2009年12月1日

在宅ケアに向けて

今日から退院に向けての準備が始まった。具体的には、点滴をすべて飲み薬に変えてウランが安定するかどうかを見たり、経鼻チューブによるミルク・お薬注入の手技練習など。

セカンドオピニオンの結果によっては、静岡や岡山への転院の可能性があるけれど、結果が出ていない今の段階では、病院としては自宅での在宅ケアを念頭において準備を進めるとのことで。外来も、もはや3週間に1度でいいそうで。
最期まで病院にいることもできるけれど、それはお母さんいやでしょう、と。

はい、いやです。絶対家で過ごしたいです。

ウランは、閉塞してしまった肺静脈のせいで肺に血液が溜まり始めており(肺うっ血)、呼吸がかなり苦しそうだ。少しでも呼吸を楽にするために、ベッドに傾斜をつけて頭と肩を高くし、酸素吸入のメモリは0.5から2へと増えた。そんな苦しい中でも、目が覚めている間は、無邪気にベッド脇に取り付けた鏡のおもちゃに自分の手を映して手遊びしたりしている姿が本当に愛おしい。そんな姿を見ていると、つい欲が出てきて、笑いかけると笑い返してくれた表情がもう一度みたいとおもってしまったりする。
沈静剤飲み続けてるから、そんな表情でないのに。

夕方添い寝しながら子守唄を歌っていると、主治医のM先生が部屋に入ってきた。
雑談をしていた流れで、余命宣告されたこどもの親は、こんなとき日々どう過ごせばいいんでしょうね、と聞いてみた。私は、毎日真綿でゆっくりと首を絞められるような心境で過ごしている。

「お父さんの性格にもよるけど、限られた時間の中で楽しいこと見つけたり、イベント作ったりしてた親御さんがいたなぁ。」

家のパパはそこまで打たれ強くない。たとえ強くても、この状態で楽しさを見つけたり明るく過ごすことは無理だし、こんな短期間にそこまで気持ちの整理をつけるのはちょっと難しそうだ。

面会終了のギリギリ30分前、パパが私の夕飯を買って駆けつけてくれた。野菜不足で口内炎が出来てしまったと言ったら、スープストックで野菜スープも買ってきてくれた。ありがとう、パパ。

このごろ帰りがけにパパがウランの胸元に手のひらを数分あててから、帰るようになった。

それ、何?と聞いたら、念じてるんだそうだ。

閉塞した3本の肺静脈がまた生えて(?)くるように、狭窄しかけている1本の肺静脈が広がりますように、
そして呼吸が楽になりますように、って。

不器用で口数が少ないパパなりの、ウランへの愛情表現だと思う。

パパも結構いいところある、見直した。

1 件のコメント:

  1. パパが念じているところ思い浮かべたら涙が出てきました。お祈りはきっと届いていると思います。(ち)

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