2010年5月31日

9ヶ月の誕生日

今日でくららは9ヶ月になりました。

そろそろハイハイもして、ミルクが減って離乳食が増え始める頃です。

つかまり立ちを始める赤ちゃんもいる月齢だけど、くららはゆっくりのペースだったから、まだハイハイかな。

髪の毛も伸びて、お話も上手になっていると思います。


くらら、もうすぐ、後28日で、くららの生きた時間よりも、旅立ってからの時間が長くなります。

ママはその日を迎えるのがとてもつらいです。




くららの月誕生日に思うこと。


渡航移植の為に立ちあがったふたつの救う会を新たに知りました。


きなちゃんを救う会
http://kina.kids.coocan.jp/

拡張型心筋症のきなちゃん、1歳2ヶ月です。

ゆうとくんを救う会
http://www.yuto-save.jp/index.html
拡張型心筋症のゆうとくん、5歳です。


私は、いつもなみさんのブログ(http://ameblo.jp/sounami/)から、渡航移植を目指す子どもたちのことを知ります。小児医療の様々な情報を教えてくださるなみさんに本当に感謝です。

救う会立ち上げ時、多くは記者会見も行っていますが、テレビのニュースはもちろん、インターネットニュースのヘッドラインに載ってこないことが多いように思います。



国内で他の治療の選択肢が無く、生きるための唯一の治療のすべを求めて渡航を目指すのに、「公」の支援はありません。家族や仲間が必死に「募金」という形で善意を募って、活動しています。

渡航を目指すほど重症化したわが子のそばを離れたくなくても、街頭に出て募金をしなければ助かる道は無い、なんて残酷な話なんだろう、と思います。





きなちゃん、ゆうとくん、一日も早く渡航し、移植が受けられますように。

2010年5月28日

4回目の月命日

今日は、くららの4回目の月命日です。

私の田舎にくららとアトムを連れていきます。


父と兄の墓前でくららを紹介し、親戚にもご挨拶に伺います。


1月の外来で、くらら 私の実家に連れて行くこと出来ますか?と主治医の先生に聞いたら、

遠いし寒い地域だね、、とつぶやいたあと、

「う~ん、 桜が咲くまで頑張れたらね」

とおっしゃいました。


移動用酸素は2時間しか持たないことは元より、くららの体力が、既に長距離移動が出来ないほど落ちていて、片道1時間の病院までの移動もしんどかったことを思えば、先生の言葉は思いやりに溢れたものだったんだ、と改めて思います。

桜の季節は終わり、梅雨前の季節となりましたが、やっとくららを連れて行くことが出来ます。

くらら、一緒にいこうね。

2010年5月26日

25日 と ぬくもり

昨日25日はMちゃんの6回目の月命日でした。

あれからもう半年、まだ半年、そんな風に思います。


私ですらそんな気持ちだから、Mちゃんのパパ、ママ、家族はもっと深く、色々な思いがあると思います。

Mちゃん、くららと遊んでくれているように思います。

Mちゃん、もうすぐ1歳2ヶ月、大きくなったね。




先ほどテレビから松田聖子さんの「あなたに逢いたくて」が流れていました。

失恋の曲のように思っていたけれど、部分部分が、くららに重なって切なくなりました。


くららに会いたくて、抱っこしたくって、眠れない夜は
本当にくららの「ぬくもり」や「匂い」を目を閉じて思い出すんです。



時間が経てば経つほど会いたくなっていきます。

2010年5月25日

カルテー最初の入院記録-

カルテや検査データなど紙は約400ページ、CT、レントゲン、エコーなど画像データが入ったCD-ROMは5枚ありました。

カルテを昨日読み終えました。

CT等画像データは、突然閉塞していた1本の肺静脈と、狭窄が始まっている2本の画像を見たときの、11月11日の、あの言いようの無い感情を思い出してしまい、怖くてまだ見ることが出来ません。

「9月5日(手術から2日後)ICUにて、
呼吸・循環動態安定にて、引き続き抜管に向け全身管理を行っていく」
といった処置データの他に、

「9月6日、父母面会時、積極的にタッチングし過ごされる。笑顔多い」
といった、私たち親子のふれあいの記録も残されていました。

また、
「9月9日(ICUをでて病棟に移った日)、母出産間もない状態であり、体調いまひとつの様子、付添い開始となるため母の体調もケアしてあげてください」
といった、私のことまで気を配ってくださって記録されていたなんて、あの時は全く気がつきませんでした。



最初の入院時のカルテは、少しずつ回復し元気になっていくくららの様子を改めて思い出すことが出来、何より退院時の診療要約では、主病名・副病名ともに「軽快」と記載された文字を見ると、退院のあの日、本当に幸せと喜び、未来への期待に溢れていたことを思い出します。

酸素チューブも無く、次の手術に向けて体重を増やしてね、と言われ退院したあの日、生まれてから1ヶ月、初めてくららが触れた外気と雨、家族揃っての生活が始まった9月29日、あの日に戻りたい思いでいっぱいになりました。

2010年5月22日

5月の陽気

やっと5月らしい陽気になってきて、ふと思い出したのは去年の今ごろのことです。

高齢出産になるので羊水検査を受けようと思い、普段通っているクリニックでは対応していないため、大きな病院を紹介していただき受診したのは丁度今日のような汗ばむような陽気の日でした。

麻酔無しでお腹に穿刺をするとは知らず、羊水を針で抜いている間、鈍い痛みが続きとても長く感じました。
(実際には10分程度だったと思いますが)

2時間ほど休んで帰宅したのですが、何せお腹に針を刺していますので、お腹をさすりながら、赤ちゃん大丈夫だった?と帰りの電車の中で何度もはなしかけたことを思い出します。

まだ性別もわかっていなかった頃。


でもしっかりとお腹にいてくれたくらら。

検査の結果は問題なしとのことで、一つ安心、でも出産するまでお産は何があるかわからないから、と思ってていました。


お産だけではなく、人生、本当に何があるかわからない、と身を持って知りました。


何があるかわからないけれど、今を、毎日毎日を大切に生きないと。

2010年5月17日

くららの全部

くらら、日常が戻ってきても、ずっとずっと想ってるよ。

いつか再会できるときまで、ママはくららをずっと想ってる。



お世話になった病院に、3月上旬に依頼したくららのカルテ、今日届きました。


去年の9月、初めての手術後、ICUにいる間は、毎日10分しか面会できませんでした。
残りの23時間50分、くららはどうしてるんだろう、生まれて間もないのに、一人で大きなベッドに寝かされて、昼夜モニター音が鳴る中で、不安になったり寂しくなったりしてないだろうか、毎日心配で眠れませんでした。


カルテには、そんな23時間50分、会えない時間にくららがどう過ごしていたか、ドクターや看護師さんが記録されている内容がとても詳しく書いてあります。
そして日に日に回復し元気になり、色々な数値が良い方向へ向かっていく様子も。

くらら、日々の記録、会っていなかった時間も、ママは胸に刻むから。

くららの全部、ママが覚えているからね。



これからすべてにゆっくり目を通します。

2010年5月15日

「いのち・きずなの日」記念祭

今日は「いのち・きずなの日」記念祭に行ってきました。


5月17日は、日本ドナー家族クラブにより2002年に制定された「生命・きずなの日」です。

この日は、ドナーとなられた方々を記念する日とし、同時に「生命の大切さ」「きずなの大切さ」を思い合う日とされ、日本記念日協会にも登録・承認されているそうです。

この「いのち・きずなの日」を記念し祝うイベントが毎年開催されているそうで、そうちゃんママのなみさんにご紹介頂いて、そのイベントに今日参加したのでした。


イベントでは、交通事故で亡くなられたお嬢さんが日本で5例目となるドナーになられたという方のお父様による講演、双子で肺移植を受け今は元気に活躍されているイサベル&アナベル姉妹の講演(http://miracletwins.jimdo.com/)、石田桃子さんによるコンサート等がありました。(石田純一さんによく似てらっしゃいました)


肺移植は難しい、と以前聞いたことがあったのですが、イサベル&アナベル姉妹を見て、こんなに元気になるんだ、と驚きました。アナベルは2度の呼吸停止も経験したとのことでしたが、移植後は水泳もマラソンも旅行も、なんでも出来るようになりました、と。そして、それはドナーの方とそのご家族からの「臓器提供」というミラクル、ギフトがあったからこそであり、その気持ちに毎日敬意を払い、毎日臓器に手をやりながら感謝の気持ちを伝えている、と、おっしゃっていました。



今日そのイベントで初めて心移植を受けたお子さんにもお会いしました。9歳のSちゃん、ピンクの似合うとても可愛らしい女の子です。日本ではくららと同じ病院で治療を受けていたそうです。


顔色も凄く良くて、就学はもちろん週に1度はスイミングにも通っているとのこと。こんなに元気なSちゃんの姿に、渡航移植という高く険しいハードルにチャレンジし乗り越えられたご両親やご両親を支えられた周囲の方々の愛や絆の深さに、瞬時に感動し熱くこみ上げるものがありました。


お嬢さんがドナーになられた方のご家族がおっしゃられた言葉、
「他の方の体で、宝石のようにキラキラと娘の一部が生き続けている。」

ドナーの方の命のバトンを受け継いで、生きる。
生きることって本当に素晴らしいことだと思います。


こんな感動を得られる場を教えてくれたなみさん、
なみさんと出会う縁をつないでくれたのは、くらら。
くららがいてくれなかったら、イベントを知る機会すらなかったでしょう。


移植はしていないけれど、私はくららの「想い」という命のバトンを受け継いで、くららの分まで命を大事に生きなくちゃ。
酸素チューブの量が増えて、鼻だけでなく口からの酸素が増えても笑おうとしたくららの頑張りに、
私はまだまだ追いついていない。




連休中、時間が出来て気が抜けたためか、このところ体調を崩して寝込んだりしていました。


どうすることもできない思いが溢れてきて、
くららが悪くなっていくのを目の当たりにしながら、ただ見守ることしか出来ず、どうして助けてあげられなかったんだろう、
あんなにくららは苦しんだのに、なんで私はのうのうと生きてるんだろう、
どうしてもう会えないんだろう、どうしてもう1回抱っこできないんだろう、そんな思いで一杯になったりして。


今日イベントの帰り道、思いました。
もう一度だけでいいから会って抱っこしたい、この思いは一生変わることはありません。

でも、もう二度と「私はなんで生きてるんだろう」なんて思わない。
意味があるから、くららの分まで、それは長さじゃなくて中身の濃さという意味で、私は生きるんだと心に決めました。

旅立ってからの時間

このブログはくららの成長の記録であり、人生の記録です。

ここに来ると、好きなだけ自分の思いのままにくららについて話せる、という思いの裏に、
だんだんと、くららが旅立ってからのことが増えていく寂しさも感じます。

くららが旅立った時点で、ブログの当初の目的を果たすことは出来なくなったのだから、ブログも完了すべきだったかもしれません。



もっともっと、写真もビデオも撮っておけばよかった、と思います。
4か月と28日の人生、写真はこれだけなの?と手元にあるものを見て改めて思うけれど、、


でも、私たち家族の中に、パパの中に、私の中に、アトムの中にくららも生きているよね、くらら。













アトムとくらら、同じぐらいの月齢の写真です。
くららの写真が増えない分、アトムの写真を増やしていけば、くららの分も一緒に増えていくということ。
そうだよね?くらら。

2010年5月2日

久しぶりに病院へ

先日、久しぶりにくららのお世話になった心臓病の専門病院に行ってきました。

くららのお友達Hくん(http://urandemain.blogspot.com/2010/03/2_27.html)がグレン手術を終えたとのことで、そのお見舞いです。


受付で面会の手続きをしていたところ、苗字をみて受付の方が「くららちゃんのお母さんですね」と言いました。

くららがお世話になった期間は長いほうではなく、そしてまた最後にくららが訪れた1月28日から3ヶ月経過しているのに、くららを覚えてくださっている、思いがけない場面でくららの気配の残る場面に逢えて、なんだか嬉しかったです。


病棟に上がるエレベーターではやはりドキドキして、色々と悲しいことも考えてしまいましたが、いざ病棟の前に着くと、やっぱり感じるのは「懐かしさ」です。

くららもMちゃんも、皆旅立ったんじゃなくてこの病棟の中にいる、そう錯覚するような不思議な空気が病棟のフロアには溢れています。

そして何より、ドクターも看護師さんも事務の方も、誰もがくららを知っている、ここでは私は一個人ではなく「くららのお母さん」として存在し扱われ、それはイコールくららが生き続けているようなそんな感覚になります。



原則として病棟には両親と祖父母しか入れませんので、病棟の外でHくんのママに会い、デジカメでHくんと対面しました。

8ヶ月の赤ちゃんらしく、たくましく成長したHくん、グレンを終えて体重も更に順調に増えることと思います。最終手術のフォンタン、私が待ち遠しくなってしまいました!

(グレン手術・フォンタン手術については、「くららの病気」に簡単に説明を書いています。
http://urandemain.blogspot.com/2010/04/blog-post_3173.html)


グレンもフォンタンも肺の成長が鍵となり、適応する状態に肺が成長しないと手術を受けることが出来ません。肺静脈や肺動脈の疾患を合併しやすい無脾の子がグレン・フォンタンに進むのは決して楽な道ではありません。在宅酸素等で成長を補いながら、1歳過ぎてから手術を受けたりするケースも多々あるなかで、在宅酸素なしで、生後8ヶ月でグレンに進んだのは本当に凄いことです。

Hくん、おりこうさん!



Hくんとくららは誕生日も12日違いなので、Hくんの成長にそのままくららが重なります。
天国で今頃、Hくんくらいの身長・体重になり、離乳食もモリモリ食べていることと思います。


Hくんは遠方から来ているのですが、また検査や次のフォンタンなどでこちらの病院に来るときには、是非成長ぶりを見せてね、とママにお願いしました。

病室で、時々あちこちの方向を見てHくんがニヤっ、と笑うんだそうです。
多分、くららやMちゃんが降りてきて会話してるんです、とおっしゃってくださいました。
そして、くららやMちゃんの分まで頑張ります、と。

フォンタン手術まで進めれば、サチュレーション(SPO2/血中酸素濃度)も99前後になり、チアノーゼも消え、普通の赤ちゃんと変わらなくなります。フォンタンまでもすぐだよ、Hくん!!
おばちゃん ついてるよ!(何も出来ないけれど気持ちだけはいっぱい)

2010年5月1日

衣替え

お天気がよいので今日は子供の衣替えをし始めました。

やっと冬のお天気に戻ることがなくなって来たので、アトムの分は冬物コートや衣類を洗ったりしまったり。

でも、くららのコートや衣類は掛けてある場所からなんとなく動かすことが出来ません。

そういえば、くららの汚れ物入れには、旅立った日の朝に替えたバスタオル等まだそのまま入っています。くららのぬくもりの残るそれらを動かすことが出来ず、時々抱きしめてはまたそこに戻して、と過ごしていたらいつの間にか3ヶ月が経ってしまいました。


期限なんてないから、衣替えも洗濯も、よし大丈夫!、と自然に思うまではずっとそのままでもいいのかな、と思いました。

語り合えること

くららが生まれ最初の手術後、ICUで1週間過ごした後に病棟に移ったとき、4人部屋に入りました。

今思えば、浅はかだったし自分勝手なことを考えてたなぁと思いますが、24時間母親が付き添うという説明を受けて、出産から数日しか経っていないこともあり、産後の体の不調に加えて、くららの突然の病気宣告に頭が付いていけない混乱状態と、アトムと離れることでの心配などで、とても気が重い付き添い生活のスタートでした。


そんなとき、明るく話しかけてくれたのが、同室のSちゃんのママでした。
Sちゃん(男の子)は、入院して5ヶ月目に入っていました。

長い入院期間にも関わらず、ママは本当に前向きで、「家に居て家事とかするより病院にいると楽ですよ!」と励ましてくれたり、大変だったであろうことをさらっと言って和ませてくれたり。

多分、SちゃんママよりSちゃんばぁばの方が私と年齢が近いと思われるほど若いママなのですが、しっかりしていて兎に角明るく、素直です。


同室は皆0歳から1歳の赤ちゃんですから、思い思いの時間に夜中でも起きたり泣いたりするわけですが、寝不足でもいつも変わらないペースでSちゃんに接している姿も尊敬していました。

子どもに対して常にフラットに、いつも変わらないペースで、わかっていてもなかなか出来ない、難しいことだと思います。



今日そんなSちゃんママと会う機会がありました。

くららの写真を見てもらいながら、くららの話、可愛かった話も、病状が変化していく過程等色々と聞いてくれて、Sちゃんの最近の体調や今後の治療プラン等も話してくれました。


そして、最近心に重くひっかかっていた出来事を聞いてもらいました。


先日、ある方が

「凄いですね、たった3ヶ月ですっかり立ち直って、仕事もしてとても元気そうで、くららちゃんの思い出話ももう出来るなんて。」というようなことをおっしゃいました。

決して悪意ではなく、本当に偉いですね、というニュアンスでおっしゃってくださって。

でも、その言葉を聞いてから、考えこんでしまっていました。



色々考えたけど、やっぱり、私はくららを愛しているし、何ヶ月たっても平気ってことはないし、立ち直るっていうのもなんか違う気がしてきました。


くららと共に、くららの分まで今日一日一日を大事に生きないと、くららに申し訳ない、だから
外で泣きそうになったら口角を上げてみたり、歯を食いしばってみたり。
そうしないと一気に崩れるそうで、、、今でもそういう心境です。


そんな思いをすべてを話したわけではなく、こんなことを最近言われてね、と話して終わったのですが、Sちゃんママは黙って聞いてくれて、その後メールをくれました。
言葉にしなくても、ちゃんとわかってくれていました。


産後間もなく我が子の病気を知り、息つく間もなく我が子の命、回復を祈って共に過ごしてきた同志、そんな感じがします。そして、大切な数少ないくららのお友達のママでもあります。



写真は、Sちゃんと初めてあった翌日かな?ICUを出て、抜糸が終わり、生まれて初めて「沐浴」したときの
くららです。 とっても可愛い裸でした。