2010年8月31日

1歳になりました

今日8月31日でくららは1歳になりました。

皆様、お祝いのメッセージやお花、素敵なプレゼント、ほんとうにありがとうございます。



4カ月と28日という短い人生のくららを、こうして思って下さって、覚えていて下さることが親として本当に有り難く、感謝の気持ちでいっぱいです。




今日は朝から1年前のことを思い出してばかりで、仕事が全く手に着かず、早めに切り上げて誕生日のお祝いの準備をしました。

1年前、政権交代の選挙当日、8月30日の23時頃に陣痛が10分間隔になり、主人と病院に向かいました。
1時ごろ、まだ生まれなそうだから御主人いったん帰ったら?と助産師さんに言われ、主人が帰宅してほどなく陣痛の間隔がドンドン短くなり、パパに病院に戻るよう連絡した直後、午前3時22分、くららは元気に産声を上げました。



その瞬間、そして、4時間後突然の救急搬送までの束の間の時間、とてもとても幸せな時間でした。

明け方、心配ないとは思うけれどチアノーゼが引かないので念のため、、院長先生がそういってNICUのある病院にくららだけを搬送すること、私は分娩直後だから病院に残り一緒には行けないこと、院長先生が救急車に同乗することを告げられました。

お腹から出て間もないのに、両親と離れてたった一人で救急車に乗せたこと、二度も寝床(病院)を変わらなければならなかったこと、どれだけ不安だったか、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。


転送先のNICUで検査後すぐに来るよう連絡を受けて、到着するや否や病名を告げられ、その内容の難しさに頭が付いていけず混乱する中で、近々に手術をしなければ命が危険だがここでは出来ない、対応可能で且つベッドが空いている病院を探しています、と言われこれまで味わったことのないショックを受けました。

一方で、パパは至急くららの保険証を用意すること、小児慢性特定疾患や育成医療といった、初めて耳にする医療申請の手続きを急ぐよう病院から指示を受け、走り回ってくれていました。


初めて足を踏み入れたNICUで、わずか30分だけの面会時間、インキュベータの中の小さな手を握り締め、
「ごめんね」を何十回も繰り返し伝えました。

出産した病院に戻った夜、母子同室の各部屋からは、新生児の泣き声とそれをあやすお母さんの声が聞こえて、どうしてくららはここにいないのだろう、やっと会えたと思ったのに、どうして今私は一人なんだろう、こんなことになってしまってごめんなさい、と誰にともなく謝り、自分をひどく責めたことを鮮明に覚えています。




生まれて2日目、更に転院した心臓の専門病院で、翌日にすぐ手術をすること、人工心肺を使う上でのリスクとして術中死のリスク、術後のPHクライシスや腎不全、MRSA感染等のリスクによる命の危険性の説明を受けた上で、手術と全身麻酔・輸血の同意書へのサインを求められました。


疑問や確認等物事を理解したうえでの行動を取ることが出来ず、ただただそれぞれの同意書にサインしました。


ICUを出るまでの間、くららに会えたのは毎日9時から9時10分の間面会時間だけでした。

成人用ベッドの真ん中に、呼吸器やたくさんのチューブや器具をつけた小さな小さな私の娘が眠っていました。

母親の心音を真似た音の出る機械を枕元に置いて裸でオムツだけをつけたくらら。
抱っこすることもできず、無力なパパと私は、生まれる前の、お腹の中の居心地を思い出してもらえるよう、たくさん話しかけること、唯一触ることのできるおでこやほっぺに手を触れ、キスをして、パパとママがついてるから、明日も来るから、眠っている間にすぐ明日になるからね、と伝えることしか出来ませんでした。



くらら、うちの子に生まれてきてくれて本当にありがとう。

今はもう姿は見えないけれど、でも、いつもくららがそばにいてくれるように感じます。





くららの病気とその深刻度を知った時、鮫島 浩二先生の「私があなたを選びました」を読んで、うちじゃなければ、くららは健康に生まれていたのでは、私の娘でごめんね、という思いを持ちました。

でも今は、素直にくららが我が家を選んできてくれたんだと心から思います。

もうくららのいない人生は考えられないですから。





くららが大好きでたまらないパパは、「1歳」という日は特別だから、と、こっそりプレゼントを用意していました。



ピンクの帽子つきのウサギちゃんです。

ふわふわして柔らかくて、なんだかくららそっくりです。パパにしてはとても良いセンスです!






アトム君がくららの代わりにろうそくの火を吹き消し、保育園で習ってきた歌を歌ってくれました。



「誕生日、おめでとう♪、ぐんぐんのびて、天までとどけ、
ほんとにほんとにおめでとう♫」

2010年8月30日

7回目の月命日

8月28日はくららの7回目の月命日でした。

毎月の月命日は、どうしても旅立った日1月28日のことを思い出し、後悔や寂しさ、哀しみが溢れてきて、もう一度だけでいいから会いたい、抱っこしたい、という思いを普段よりも強く抱いて過ごしていました。

でも今月はいつもの月と違いました。

亡くなった日のことよりも、1年前の今頃、いつ会えるのかな、もうすぐかな、とワクワクしながら過ごしていた日のことを思い出し、懐かしく、温かな気持ちに包まれました。

予定日より早いですよ、とずっと言われていたけれど、あと3日で予定日となった去年の8月28日、生まれる気配が一向になく、少しでも体を緩めておこうと鍼灸院まで片道40分、電車で向かいました。

電車の中で破水したらどうしようかなぁ、、なんて思いながら。


あれからまだ1年なんて、とても昔のことのように思います。

去年の今日に戻って、もう一度くららを産みたいです。

2010年8月26日

くららの保険証

くららを出産した病院から、以前伺っていたくららちゃんの保険証のコピーが読み取れなくなってしまったので、お手数ですが再度保険証番号を教えてください、との連絡がありました。


くららを出産してその翌日には退院しているので、もう1年近く前にお世話になった件なのですが、今頃になって何か必要が出てきたのかな?


くららの保険証は、すでに返却済みなので返却先に問い合わせして番号を聞かないといけません。

なんだか悲しい作業・・・と思っていたら、パパが返却前にコピーを取ってくれていました。

さすがパパ!

酸素用チューブ

くららの出産前ギリギリまでお仕事をご一緒していた、大先輩にお会いする機会がありました。

御子さんのことは大変だったね、と声をかけてくださった流れから、くららの写真をお見せして少し立ち話をしました。

旅立つ直前で一番体調がよさそうな写真をお見せしたのですが、見た途端に

「こんなチューブを、、なんか痛々しいね。かわいそうだったね。」と涙ぐまれたので、あれ、写真お見せしたの良くなかったかな、とちょっとあわててしまいました。


私は見慣れているので酸素チューブや経鼻チューブがついていることすら忘れてしまいそうな感じで、親ばかの塊のごとく「かわいいでしょ~」というつもりで、感覚がマヒしているのかもしれないですが、見慣れない方からすると、赤ちゃんが酸素チューブなどをつけている姿は痛々しくうつるんですね。一つまた学びました。


2010年8月18日

羨ましいような・・ちょっと寂しくもあり

会社で感情が乱れずに平常心で仕事が出来るようになって数カ月が経過しました。


でも、先日こんなことが。


くららの2か月後にお子さんが生まれて育児休職を取られた男性が、お子さんの写真を見せながら同僚と席のそばで立ち話を。


「10ヶ月なんでつかまり立ちするんですよ。」
「へぇ可愛いね。でも髪の毛ないね」
「彼女なりにきちんと成長して髪の毛伸びてるんですよ。可愛いでしょ」


微笑ましい会話だなと思い、そして、ちょっと羨ましくもあり、、その後に会話が続いていくのが耳に入って
段々寂しさもでてきて。。


くららは今月末に1歳になります。
お祝いしようね、くらら。

2010年8月16日

映画 「うまれる」完成です

今日は仕事をお休みして、映画「うまれる」のイベントに行ってきました。

4月にも書いた映画「うまれる」
あの頃は、映像で流れる赤ちゃんを目にしただけで、すべてがくららと重なり、悲しみが溢れてきましたが
今回は、くららとの楽しかった思い出、くららを授かって、産んで本当に良かった、と思いながら参加できました。



今回は、
ナレーションを担当されるつるの剛士さん、
バースコーディネータの大葉ナナコさん
「オニババ化するおんなたち」などの著書で有名な津田塾大教授の三砂ちづる先生、
監督の豪田トモさん
のパネルディスカッション、挿入歌・エンディング曲のミニコンサート、
映画の10分間のダイジェストと盛りだくさんでした。



つるのさん、今まであまり「お父さん」のイメージが無かったのですが、
4人のお子さんがいらして、子供が5人が目標です!と声高に、素直な笑顔でお話しされる姿、
夫婦円満の秘訣を聞かれて、「僕は奥さんが好きで好きでしょうがないんです」と、屈託なく、邪気なく、本心からと伝わるトーンで話される姿、父として、夫としてとても魅力的で素敵な方でした。

アトムもこんな男性に育ってほしい、と思いました。


映画に出演する18トリソミーのとらちゃんも、会場で元気な姿を見せてくれました。


虐待には「世代連鎖」という言葉があり、親に虐待されて育った子が親になった時、わが子に虐待をしてしまう事象をいいます。
でもすべての人が連鎖を繰り返すわけではありません。
三砂先生がおっしゃっていたように、
「自分が嫌だったことは自分では繰り返さない、自分が子供のころに理想に描いていた親子関係・家族を、自分で作る、いつまでも親のせいにしても何も変わらない、自分の人生は自分で作る」
その言葉に強く共感しました。


大葉さんは、年齢だけで産むことをあきらめないで、と。
今40歳~45歳に出産する方は初産も含めて日本では3万人いるそうです。45歳以上でも年間600人!
子供を産むことは未来を創る、担っていく人材を生み出す社会の中での大切な役割。
ビジネスで利益を上げることとは比較にならないくらい、重要な役割です、と。



Happyなお話ばかりではありません。
産後うつについても話題に取り上げ、映画の中には流産、死産、不妊治療の末産めない、産まない結論も出てきます。

生まれてきたこと・自分が生きていることが当たり前だと思っていたことが、生まれるってこんなにすごいことなんだ、自分は奇跡の存在なんだ、とても大切な命なんだ、そう思える、
たくさんの大人たちにも、そしてたくさんの子供達ににも観てほしい映画です。


くらら、パパとママを選んでくれて有難う。


映画「うまれる」は今秋公開です。

2010年8月15日

美香子ちゃん ありがとう。

美香子ちゃんのご両親にお手紙を書こうと思ったのですが、どんなことばもご両親の悲しみを
癒す言葉にはならないように思えて、言葉が見つからず、筆を止めてしまいました。


今は、ひととき、ひとときが思い出とともに涙であふれて、そして
なぜ今会えないのだろう、なぜ抱っこできないのだろう、
昨日に戻りたい、心臓が動き息を吸っていたあの日に戻りたい、なぜ戻れないの?
今は夢で本当は現実にはわが子は生きているのでは、
そもそも病気自体が夢だったのでは、と、
悔しさ、寂しさ、愛おしさ、色々な想いが次から次へと溢れているのではないかと思います。



美香子ちゃんのお母さんの8月13日付のブログを読みました。
http://yaplog.jp/sf97/archive/578


旅立った後の最後のベッドバス、感染を防ぐためにずっと我慢していたわが子の唇へのキス、
くららが旅立った日のことと重なります。



病院で、死亡宣告を受けた後の最後のベッドバス、
美香子ちゃんのお母さんも書かれているように、チューブ類を付けていない状態でいれてあげるお風呂は、本当に穏やかで気持ちよく眠っているようにも思えて、でもどんなにお湯が温かくても体が冷たいままであることで、旅立ってしまった現実を肌で感じてしまう時間でもあります。



一度でいいから唇にキスしたかったけれど、何か感染でもしたら思うと存命中できず、旅立って初めてやっとすることができます。





美香子ちゃん、私も娘も、美香子ちゃんにどれだけ元気をもらったかわかりません。
本当に本当に有難う。
ずっとずっと忘れません。

2010年8月13日

今思うこと

美香子ちゃんを想い、くららを想っています。

会社にはお盆休みはありませんが、夏休みをこの時期取る人も多く、オフィスは人もまばらです。
電車も空いています。

くららは洗礼を受けたので、なんちゃってクリスチャンと思われそうですが、父やお友達に混じって、いつもより、より近くにやってきている感じがします。


美香子ちゃん
いまだに信じられません。
毎日、お母さんが病状や様々なデータを記載されていたブログが、8月7日で更新が止まったままであることを
見るたびに、とても深い悲しみが溢れてきます。

とてもガンバリ屋さんの美香子ちゃん、大好きです。




今私にできることはなんだろう?

日々考えています。


8月9日、法改正後初の脳死判定と、その結果の臓器提供がニュースになりました。
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/08/09/20100810k0000m040071000c.html

交通事故で脳死状態となり、ドナーになられたのは20代男性とのこと。

突然のこと、ご本人も御家族も、驚き、そしてその悲しみは如何ばかりかと思います。
ドナーの方のご冥福を心からお祈りします。


臓器提供意思カードは持っていませんでしたが、日頃口頭で家族に提供の意思を伝えていたことから、
今回提供するに至ったとのことでした。


ご家族も、心臓がまだ拍動するなかでの判断、とてもつらく、また迷われたことと思います。


今後、より多くの人が、万が一の時、自分の意思を自分で伝えられますように。
何かが自分の身に起こったとき、自分で意思を伝えることが出来なくなった時、

臓器を提供したいのか
絶対に提供したくないのか

そして、突然の病気による臓器不全になったとき、
移植を望むのか
移植は決して望まないのか



意思登録カードは、ローソン、セブンイレブン、サークルK、ジャスコにも置いてあるそうです。
http://www.jotnw.or.jp/donation/donorcard.html#about_installation

2010年8月8日

美香子ちゃん 美香子ちゃん 

美香子ちゃんが旅立ったこと、その突然のことに、いまだに信じることができません。


くららの分までと勝手ながら、わが子の姿を重ね、くららが旅立った後も、美香子ちゃんの頑張り、挑戦をブログで知るたびに、どれだけ励まされ元気をもらったかわかりません。


帰国したら是非お会いして、抱っこさせてもらって、お礼を言いたかった。




美香子ちゃん 本当にがんばりやさん。


いつどんなときも前向きで信念を持っていたお父さんお母さん。

ご両親のお気持ちを思うと、本当に言葉がありません。




ただただ残念でなりません。とても大きな喪失感にあふれます。

2010年8月7日

美香子ちゃん

美香子ちゃん お母様のブログを読んで、とても心配な状況とのこと。

祈ることしかできないけれど、絶対大丈夫、信じています。

2010年8月5日

Gone to eternal life

孤高のメスの「神の手にあらず」編(第二章みたいなもの?)を読んでいます。

第一章(外科医当麻鉄彦編)は日本における移植医療について、色々と自分なりの思いをめぐらせながら読みましたが、第二章はまた別な思いが途中途中で沸き起こってきます。

アタラックスP(鎮静剤)やキシロカインゼリーなど、くららに処方されていたお薬名が出てくるたびに、それぞれの薬を使っていた時のことが浮かんできます。

アタPは在宅になって最初のころに処方された鎮静剤でしたが、軽めのお薬であることもあり、また一日3度つかっていたこともあってか段々効かなくなり、トリクロがメインに変わっていきました。

キシロカインは鼻から胃へつながるチューブの交換時、使っていました。最初はオリーブオイルにチューブの先端を濡らして挑戦していましたが、私が不慣れだったこともあり、なかなか入らずくららが苦しそうだったので
病棟で使っていたキシロカインゼリー(のどの粘膜の表面麻酔効果があるお薬)を処方してもらいました。


主人公の当間鉄彦が、海外で患者さんを看取るシーン。
宣告の際、鉄彦が

「Gone to eternal Life」

と家族に告げました。

日本語なら「ご臨終です」-終わりに挑む、という意味に値するその言葉は、
英語で表現したら、永遠の世界(人生)に行きましたよ、という表現に。

すべての英語圏のドクターがそう表現するわけではないかもしれないですが、臨終という言葉よりも
永遠の世界に行った、という表現がなんて穏やかなんだろう、と胸に響きました。

2010年8月2日

この時代に。。

こんな食べ物があふれる国と時代に、大阪で1歳と3歳の子供が餓死というニュース。

くららとアトムとほぼ同じ年の、1歳と3歳です。

ママが大好きで、もっとも親を必要としている年頃。


色々な事情があったり、若く孤独ななかでの育児だったり、私には想像できない大変さがあったと思いますが、
それでもやっぱりひどい事件だと思います。


インターホン越しに「ママー」と叫ぶ声がする、と、児童相談所に3回も通報があったそうです。


虐待は、それが起きる背景には親の育ってきた背景、不景気など社会的要因など、色々な要因があるそうで、
残念ですがそれがなくなることはない、とも言われています。


でも救えることはできるはず。
なぜ救えなかったのか。


怒りというか哀しみというか、何か周りでしてあげられることは無かったのだろうか、救えたのではないだろうか、未来を担ってくれる大切な命なのに、本当に悔しく思います。


自分の周りのことに無関心にならないこと、それが私にできること。
少なくとも自分の周りではこんな悲しいことが起こらないようにしていきたい。

大人一人ひとりがそう思える世の中になっていきますように。

2010年8月1日

月誕生日 0歳11ヶ月

昨日7月31日でくららは満11か月になりました。


少し前から、おかゆは卒業して少し柔らかめのご飯をあげるようになりました。アトムも保育園で1歳前からおかゆは卒業し、フォローアップミルクもやめていたのですが、くららはミルクだけはまだ続けています。

朝晩、パパや私がミルクを作る時間、その習慣がなくなることが何となくさびしくて。


来月は1歳のお誕生日。1歳になると髪の毛も伸びてくる赤ちゃんが多いですが、髪の伸びたくららがどうしても想像できません。

歩く姿や走る姿は容易に目に浮かぶのですが、なぜか髪だけはお別れした時のままです。


今日、アトムがブロックを遊びをしながら、ピンクのブロックを目にして、

「あっくららちゃんの好きなピンクだ。ママ、ほら、これくららちゃん好きだよね~」と
見せに来ました。

じわ~っと心の中が温かくなりました。

アトムの中にも、パパや私の中にも、くららはずっと居てくれてるね、くらら。

美香子ちゃん 追加募金

美香子ちゃん 追加デポジットが送金できたとのこと、本当によかったです。

ただ、美香子ちゃんは長期にわたりICUに入っているため、今後も医療費が増えていくので募金活動は続きます。

自分の身に置き換えて思い出すと、くららがICUに入っていたころや在宅医療に切り替えつつ病院にお世話になっていたころ、私の気持ちは99%がくららの病状、体調のこと、1%がアトムのことでした。
(アトムにはさびしい思いをさせていたと思っています)

日本という国にくららが生まれて、「移植医療」の選択肢が無かったことは言葉に表現できないほどの悔しさを感じましたが、その一方で「国民皆保険」という恵まれた環境のおかげで医療費・経済的な不安に気持ちを取られることはありませんでした。


予断を許さない状況の中で、わが子の体調を案じケアすることに思いのすべてを注ぎたいのに、経済的な不安も抱えなければならない美香子ちゃんのご両親の思い、いかばかりかと思います。



小さな体でけなげに頑張っている美香子ちゃん、本当にすごいです。
子供の生きる力、回復力は奇跡のように思えることがたびたびあります。
体調が安定しICUから出られる日を、日本に帰国し、元気な笑顔を見せてくれる日を、
心から楽しみにしています。

美香子ちゃんを救う会
http://mikako-bokin.com/info/

美香子ちゃんのブログ
http://yaplog.jp/sf97/

くららが毎日お昼寝の時に聴いていたCD、本当によく穏やかに眠る効果があったので、くららのお友達にも機会があればお渡ししています。
美香子ちゃんも聴いてくれているとのこと、嬉しいです。
http://yaplog.jp/sf97/archive/559