2010年9月28日

8回目の月命日

今日はくららの8回目の月命日です。


くららの葬儀が終わって最初の週末、家にはくららがたくさんあふれていて、ぬくもりを感じつつも存在がないことに気持ちが沈んでいき、アトムに話しかけられても答えることもできなくなりました。


皆で外に出ようとパパに言われ、なんとなく決まった先が海でした。

2月の海はとても寒くて人もほとんどいなかったのですが、それが幸いして、三人で「くららちゃーん、元気なのー? くららちゃーん 会いたいよー」と思う存分大きな声でくららに話しかけました。


それ以来、海には特別な思い入れができ、梅雨に入るまでほぼ毎週末三人で海に行きくららと話をしました。


今週は遅ればせながらの夏休み、暑さも和らぎ、久しぶりに海でくららとたくさんお話しにいきます。

2010年9月27日

もうひとつのプレゼント

8月31日にくららの1歳の誕生日をお祝いをしましたが、後日パパから「名入れだから当日に間に合わなくて」
と、もうひとつ、くららに誕生日プレゼントがありました。

「kurara」と名前の入ったピンクの上下のお洋服でした。





くららが生まれたときと同じ身長・体重のクマ(我が家では「くまら」と呼んでいます)に着せてみたらぴったりです。

背中の羽とおしりの「kurara」の部分がなんともキュートで、くららにも良く似合ったことと思います。





お洋服を着たくまらの写真を写していたら、アトムが「くららちゃんとアトム君の動く写真みせて(→ビデオのことです)」と言い出しました。

二人が映る映像をビデオカメラで見せていたら、突然画面のくららに向かってブチューっ。
「くららちゃんかわいいからアトム君チューしてあげた」と誇らしげに言います。ビデオカメラの画面はアトムのよだれでべっとりとなっていました。


パパもママもアトムも、本当にくららが大好きです。

2010年9月24日

お騒がせしました

色々と励ましのメッセージをお寄せくださった皆様、ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。。

アトムの血便、大事に至らず切れ痔によるもので、ステロイド入りの軟膏(プロクトセディル)がでました。

こんなことで夜も眠れないぐらい心配したりして、過剰に反応しすぎていけません。これからも熱やけがetc.のたびにこんな風にしていては身が持たない、、もっと冷静に、と反省しました。

自分の痔が原因で両親が喧嘩した、と大きくなったアトムが知ったら、あきれるか笑ってくれるか、と考える余裕が出てきました。

パパとも無事和解しました。

週末を前に一安心。


来週はくららとたくさん触れ合う、くららウィークを予定しています。

2010年9月21日

子供の病気

今日久しぶりにパパと大喧嘩をしてしまいました。

原因は、アトムの血便です。(すいません、ここからは便とか痔とかの話題になります。。)

数日前からうんちの時にお尻が切れて血が出ていたアトム、毎晩お風呂上がりにワセリンをお尻に塗っていました。それが、今日はウンチ全体が赤くてびっくり!?初めてみる赤いウンチでした。

帰宅前のパパにもメールして、まずは便をみてもらい、そのあとに受診用に便の一部を採取しようと思い、
割り箸や密閉容器など即席の「採取用グッズ」をトイレに置いておき、パパの帰宅を待ちました。

パパが帰宅してうんちを見てもらっている間に、私は最寄りで明朝受診可能な病院をインターネットで探していました。
アトムは病気知らずで育ってきたので、クリニック以外お世話になったことがないのですが、血便の場合、クリニック(小児科)よりは最初から検査できる総合病院での受診をしたほうが良いように思えて。



便の採取を考えたのは、アトムやくららの便の調子がおかしい時ー例えばアトムが乳児の時にひどく下痢をしたときや、くららが一度タール便が出たときなどー受診の際にその旨伝えると、必ず「次は便の入ったおムツを持ってきてください、便をみないと診断がつけにくい」と言われた経験があったからでした。


アトムの体調はといえば、機嫌もいいし発熱もなく、ここ数日はたまーにお腹が痛いというときはあっても、保育園に行く直前だったりするので本当に痛いのか、ちょっと保育園に行きたくなくて言ってるのかわからない程度です。

なので便そのものを見ていただかないと、受診しても診断を付けていただくのはおそらく難しく、この段階で
大人のように大腸の内視鏡検査等にはならない可能性が高いのでは、と思うのです。


乳幼児にとって、便は健康のバロメータであり受診のエビデンスだということをパパも知ってるはずなのに、
無意識に流しちゃったことで、怒りというか「心配じゃないの?!」という思いがあふれて、怒ってしまいました。


わが子のことだけでなく、子供の病気や医療については以前に比べてとても敏感にはなったことは自分でもわかっているのですが、色々と差し引いても怒らずにはいられませんでした。

もちろんパパには悪気が無いことも分かっているのですが、何か大きな病気だったら、と思うと気が気じゃなくて、その思いも一緒にパパにぶつかったように思います。

少し時間をおいて冷静になってから、和解しようと思います。

ただの痔だったらいいなぁ。。

2010年9月17日

Kちゃんとアッシュペンダント

先日、4歳になるKちゃんという女の子とお友達になりました。

初対面ながら話が弾んでとても仲良くなりました。

Kちゃんのお母さんたちも交えてお茶を飲みながら対面で座っていると、Kちゃんが私の胸元を見て、
「それ、骨がはいっているの?」と。

くららの遺骨を納めたアッシュペンダントですが、それと聞かれたのはKちゃんが初めてです。


Kちゃんは妹さんを拡張型心筋症で亡くす経験をしていて、「死ぬ」ということを理解していて、遺骨を入れるペンダントの存在なども知っていたのでした。


純粋な強さで妹さんが亡くなった後のお母さんを支えている、とても印象深い女の子でした。
お友達になれて嬉しかったです。



そしてアッシュペンダント。

くららが旅立ってから、日々、くららの遺骨を納めた壺から離れることができませんでした。
復職前面談や遺伝カウンセリングなどどうしても外出しなければならないときは骨壷を鞄に入れて持ち歩いていました。

くららと離れるのが嫌だったこともありますが、地震や災害は滅多に起こらないのに、家に置いて出かけて何かあったら、と思うと、おいてはいけませんでした。


でも復職の話が出てきて、気持ちも少しずつ変化が出てきて、会社に骨壷をもっていくわけにはいかないんじゃないか、電車のラッシュで壺が割れたりしてもいけない、と思うようになりました。


そしてアッシュペンダントを買い求め、パパと一緒にくららの遺骨の一部をペンダントに入れました。


このペンダントは、お風呂に入る時以外ずっと付けています。

通勤中や仕事中、眠るとき、どんな時でもくららと一緒にいます。

このペンダントを触ってくららに話しかけたりもします。

いつも一緒だよね、くらら。



ちなみに、パパは?と聞いたら、パパはうさこのレプリカがアッシュペンダント代わり、とのことで、毎日スーツのポケットにうさこをいれて出勤しています。鈴の音を鳴らしながら歩くスーツ姿の会社員を見かけたら、それはうちのパパです。

赤ちゃんとビタミンK2

少し前に、新生児へのビタミンK2投与を行わなかったことにより生後2カ月で赤ちゃんが死亡した、として助産師への損害賠償訴訟のニュースがありました。


http://mainichi.jp/life/edu/child/news/20100915ddm013100170000c.html

厚労省からは、新生児に不足しがちなビタミンK2を生後1か月以内に3回投与することで、頭蓋(ずがい)内出血を予防する、という指針がでています。(出生24時間以内、6日目、1ヶ月後が目安)


くららは生まれてすぐに2回の転院と、生後3日目の大手術をしたため、出生24時間以内と6日目のK2シロップ投与はされていないようでした。(生まれた病院と2つ目の病院に確認しましたが、投与した記録が無いとのことでした)

母子手帳には、K2シロップ投与を記録するページがあります。

心臓病の専門病院で入院中に1カ月検診をして頂くことになった際、K2シロップの投与とその旨母子手帳への記載をお願いしましたが、最初は忘れられてしまい、2度ほどドクターと看護師さんにお伝えして投与頂きました。


頭蓋内出血も含めて、あらゆる数値や体調を管理してみてるから大丈夫、と言われましたが、どうしてもK2シロップ自体の投与とその記録を母子手帳に残すことに私がこだわって再三お願いし実施して頂きました。


心臓の大きな疾患があるのでそれ以外のところは優先順位が下がっていたのかもしれないですが、兎に角、私に何かあった時に、くららの医療面での記録が他の誰でも把握できるようにしておきたい、そう思ったからです。

今回の訴訟のニュースを目にしたときに、その頃のことをふと思い出しました。


ずいぶん強硬にお願いして、ドクターや看護師さんにご迷惑をおかけしました。反省。

でもお願いしてよかったです。

2010年9月15日

くららの病院

先日、ひさしぶりにくららのお世話になった心臓病の専門病院に行く機会がありました。


丁度同じ日の1年前は、くららがICUから小児病棟に移ることが決まった日でした。

毎朝、わずか10分間の面会時間を楽しみに、アトムを保育園に送り夫婦二人で車で病院に向かっていた日のことを懐かしく思い出しました。

あの頃、病院に向かう私たちは希望に溢れていました。

手術が終わって、少しずつ麻酔や薬が減っていったり、覚醒したり、昨日は5cc、今日は8cc、鼻管チューブからミルク飲みましたよ、おしゃぶり使い始めましたよ、SPO2(酸素飽和度)が60台から70台、80台になってきましたよ、と、少しずつ少しずつくららが回復に向かい元気になっていく様子をドクターや看護師さんから伺い、一つ一つのニュースに感動して過ごしていました。



パパはくららが旅立った日以来初めて院内に入ったので、色々と思うところがあったようで、うるっとしていました。

ロビーや売店、どこも懐かしく、いるだけで気持ちがほわっっとします。


病棟のフロア前にいくと、くららが病棟内にいる、本当にそんなふうに思うのです。

くららの主治医の先生にもお会いすることが出来ました。


おうちで過ごす時間をたくさん作れたことで、たくさん思い出を作ることが出来たこと、改めてお礼を伝えました。


ほんとに懐かしくて、ずっと病院にいたかったです。

2010年9月13日

携帯用酸素ボンベ

今朝の通勤時のこと。

山手線のある駅で、酸素用カニューレ(チューブ)をつけて携帯用酸素ボンベのカートを引いたご老人とその奥様が人込みの中で戸惑っているご様子で立っていました。
(携帯用酸素ボンベ=
http://www.terumo.co.jp/company/products/image/sanso.jpg)


その駅はいくつかの改札口があり、1か所の改札を除いてはホームへは階段のみの造りになっています。広い駅なので、駅の造りを知らない方にとっては、そういった改札によってバリアがあることはわかりにくく、一度改札に入ってしまうと別の改札に移動することがかなり大変で時間もかかります。

御老人に「どうしましたか?」と声をかけたところ、3日前に手術を終えたばかりで、これから山手線に乗って外来受診に向かうところだが、酸素ボンベが重く階段をどうやって登ろうか思案されている、とのことでした。

携帯用酸素ボンベはくららも使っていましたが、この酸素ボンベ、持って歩くのは実は結構重たくて、乳幼児の場合、保護者はベビーカーの下に入れたり背中にリュックのように背負ったりします。
一人で歩ける場合はカートに入れて持ち歩きますが、高齢で術後3日の方が持ち上げて階段を登れるようなものではないと思いました。


もちろん酸素ボンベのカートをお持ちして一緒にホームまでの階段を登りましたが、会社までの道中考えました。


くららが生きていて、酸素療法をしながら次の手術を目指していたら-。

ベビーカーにくららと酸素を乗せてるか、自分自身が背中に酸素用リュックを背負いながらくららも抱っこしてこの階段を登り降りするのは相当しんどいし、何より危ないだろうな。



国内の色々なインフラで、障害を持つ人や幼い子供、高齢者へのバリアを取り除いていく(バリアフリー)ことが、もう少し早いペースで進んでもいいのでは、というのは多くの人が思っていることと思います。

そこは個人の力ではどうにもなりませんが、例えば駅の階段でベビーカーを一人で上げ降ろしするお母さん、階段の上り下りに苦労するお年寄りや障害を持つ人がいたら、素通りせずに一言、何かお手伝いしましょうか、と声をかける人がもっともっと増えていくといいな、と思います。

2010年9月7日

美香子ちゃんとのお別れ会

9月5日日曜日、「美香子ちゃんとのお別れ会」に行ってきました。


献花をしようと会場に足を踏み入れると、懐かしく聴きなれた曲が流れてきました。

ヘイリー・ウェステンラの「永遠のピュア・ヴォイス~ヘイリー・ベスト」は、くららのお昼寝用に、と妹がプレゼントしてくれたCDです。低気圧や急な気温の低下などで体調が悪くなった日も、このCDを聴くと、とても穏やかにお昼寝をしていたくらら、その横に添い寝していた時のくららの体温や匂いを思い出します。

美香子ちゃんのお昼寝の時に、もしよかったら、と以前美香子ちゃんのご両親にお送りしていたのですが、このCDを会場でかけてくださっていました。


以前美香子ちゃんのブログで、一緒に聴いています、と美香子ちゃんのママが書かれていました。
曲を聴いて、美香子ちゃんとご両親が過ごされた時間を思い、また美香子ちゃんを思い、涙があふれてきました。


献花の後、美香子ちゃんのご両親に一言御挨拶を、と思い、「くららの母です」とお声かけしたところ、美香子ちゃんのママがハグしてくださいました。

ほとんど言葉は交わすことができず、というか、言葉がみつかりませんでした。
でも、ご両親とただただお互いにうなずき、言葉にならない思い、強く伝わってきましたし、私の思いも受け取ってくださったように思います。

帰り道、「永遠のピュア・ヴォイス~ヘイリー・ベスト」を聴きながら、くららとくららのお友達-めいちゃん、そうちゃん、さくちゃん、しーちゃん、ゆうなちゃん、こはるちゃん、けいじくん、みんながハイハイや
つかまり立ちをしながら、美香子ちゃんを囲んで、よろしくね、一緒にあそぼうね、と話している姿が
目に浮かんできました。

美香子ちゃん、1歳8カ月、本当にがんばりやさん。たくさんたくさん勇気や希望をもらいました。

頂いた美香子ちゃんの写真、くららの隣に飾らせていただき大切にします。

心臓移植 小児同士を優先提供へ

本日7日、移植関連の二つのニュースがありました。


一つ目は家族承諾による7例目の脳死移植のニュースです。

「家族承諾による7例目の脳死移植は7日午前、関東甲信越地方の病院で、臓器の摘出手術が行われた。心臓、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)は、それぞれ北海道、東京都、長野県、大阪府の4病院に運ばれ、患者への移植手術が行われる。」

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010090700161


臓器移植法が施行された1997年から2008年までの11年間で行われた脳死移植は76件、単純に計算すると1年に7件前後でした。今年7月の改正臓器移植法施行から約1ヵ月半で7例、この状況から色々な思いを抱きます。

意思表示カードの無い中で、「脳死」と判定された後に大きな決断をされたご家族の決断までの苦悩、
本当におつらかったことと思います。

そして何よりドナーの方のご冥福を心からお祈りします。




同じく本日7日付けのニュース。

「心臓移植、18歳未満同士を優先 厚労省委が了承 」

18歳未満のドナーがいた場合、レシピエントも18歳未満を優先とすることを厚労省が了承されたそうです。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2E4E2E69E8DE2E4E2EBE0E2E3E29180EAE2E2E2;at=ALL

以前小児移植学会のセミナーに参加した際に知ったのですが、肝臓や腎臓は大人同士、小児同士でなくても、ドナーが大人でレシピエントが小児というケースも可能とのことでした。一方、心臓については胸腔のスペースが同じでないと移植できないため、同年代でなければ移植できない、というお話を伺いました。

今募金を募っている9歳のよしきくんは、日本で待てる時間が無いため、1日も早い渡航が必要です。
http://yoshikikun.blog133.fc2.com/

移植医療、ヒブ等供給数が明らかに不足しているワクチン等、
医療の選択肢があるのであれば、それが国内で必要な時に選択できるような環境の実現に向けて、私にできることを日々考え実行していこうと思います。

2010年9月2日

よしきくんを救う会

9歳の竹内よしきくん、拘束型心筋症による渡航移植の為の救う会が立ち上がりました。

がんばれ!よしきくん!!


よしきくんを救う会