまり泣かずに入ることができました。最後にアトム君にお湯をかけられてちょっとだけ怒り泣きしましたが。。。

主治医の先生には事後報告の予定です。
注意されちゃうかなぁ、でも、まあ親の判断で今日は「良い」ということにしちゃいました。

大人だってシャワーだけじゃなくお風呂に入ると気持ち良い季節です。
ウランだって、たまにはお湯につかりたいんじゃないかと。



ところで、今日9歳になる、大好きな姪っこちゃんが夕方お手紙を持ってきてくれました。

姪っこちゃんとは、私が結婚するまでは寝食を共にして親子のように過ごした時期もあるので
今でも大の仲良しです。

すっかり忘れていましたが、今日は私、誕生日だったのでした。

「ウランママ、ウランちゃんもアトム君もいて、大変そう。

だけど、とても幸せな家族に見えるよ。

ウランちゃんも心ぞうが悪いけれど、きっとよくなるよ。

きっと神様にウランママの願いが伝わるよ。

ウランちゃん 元気になったら、私大喜びして、ぜったいにいっしょに遊びたいです。」

そう書いてありました。

読みながら、心がほわーっと温かくなると同時に涙が出ちゃいました。

姪っこちゃん、有難う。なんだかとても癒されました。
これからも仲良しでいようね。


写真は、お役目を終えて「しわしわになったゆず×2」です。。。

kalooのおもちゃ


ウランのお気に入りにkalooのおもちゃがあります。
1つはベッドメリー、もう1つはベッドミラー。

どちらもアトム君が生まれたときに友人から贈られたものですが、ウランが引き継いで使っています。

ベッドメリーは手巻きのオルゴールになっているのですが、音楽が鳴り終わると、「また音楽鳴らして!」と訴えるような目でこちらを凝視します(^_^)。

先日まで写真の位置につけていたのですが、あまりにも一日の中でメリーを見ている時間が長く、首が痛くなりそうだったので、今朝は自然にお顔の上にくるようにつけかえてみました。

ウランのクリスマスプレゼントにkalooのものを何かひとつ、と思ったのですが、今からWebで頼むと到着まで10日前後かかるとのことで、年が明けちゃいますので今年はあきらめて別なものに。

今日は昨日に比べて暖か。ウランも体調がよさそうです。

このまま体調がよさそうなら、冬至なのでゆず湯の沐浴にチャレンジしてみようかな。

2009年12月18日

ブログについて



ブログを始めたきっかけは、

アトムとウランが少し大きくなったら、
昔話として、
「ウランは生まれたときはお胸がちょっと病気でね、
治るまでの間、アトム君もウランちゃんもパパも、
家族みんなで力を合わせて頑張ったんだよ、偉かったんだよ」
と話してあげたい、そのための備忘録にしようと思ったからでした。

だって、ウランは最初の退院の際には、
「いずれウランが出産を考えたときに、心臓に負担の少ない出産方法を検討する必要はあるかもしれないね」と主治医の先生がおっしゃるなど、今は大変でも将来のウランをあれこれ想像して楽しめるくらいの病状でしたから。

心臓は何度かの手術を終えれば、激しい運動を除けば就学なども問題なし、
脾臓が無いこと=易感染は、諸々の予防接種をすべて受けること、そして年齢とともに体力・細菌への抵抗力をつけることで完治はしませんが生活にほとんど支障が無くなると聞いていました。


あ、話がそれてしまった。

そうそう、ブログの目的ですが、

最近は、今、日々起きていることを、何年たっても鮮明に覚えていたいという思いでつづっています。

大切な思い出でも、記憶というものはどうしても劣化してしまいます。

これから先、ずっとずっと、ウランと過ごしている「今」を昨日のことのように、思い出せるようにしていたい。

たとえそれがどんなにつらい内容であっても、「無」よりは全然いいんです。

そんな思いで今はブログを書いています。


先日 友人に、なぜブログを書いているの?と聞かれたので、ちょっと思いをまとめてみました。

プラス最近思うことは、甘酸っぱい可愛い匂いや、ほっぺやちいさな手を触った感触も取っておけたらいいのに、ということ。

写真は今日のウラン。

眠っていると、昨日の状況が現実ではないように思えるほど、穏やか。

2009年12月17日

初めての救急車

今朝5時過ぎから、ウランがいつになくぐずり出し、いくつかのなだめるパターンをやってみたのだけど、全然効果なし。
そうこうしているうちに、ぐずりだしてから30分近く経過し、鎮静効果のあるトリクロ シロップを投入しましたが、それでも収まらず、顔が真っ白になり呼吸が出来なくなって窒息のような状態になってしまいました。。


パパが急いでかかりつけの心臓の専門病院に電話し、すぐに救急車で来るように、とのことで急いで119番しました。動揺しながら、私は、なんとか状況と住所、希望する病院を伝え、ウラン片手に携帯用酸素や身支度をし、パパはアトム君を起こして同じマンション内の妹宅にお願いしに行きました。

救急車が到着するまでの10分、そして病院へ到着するまでの25分、本当に長く感じられました。


病院ではウランの主治医の先生の一人(3人がチームで診てくださっています)がいらして、点滴で鎮静剤をいれるか、普段の倍のトリクロを経口でいれるか希望を聞かれました。

点滴=入院ということ。


私の目から見て

本当につらいけれど

今週に入って

寒さのせいもあるのでしょうか、

ウランの体調はとてもつらそうにみえます。


事実、病院でレントゲンをとったところ、心臓は肥大し、肺は一部破けている状態でした。


最後まで希望や奇跡は持ち続けていこうと思っています。
でも、その一方で、覚悟をしなければいけないのであれば、タイムリミットが近づいているのであれば

「お家でゆっくり、温かい、笑顔に包まれた雰囲気で過ごしてあげたい」

そう思いました。

結局、点滴はせず、いつもの倍の薬量を経口で入れてもらい、なんとか落ち着かせて、今後同様の状況が起きたら、私の判断で倍量の薬投与の許可を頂き帰宅しました。

救急車を待っている間、本当に怖かったです。

毎日、覚悟を決めよう、しっかりしなくちゃ、と言い聞かせているのに
とっさの時には全然駄目でした。

最後まで、「ママといると安心(^_^)」ってウランが思えるように、動揺しないように、
どっしり構えていなくちゃ。

2009年12月14日

お兄ちゃん


このところ寝不足が続いたせいもあって、今朝些細なことで必要以上にアトム君を叱ってしまいました。

アトム君は床に伏して大声で泣いた後、パパと保育園に行ったのですが、
だんだん申し訳なさが増してきました。帰宅したらきちんと謝ろうと思います。

このごろアトム君はとてもおりこうさんで、夜寝る前の本読みも、字は読めないながら一人でページをめくったりしています。

ウランちゃんが泣いてると、ベッドにかけよって
「ウランちゃん、大丈夫だよ、アトム君ついてるからね」
とウランの心臓のあたりをさすったりお手手を握ったりしてくれます。

もうすぐ2歳6ヶ月になるアトム君、一生懸命おにいちゃんになろうと頑張ってくれている様子です。


「心臓病の子どもを守る会」の方々から以前アドバイスを頂いたのですが、病児の兄弟・姉妹の精神面でのケアは病児以上に、非常に重要なことだそうです。
病児本人は体はつらいですが、常に母親と一緒にいられて、親の愛情を常に感じることができるので、
精神面では充足していることが多いそうです。

一方で、その兄弟・姉妹は入院付添などによる母親の長期不在や、家にいても優先順位が下がることで、親が自分にフォーカスしていないような不安・寂しさを敏感に感じるそうです。

常日ごろ、ウランには「大好き 大好き」と抱きしめながら連発している私ですが
今日からはアトム君にも同様に声に出して態度で示そうと思います。
たぶん大げさなぐらいで丁度いいかも。。
お風呂もウランが生まれてからずーっと一緒に入っていないので今晩は一緒に入ろうと思います。

クリスマスプレゼントに下記の2つの本をアトム君に用意しました。

「いもうとのにゅういん」(作: 筒井 頼子/福音館書店)
「かみさまからのおくりもの」(作 ひぐちみちこ/こぐま社)

こぐま社の絵本は「しろくまちゃんのほっとけーき」など大人でも見ていて和む絵本ばかりで大好きです。
アトム君へのプレゼントですが、私も届くのが楽しみです。

アトム君 大好きだよ。

2009年12月13日

体拭き


最近のウランは、体力を出来るだけ温存する生活なので沐浴は出来なくなりました。
なので、ベッドの上で体拭き(清拭)をしています。

頭とかお尻は、平おむつ(大人用紙おむつ)を敷いて、シャンプー後お湯で流します。
体は蒸しタオルで拭きます。
お湯で流してあげると「うっとり」した表情で、気持ちよさそうです。
お風呂が大好きだったので、いつかまたお風呂に入ることができれば、と思います。

終わった後はほどよい疲労と心地よさで、ご機嫌になり、鏡のおもちゃに自分の顔や手を映して遊んでいます。

雨の日や極端に気温が下がった日は冷えるといけないので軽く拭くだけでお湯で流すことはしないので、晴れて心地よいお天気が続きますように。

2009年12月12日

未来へつなごう!!小さな命たち

現在、渡航移植のための募金を募っているゆうりちゃん、美香子ちゃん、
ほんとに恥ずかしいぐらいの金額ですが募金をさせていただきました。
(リンクを張らせて頂いている奈美江さんのブログ「そうちゃん日記」http://ameblo.jp/sounami/で募金活動を知りました)

日本は本当に移植後進国です。
これまでの臓器移植法案では、臓器提供の意思表示をできるのは15歳以上として、15歳以下のこどもは国内では移植できないため、必要な場合は渡米しなければなりませんでした。
15歳以下も国内で移植可能となる改正案が出来ましたが、施行は来年2010年の7月から、となり、現時点では渡航移植しか道がありません。

渡航移植は、手術費だけで1億近いお金がかかり(すべて保険外、自費になるので)、
ただでさえ重篤な状態な上に渡航で体への負担がかかり、
また費用が確保できて現地入りをしてもドナーとめぐり合えるまでの待ち時間がかかります。
実際ドナーをまっている間に旅立ってしまうケースも多々あると聞きます。

改正案施行後、移植に関する現状や理解が国内で深まり、渡航しなくても国内で移植が可能となるケースが少しでも増えていけるように、小さな命がひとつでも未来へ繋がっていけるように、出来ることから始めていこうと思います。

ゆうりちゃんは、原因も不明で有効な治療法はなく、発症すると7割は5年以内に亡くなる、とも言われる拘束型心筋症。
大人も子供も、私ももちろん誰でも発症する可能性はあります。アメリカの病院で移植を受け付けてくれた
とのこと、手術の成功本当に心からお祈りします。

美香子ちゃんはヒルシュスプルング病だそうです。余命6ヶ月と宣告されたのですが1歳の誕生日を迎えて頑張っているそうです。その力強い生命力と軌跡、ウランも続きたいと思います。
頑張れ!!美香子ちゃん。

今日からは笑顔で

まだまだ1日の中で沈んでしまったり涙が出ることもありますが、
それでも今日からは基本 笑顔で暮らすことにしました!

家族揃って温かい気持ちでウランを送り出せますように。

泣いても何も変わらないのですから、現実を受け入れて、今出来る最善の過ごし方を考えていこうと。
ウランも笑ってくれていますし。

誰にでも命の限りはありますもの。
それが少し早いということ、そして親よりもちょっと先に、ということ。

よし、がんばるぞ!

2009年12月10日

サードオピニオンを伺って

パパが岡山大学のS先生にサードオピニオンを伺ってきました。

S先生は、先日情熱大陸にも出演された「小児心臓外科のゴッドハンド」と言われる方で、難しい、前例の無いような手術にもチャレンジされることで有名です。

そのS先生であっても、主治医の先生、静岡こどものセカンドオピニオンと同様、「ナチュラルコース」が最善の選択であるとのこと。
※ナチュラルコースとは、医学用語で「積極的延命治療を行わない」という意味だそうです。

ただ1点、これまで他で伺ってきたことと異なる点は、
・総肺静脈還流異常(肺静脈の狭窄)の場合、出来るだけ月齢3ヶ月までは外科的手術をせず、血流を抑えて肺うっ血の進度を遅らせるなど内科的治療を行い、血管を育てた上で手術を行う。
・生後すぐに手術をすると、術後血管の再狭窄や閉塞を起こす確立がとても高くなる
とのことでした。

岡山大学では、ウランのような症例の場合、とにかく生後3ヶ月まで手術をしないで血管を育てるように努めているそうです。もちろん、期間的猶予の無い重症のケースを除いて、とのこと。


ウランは、生後3日目に心臓を止めて、人工心肺を用いた総肺静脈還流異常(肺静脈の狭窄)の修復手術をしました。その経過からも察するに、血管をある程度育ててからの手術、という猶予は無かったのだと思います。

そしてまた、生後1日目に病気が判明し、2日目に手術の同意説明書を目の前にして、私たち夫婦に「その時点では手術をしない。他の医療機関の意見も聞いてみる」という気持ちの余裕も選択肢もありませんでした。

いずれにせよ、その時点で、関東エリアでは最高峰と言われる病院に受け入れていただき、先生方がウランのために最善を尽くして下さったことに感謝しています。

出産前のエコーで病気が分かるケースもあって、その場合、事前に病気について学び、どの医療機関で治療を受けるか、どういう治療方針で行くか等検討する時間があったかもしれません。


でも、ウランはおそらく、自分の体と運命を受け入れて生まれる覚悟をしてきたんだと、私は感じます。
だから、出産前のエコーでも、ずっと問題のある部分を隠していたのでは、と思います。

経産婦だし、胎盤の位置も下のほうなので予定日より結構早いでしょう、と検診のたびに産婦人科で言われていたのに、予定日当日に生まれてきたウランは、
1日でも長くママのお腹の中でママと一緒にいてくれようとしてくれたのだと、
お腹の中で、少しでも体重を増やして、生まれてすぐの手術に耐えられるように、
と小さいながらも考えてくれていたのだと思います。

こんな娘を持って、本当に私は幸せです。

ウラン、大好き。

私は弱虫

昨晩2時ごろ急にウランが大声で泣き始めた後、顔が今までに無く真っ黒なチアノーゼになり、過呼吸のようになってしまいました。
ガスがでなくて苦しいのかなと思い麺棒刺激をしてあげたり、夜泣きかと思って抱っこしてあやしたりしても30分以上もチアノーゼ&過呼吸が続きました。
慌てながらトリクロシロップをシリンジに移して管から注入したところ、まもなくチアノーゼが治り泣き止みました。
が、ウランはお風呂に入ったかのように頭も体も汗びっしょりで、肩で息をしていました。

どの段階までを自宅でケアすればいいのか
どの段階で救急車を呼べばいいのか
とっさのときに動揺して判断できそうにない、と自己嫌悪に陥るともに、判断を誤ったらどうしよう、と思うと震えがとまりませんでした。

親なのに、こんなに弱虫でどうしようと思いますが、でも、また同じような状態になったらコワくてたまりません。
そしてまた、こんなに苦しそうな状態になることがわかっているのに、見ているだけで治療も何も出来ないなんて。無力です。

2009年12月8日

退院


自宅に戻ってきました。

子供用の介護ベッドをレンタルし、リビングの真ん中においたところテレビが大変みづらくなってしまいアトム君はちょっと不満げです。。でも、この場所なら常にウランがみんなと一緒にいられるし、ベッドの横にソファを置いたので私も強引な体勢ですが添い寝も出来るので。

やっぱりお家のほうが調子がよさそうに思います。


寝ぐずりやうんちが力めないなどでチアノーゼが一時的にひどくなってしまうのは、病院にいても同じこと。
ゆっくりと肺うっ血が悪化していっても、何も治療・処置をしない(できない)のも、自宅でも病院にいても同じこと。

あまりに泣きすぎて酸欠になりそうだったり、呼吸数がひどく増えそうなら、入院中院内でも処方されていたお守りのようなトリクロシロップ(導眠剤)があるので、日常生活において在宅ケアの心配事はほとんどありません。

「四六時中」という言葉が大げさではなく、家族だけの空間で1分1秒一緒に過ごせることが幸せでなりません。
周りに気を使わずに歌を歌ったり話しかけたりも自由に出来るし。
毎日、数秒でも外に出て、その日のお天気を肌で感じさせて上げられるし。

やっぱり帰ってきて良かったんだ。

病児のために・・明日への一歩

先日、ヘモグロビンの値を少しでもあげるために輸血を行ったため、BCGが期間内(生後6ヶ月)に接種できなくなることを書きました。
そしてまた、そのような医学的理由でBCG等公費の予防接種を受けられなかったケースには自治体ごとに救済制度があり、一定期間の猶予を得られる(BCGの場合生後1歳までに延長)と主治医の先生から伺ったことも書きました。

住んでいる区の保健福祉センタに、上述の内容で4ヶ月先(生後7ヶ月)にならないと接種できないので救済制度の適用を申請したい旨相談した結果・・・・

「市の救済制度は、地震等災害によって接種できない場合のみです。治療など医学的理由では適用できません」

・・・・・・・?!

サボったり忘れたりして受けないわけではないんですよ、治療でやむを得ず、ですよ?

と言いましたが現行では適用できません、の一点張り。

ちなみに船橋市等他の自治体では具体的要件を記載した上で医学的理由で接種できないケースを救済してくれています。(http://www.city.funabashi.chiba.jp/kenkozoshin/chusha/6-12bcg.htm)

このまま引き下がるわけには行かないので以下のやり取りをしました。

1)非常にこどもの多い市なので、今後も同じようなケースは出てくる可能性はあるのでは。
この機会に医学的理由に対する適用を検討開始して欲しい。
娘が接種できるようになるまでには少なくとも4ヶ月あるので、来年4月までに検討時間は十分あるはず。
→上司と相談します、進捗は年内に一度連絡します、とのこと。

2)他の自治体では医学的理由は救済適用となっている。なぜこの市は適用となっていないのか理由が知りたい。→前例が無いため、とのこと。
>市長さんにも是非フィードバックしたい旨伝えたところ、市のホームページに「市長への手紙」というコーナーがあるのでそこからメールして下さい、とのこと。

主治医の先生によれば、ウランは2010年を迎えるのも難しい状況だそうなので、今更予防接種しなくても、と思われるかもしれない。でも、今ウランは毎日必死に生きていて、この生きている日々の中で、世界中のどこかで新たな治療法や手術方法、移植事例が見つかることだってあるはず。だから、明日に繋がることは何だってやっておこうと思う。


こうして予防接種1つとっても、病児とその家族には本当に努力が必要な世の中だと思う。
健常なケースを前例にすべての制度が整備されているのは当然のことだと思うけれど、1つひとつあきらめずに道を切り開いていくことが、ウランだけでなく、世の中の病児の幸せに繋がっていってくれることを信じて
ママは頑張ります。
(保健所からはうるさい母親と思われているに違いないが(^^ゞ)

サードオピニオン

明日は岡山大学S先生にサードオピニオンをうかがう日。
一縷の望みをかけて、パパを送り出す。

伺うまでは落ち着かないのだが、それでもいくつか行動を起こした。

1)遺伝カウンセリングキャンセル

9月末の最初の退院後、ウランの体調もすごく良かったので、某医療センタの遺伝カウンセリングを予約していた。なかなか予約が取れず、10月に電話して12月に予約が取れていた。

遺伝カウンセリング外来は、病院のホームページから引用・抜粋すると
「ご家族の中に病気の方がいらしてそれが遺伝性ではないかとご心配な方」
「また、流早産を繰り返したり、前回の妊娠・出産時に問題があった方」向けとのことで、無脾や先天性心疾患の原因は今の医学では解明されていないけれど、原因に繋がる何かがわかれば、と思い予約したのだった。

予約した時点とウランの体調が大きく変わったので、取り合えず体調が安定したらまた予約したい旨先方に伝えた。

2)育児休職延長
出産前は、来年4月1日の復職で申請・承認されていたのだが、そうなると年明け1月には復職前に上司と面談など、復帰に向けての準備に入らなければならない。今はそういう状況ではないので、取り合えず会社の規定で定められている育児休職期間を満期である「こどもが1歳6ヶ月になるまで」延長申請することにした。

上司には、ちょっと娘が病院に通っているので、早く回復できそうであれば、復職時期を前倒す等改めてご相談させていただく旨お伝えし承認して頂いた。

3)3ヶ月検診・BCGキャンセル
保健福祉センタで実施される3ヶ月検診は集団検診ということもあり諸々の感染のリスクを避けるため、3ヶ月検診は受診しないことに決めた。成長・発達は心臓の主治医の先生に見ていただいているのでそれで今は十分。

BCGについては、また今回輸血してしまったので、次に生ワクチンの予防接種ができるようになるには4ヶ月先になるので一旦キャンセルした。
BCGは基本生後6ヶ月までに接種が必要だが、6ヶ月救済制度というのがあり、医学的な治療などが理由で接種できなかった場合、1歳まで公費で接種できる期間を延長するというもの。
私の住んでいる自治体でこの制度を導入しているかどうかは確認が必要なため、保健福祉センタに確認、担当者の方が調べて折り返してくださるとのこと。

これらに没頭することで、少し気がまぎれた。そうでもしないと、何も手につかずサードオピニオンの内容ばかり考えてしまうので。

2009年12月4日

セカンドオピニオンを伺って

先週末、パパが静岡こども病院の心臓外科S先生・循環器O先生よりセカンドオピニオンを伺ってきました。

結論から言うと、今の病院で言われている内容とほぼ変わらず、

◆現在の状態を回復(1本残っている狭窄しかけている肺静脈を広げる)するには、生命のリスクを伴い、且つ長期の展望が見込めないこと
◆肺静脈が残り1本となってしまった今、画期的な対処はないこと
◆移植について、今の月齢での心肺同時移植は、日本では実績ゼロ、海外でも非常に少なくドナーとのマッチングの問題(心臓のスペースなど)もあり現実困難であること

とのことでした。

主治医の先生にはお母さんの泣き顔の印象をウランに残すのではなく、笑顔で見送ってあげないと、と言われましたが、そこまでに気持ちの整理をつけるにはもう少し時間がかかりそうです。

リンクにも張らせていただいているなみさんのブログ(そうちゃん日記http://ameblo.jp/sounami/)
に心打たれるこんな文章がありました。

親の死 あなたの過去を失うこと
配偶者の死 あなたの現在を失うこと
子どもの死 あなたの未来を失うこと
友人の死 あなたの人生の一部を失うこと
【E.グロールマンの「悲しみの諸相」より】


ウランを失うことは私の未来を失うこと、本当にその通りだと思います。
今はまだ怖くて仕方がありません。そして何度でも、これが現実でなければ、と思ってしまいます。

でも、打ちひしがれたり嘆き哀しんだりしている時間すら、もったいないのかもしれない。
1分1秒、大切に、楽しいことや笑顔の家族の記憶をウランに残してあげなければ。

移植・・・再考

昨日は移植のチャレンジについて色々と考えていたが、なんと言っても移植は他の方の命の上に成り立つ治療法、その重さを十二分に理解しなければならない。

ウランにもしものことがあったとき、同じように病気に苦しみ移植を望むご家族がいた場合、ドナーになれるかどうか、という観点で今一度自分に問いかけてみようと思う。それが出来ないのであれば、移植を希望する立場には立てないと思う。

ところで、今日は再度輸血の日。
ヘモグロビンの値は正常値範囲内(16g/dl)だが、少しでも値を上げておくことで、酸素の値が良くなる可能性があるとのことで。ただし、逆にあまり多くなりすぎても血液の粘性が高くなって血管が詰まるリスクもあるのでバランスが大事。
今鼻から入れいている酸素流量は2㍑/分、今まで0.5㍑だったことを考えると格段に悪くなっているということだろうか。2㍑酸素をしてSPO2は68-70程度。

静岡の結果が待ち遠しい。

2009年12月3日

移植という選択肢

明日はいよいよ静岡のセカンドオピニオンを伺う日。緊張して眠れない。

ウランの病気を初めて知った日から、主治医の先生の口から何度か「海外なら十分移植の対象」という言葉を聞いていた。気になっていたので、先ほど移植を現実的に考えることが出来るかどうか、聞いてみた。

やるとしたら心肺同時移植、ということになるが、0歳児のドナーはほとんどいない上に、5%ルールで更に条件は厳しくなる、とのこと。

5%ルールというのは、移植について外国人枠が決まっているというもの。
「海外の病院の移植手術症例数の5%の外国人患者しか受け入れられない。そこの病院がある年100例の心臓移植手術を行ったとしたら、その翌年は5名の枠で外国人患者を受け入れるというものである」(はる書房 石川優子さん著「心からありがとう」からの引用・抜粋)

もちろんお金もすごくかかる。

心臓病の子供を守る会の支部会でお世話になっているSさんに伺ってみたところ、渡航費用・手術/入院費用・現地での待機費用などで最低でも1億円(?!)前後はかかるとのこと。

残高証明がないと、移植の申し込みすら病院側では受けてくれないためまずはお金を集めるところからスタートするのが一般的のようだ。移植成功後、普通に生活できることが前提となるため家を売ったりしてお金を集めることはこれまでも薦められていないことから、移植を希望される方は皆さん募金活動を行うのだという。

静岡でのセカンドオピニオン次第ではあるけれど、移植という選択肢しか残らない場合、険しくてもチャレンジしたいと思う。パパも同じ気持ちだと言ってくれた。

日本には優秀な心臓外科医の先生がたくさんいるのに、今の法律では移植のためには海外に行くしかないんだな。
これが現実。

あたたかな気持ち


友人たちにとてもあたたかい気持ちをもらっている。

大学時代からの友人のCちゃんから、お守りが届いた。
ウランのためにお参りしてくれたそうで、ウサギの木彫りのついた可愛いお守り。

故事の因幡の白兎神話で大国様がうさぎの願いを聞きとどけてくれた話にあやかり、このウサギの短冊に願い事を書いて持ち歩くと願いを叶えてくれるそうです。

「ウランが元気になりますように」

と早速書いてウランの枕もとのウサギのぬいぐるみに括った。

以前主治医の先生に、
「この病気は手術でしか治りません。薬とかね、祈ったりとかね、では治らない。いやいや冗談じゃなく時折そういうこと言い出す人いるから」
って言われたけれど、今ならそういう人の心境も理解できる。何でもいいから元気になって欲しいもん。

Cちゃん 子育てと仕事で本当に忙しいのに有難う。ウラン、頑張ってるからね。

小児病棟での孤独

生後すぐの手術の後1ヶ月を小児病棟で過ごした。
そのときは、小児病棟はとても安心出来る場所だった。

出産した産婦人科でもそうだが、健康な赤ちゃんを目にすると、ウランが本当に可愛そうだったし、私の何がいけなかったのだろう、と都度自分を責めてしまっていた。

でもこの病棟に来ると、100%心臓病の子ばかり。心臓疾患は100人に一人の割合で生まれてくるというが、こんなに世の中心臓病の子が多いとは、と最初は戸惑いもしたが、それ以上にホッとするのだった。
無脾症だって、1万人に一人といわれるが、病棟では2人同じ無脾のお友達が出来た。

それなのに、、この病棟にいても、、今は孤独を感じる。
なぜなら、ウラン以外の子はみんな手術後の回復や次の手術に向けての検査で入院していて、元気になって退院していくから。
病棟の中の遊び場でも笑い声が絶えないし、ウランと同じぐらいの月齢の子を抱っこして、良くなってきたね、と話しかけているドクターを見ただけで、なんだか悲しくなるし、本当にうらやましい。みんなには未来があるもんね。

気のせいかもしれないけれど、最初の入院のときよりも、先生方が1日にウランを見に来る回数も減ったように思う。来ても、聴診器をあてず、顔色だけみてく先生もいる。もはや治療出来る患者ではないからだろうか。

病院にいるとただでさえnegativeになってしまうので、週末の退院が待ち遠しい。
早くお家に帰ろうね、ウラン。

2009年12月2日

鎮静剤 


在宅ケアに向けて、お薬も調整が始まった。

今のウランは、1日のミルク量を最低限に抑えているので、空腹を感じやすくその都度つらそうだし、ミルクを胃に入れても消化に酸素を使うためつらくて機嫌が悪くなる。3時間置きに1日8回そういうタイミングが訪れ、いずれもひどく泣くためサチュレーションが50台前半まで下がってしまう。

このような体への負荷をそれを避けるために、これまでは点滴で鎮静剤(名前を忘れた、、ドルシャム?)を24時間投与していた。その結果、常にボーっとしているが機嫌が悪くなることも無かった。

在宅ケアに向けて、点滴は外さなければならないため、鎮静剤に代わるものとして、飲み薬で抗ヒスタミンのアタラックスと鎮静作用のあるフェノバール(通常は筋肉のケイレン発作を抑えるなどで使用する)を処方された。

が、、、いずれも点滴の鎮静剤より効能が優しいので、どうしてもぐずぐずする時間が増え、眠ることも出来ずとても可哀想だ。昨晩も何度も泣いて、泣くから呼吸も苦しくなり、の悪循環になってしまった。

投薬は朝6時・ヒル12時・夜18時なので、どうしても夜から朝までの12時間は薬の効果も薄れることも要因の1つだと思う。

自宅に帰ってからは頼る術もないので、夜中呼吸が苦しく眠ることも出来ない場合はどうすればよいか主治医の先生に相談したところ、トリクロ シロップという導眠剤も退院時処方するので苦しくなる前に早めに飲ませてあげて、とのこと。飲ませるかどうかは都度私の判断とのこと。

本当に日々責任の大きな決断や判断をし続けている。ウランのおかげでこの年になっても人間として少し成長できそうだ。ありがとう、ウラン。

在宅ケアに向けて その2


退院後自宅でウランが快適に過ごせるように、
・介護用ベッドのレンタル(呼吸が苦しいときに、頭と肩の高さが楽に調整できる)
・経鼻用イルリガートル(ミルク・薬注入用→写真)
・平おむつ(清拭用→お風呂は体力を消耗してしまうのであがり湯程度に止める)
・聴診器(経鼻チューブが胃に通っているか、胃残の確認用など)
を用意する。

イルリガートルは1個600円もするのだが、保険適用外。分解して洗浄できない造りになっているので、病院では衛生面から12時間ごとに交換しているが、自宅ではそんなことしていたらランニングコスト(600円×2×30日分)がものすごいことになる。皆さんどうしてるのでしょうか?

看護師さん曰く、ミルトンなどにつけて衛生を保てば1週間は使用可能でしょう、とのこと。ただし、ウランの場合は3時間毎に使うので、注入用・ミルトン漬け置き・乾燥で少なくとも1日3本は用意したほうが良いとのこと。

家で家族揃って過ごせると思えば、色々な準備やケアを習得することは何の苦でもない。静岡・岡山に転院できれば取り越し苦労で済むこの準備、どうか取り越し苦労で済みますように。

2009年12月1日

在宅ケアに向けて

今日から退院に向けての準備が始まった。具体的には、点滴をすべて飲み薬に変えてウランが安定するかどうかを見たり、経鼻チューブによるミルク・お薬注入の手技練習など。

セカンドオピニオンの結果によっては、静岡や岡山への転院の可能性があるけれど、結果が出ていない今の段階では、病院としては自宅での在宅ケアを念頭において準備を進めるとのことで。外来も、もはや3週間に1度でいいそうで。
最期まで病院にいることもできるけれど、それはお母さんいやでしょう、と。

はい、いやです。絶対家で過ごしたいです。

ウランは、閉塞してしまった肺静脈のせいで肺に血液が溜まり始めており(肺うっ血)、呼吸がかなり苦しそうだ。少しでも呼吸を楽にするために、ベッドに傾斜をつけて頭と肩を高くし、酸素吸入のメモリは0.5から2へと増えた。そんな苦しい中でも、目が覚めている間は、無邪気にベッド脇に取り付けた鏡のおもちゃに自分の手を映して手遊びしたりしている姿が本当に愛おしい。そんな姿を見ていると、つい欲が出てきて、笑いかけると笑い返してくれた表情がもう一度みたいとおもってしまったりする。
沈静剤飲み続けてるから、そんな表情でないのに。

夕方添い寝しながら子守唄を歌っていると、主治医のM先生が部屋に入ってきた。
雑談をしていた流れで、余命宣告されたこどもの親は、こんなとき日々どう過ごせばいいんでしょうね、と聞いてみた。私は、毎日真綿でゆっくりと首を絞められるような心境で過ごしている。

「お父さんの性格にもよるけど、限られた時間の中で楽しいこと見つけたり、イベント作ったりしてた親御さんがいたなぁ。」

家のパパはそこまで打たれ強くない。たとえ強くても、この状態で楽しさを見つけたり明るく過ごすことは無理だし、こんな短期間にそこまで気持ちの整理をつけるのはちょっと難しそうだ。

面会終了のギリギリ30分前、パパが私の夕飯を買って駆けつけてくれた。野菜不足で口内炎が出来てしまったと言ったら、スープストックで野菜スープも買ってきてくれた。ありがとう、パパ。

このごろ帰りがけにパパがウランの胸元に手のひらを数分あててから、帰るようになった。

それ、何?と聞いたら、念じてるんだそうだ。

閉塞した3本の肺静脈がまた生えて(?)くるように、狭窄しかけている1本の肺静脈が広がりますように、
そして呼吸が楽になりますように、って。

不器用で口数が少ないパパなりの、ウランへの愛情表現だと思う。

パパも結構いいところある、見直した。