2009年11月30日

セカンドオピニオン再び

ウランが本当にすばらしい生命力を発揮して、今日からミルクが20cc/回になった。
サチュレーションも72-73台で安定している。

昨日一晩考えた末、やはりあきらめることができず、底力が沸いてきた。

今朝一番にパパから静岡こどもと岡山大学病院にコンタクトしてもらい、最短でアポの取れる日がいつか聞いてもらった。ウランの状態が状態なだけに、それぞれの病院で尽力してくださった様で、静岡は今週4日金曜日、岡山は8日火曜日の予約が取れた。

匿名さんがコメントしてくださったように、親として納得が行くまでセカンドオピニオン・サードオピニオンを伺って見ようと思う。

静岡の心臓血管外科S先生も、岡山の心臓血管外科S先生も、いずれも他で助からないと言われた子どもの手術にチャレンジし、またその成功率が高いことでも有名だ。

ウランについても、「やりましょう!」といって頂ける事をただただ祈るばかり。

私はウランのそばを離れることが出来ないので、パパが会社を休んで静岡と岡山に行ってくれることになった。パパはアトム君の保育園の送りや寝かしつけも仕事で疲れた身体でやってくれている。本当に頑張ってくれている。

私の妹も、自分の家族がありながら、アトム君を保育園から迎えて、パパが帰宅するまで食事・入浴など面倒を見てくれている。

私とウランは沢山の人に支えられ、励まされ、期待されている。そんな皆の期待に応えようよ、ママ、とウランも言ってくれてる気がする。


とにかく間に合いますように。
そして、Positiveなご意見が静岡か岡山で伺えることを心から願って。

無力

これからは携帯からアップします。
薬でうとうと状態のウランですが空腹で怒っています。消化、吸収で体力消耗するから?か3時間毎に10ccしかミルク貰えないから。あとはナトリウムとブドウ糖を点滴。そりゃお腹すくよね 生後3か月で1日80ccじゃ。気休めにおしゃぶりをくわえさせ、なだめることしか私がしてやれることがありません。

先ほどウランを家に連れて帰りたい旨先生にお伝えしました。私だったら残された時間、病院ではなく家で過ごしたいし、きっとウランもそうおもっているから。容態の安定と家でのケアを私がマスターすれば帰れなくもない、とのこと。ウランの容態の安定は大前提だが、以下3つを主にマスターすれば帰れる。今なら何でもすぐに出来るようになる気がする。
◆ベッド上での洗髪と体拭き—酸素や経口チューブが外れないように気をつける
◆口から胃に経口チューブを入れられるようになること
◆聴診器を使って胃のチューブの状態を確認出来るようになること—チューブ口が胃に張り付いた状態でシリンジで胃残確認すると出血するので注意が必要

2009年11月29日

母親の責任

こんなとき、全てを悪いほうに考えてしまうのかもしれない。

3度も流産している私はもう妊娠すべきではなかったのでは。私じゃないママのところに授かればウランは健康に生まれることが出来たのでは。

健康に生んであげられなくて、本当に本当にごめんね。

彼女の生命力

ウランの生命力の強さには頭が下がる。今日鼻から空気を送る機械を外し、酸素のみにしたのだがサチュレーションは
72-73を保つまでに回復している。(送る酸素量は0.5から2リットルに増やしてはいるが)
一時は40台まで落ちたのに。ウラン凄い。あなたを誇りに思います。
 
静岡のセカンドオピニオン外来に再度メールで至急予約をとりたい旨伝えた。が、今日は日曜日。
動きが有るのは早くても明日。
 
もどかしい・・・・

2009年11月28日

急変

翌日の静岡子ども病院への移動が早朝で且つ病院が駅から遠いという事もあり、その晩は一晩のみウランをナースステーションに預かっていただくことにして、自宅に戻った。

自宅に戻ってからも、たった一晩はなれるだけで寂しいしとにかく心配で、ウランのことばかり考えていて、その様子を見てアトムくんは少しヤキモチを焼いているようで、「ママ抱っこして」と甘えん坊モードになっていた。2歳4ヶ月になっても、赤ちゃんみたいに甘えることがあるアトムくん、この先もう少し大人になっていくかな??

23時40分ごろ翌晩からの付き添いに備えて荷造りをしていると、携帯電話が鳴った。
病院から!!
病院からの電話なんて初めてで、嫌な予感がしながら電話に出ると、U先生だった。

「ウランちゃん、突然急変して呼吸がかなり厳しい状態になったので、お鼻から呼吸を助ける空気を入れる機械つけました。機械がいやで暴れちゃうと体力消耗してしまうので、お薬使って鎮静させています。急だったのでお母さんに確認するまえに処置してしまいました。」とのこと。

「すぐいきます!」と伝えると、落ち着いてるので急がなくても大丈夫、でもとりあえず病院に来たほうが良いし明日の静岡は一旦キャンセルしたほうがいいとのこと。

大急ぎで病院に向かいました。

そして今日まで、鎮静剤を使い、寝ているような起きているような状態のウラン。
ミルクは鼻からすら入れることが出来ず(消化でかなり負担がかかってしまうので)、塩分とブドウ糖の点滴をしている。

クリスマスとお正月、1度くらい経験してみようよ、と主治医の先生がウランに話しかけました。

涙が止まりません。
静岡も岡山もご意見伺えないまま、終わってしまうのでしょうか。
どうしていいかわかりません。

頑張ってウラン。

こんなときにブログを書いている場合ではないけれど、病室にウランと二人っきりでつい悲観的になってしまいます。
誰かに大丈夫だよといってほしかったり、なんでもいいから没頭したくてPCのキーボードを叩いています。

2009年11月27日

再入院!急遽

26日は隔週の外来受診日だったので、いつもどおり診察を受けようと病院に来たのだが、前日のミルク量がいつもよりかなり少なかったため(普段は320-400ml/日飲むところをこの日は260しか飲めていなかった)、先生が心配して経鼻(鼻にチューブを入れてミルクを胃に直接入れる)にしよう、とのことだったのだ。

経鼻にするには、数日入院して私が必要な作業を習得する必要が有る。具体的には、胃残の確認方法
(聴診器で胃の音を聞いたり。。)やチューブからのミルクの流し方、など。これらは最初の入院時にも病棟で自分でやっていたのでそれほど時間はかからないはずだが、難関は鼻から胃につながるチューブの入れ方!
自宅で鼻から抜けてしまったときに、都度病院に来るのではなく私が家で入れなおせるようになる必要があるらしい。。

こわいよー。

鼻からのおみそまでつながってるらしいし、、間違えて変なところに管いっちゃったら。。

週明けには退院できるらしいのでそれほど心配はしていない。

取り合えず、オムツすら持ってきていないので荷造りするのと、明日静岡のセカンドオピニオン外来にいく為今晩のみウランはナースステーションでお預かり。私は自宅に戻る。

ICUでの数日以外はママと離れたことが無いウラン。
大丈夫かな。
さびしがらないかな。

ママがさびしい。。

2009年11月24日

術後の経過

ICUの面会時間は毎日9時から10分間。

たとえ10分でもウランに会えると思うと、母乳が湧いてくるのだ。

だから毎日家で搾乳していました。ウランが母乳を飲んでも良いといわれるときのために
小分けにして、冷凍にして。

この日9月3日も冷凍した母乳を持参し、ICUの冷蔵庫に入れていただくようお願いした。
術後の経過はとても順調で、このままいけば1週間ぐらいで病棟にうつれるとのこと。
その時を楽しみに。

ICU


手術を終えて先生から説明を受けた後、ICUでウランにあった。
大人用のベッドに、人工呼吸器や点滴たくさんの管をつけたウランが寝ている。

ベッドが大きいから、本当に小さく見える。
それだけで涙がこぼれる。

ウラン、えらかったね。
ずっと一緒に居たいけど、今日は5分だけなんだって。

明日もまた来るからね。

そう話しかけて頭を撫でてその日は帰りました。

2009年11月23日

初めての手術

9月2日、朝7時30分に病院に到着し、手術を執刀してくださる心臓外科のT先生より説明を受けた。

・人口心肺装置を使うこと(心臓を一時的にとめること)
・輸血をすること(輸血血液製剤しように伴う問題)
・術後のリスク(PHクライシス、MRSAなどの感染症や急性心不全、脳や腎臓障害、不整脈などで命を落とす可能性)
を認識・理解したうえで同意書にサインが必要とのことだった。

産後の疲れもあって、また病気について難しすぎてよく理解できないところも正直あったが、とにかくサインし手術が無事に終わることを祈るのみだった。

手術の所要時間は3時間、その後5分程度ウランに会えるという。

生まれて3日目でこんなに大きな手術、がんばれ、ウラン!

ウランの誕生・・そして病気判明ーその4


翌日大学病院のNICUから電話があり、3日後に搬送予定だった心臓専門のS病院に急遽搬送が決まったので来て下さい、とのことだった。主人にも会社を休んでもらい、二人で大学病院に向かった。
ウランは大きな透明のヘルメットのようなもので顔を囲まれ、その中に酸素を入れているとのことだった。
酸素飽和度はなんとか60台を保っている。産婦人科にいるときよりは辛うじて良いけれど、それでも多呼吸で苦しそうだ。

手を握り、頭をなでて「がんばっておりこうさんだね。すぐにパパとママにまた会えるからね」と伝えて搬送用救急車を送り出した。救急車にはNICUの先生が同乗してくださり、私たちは後ろから車で追いかける形となった。

S病院で1時間近い検査の後、個室に通され、新たに主治医となる循環器小児科のM先生、U先生とお会いした。

「検査の結果、ウランちゃんは無脾症候群といって、非常に重たい病気です。この病気は心臓病を合併します。
いずれも薬などでは治らず、何度かの手術が必要です」
との第一声だった。

ムヒショウ?
初めて聞く言葉だった。

やっぱりそんなに重たい病気だったんだ。

なんどもなんども、夢だったりして、間違いでしたってことになったりして、と今日まで自分をだましてきたが、やっぱり
現実だったんだ。

ウランについて診断は下記。
■房室中隔欠損
■両大血管右室起始
■肺動脈狭窄
■共通房室弁(逆流)
■総肺静脈環流異常→肺静脈狭窄

症状としては、
◆チアノーゼ(酸素の少ない血が全身を流れるため、皮膚の色が紫色)
◆多呼吸
◆哺乳不良
◆体重増加不良

そして現在の一番の問題は「肺静脈狭窄」による肺高血圧(肺に血が流れないため低酸素状態)とのこと。

とにかく、この肺静脈環流異常を修復しないとすぐにでも命が危ないそうで、明朝手術するとのこと。

こんな生まれてすぐに手術って。。
そんな体に産んでしまって、ウラン、本当にごめんなさい。

そんなに悪いのか

先日主治医のS病院 M先生からお電話があった際、現状でも急変は十分ありえるから、とのことで、その場合の対応をご連絡頂いた。

例えばうんちなどでいきんだ際に血圧がガクッと下がったりして顔色が真っ白になったり、何らか突然チアノーゼがひどくなったりした場合はすぐに救急車を呼んで下さい、とのことだった。

その場合、間に合えばS病院に搬送してもらうよう、先生から救急隊の方に伝えるので必ず電話を入れるように、また救急隊の判断で、S病院まで間に合わないようなら最寄の救急指定である大学病院へとのことだった。
S病院は家から車で1時間近くかかるので、そのときのウランの状況次第ですぐに処置を行ったほうが良い場合もあるとのことで。

気になったのは最後の一言。
「最悪の場合は死亡確認になってしまうかもしれないけど・・・」

えっ!?
そんなことも想定されるくらいウラン悪いんですか?

とは怖くて聞けなかった。というか言葉が出なかった。

1歳の誕生日は難しいかな、とは先日伺ったけれど、それまでは後9ヶ月近くある。
裏を返せば、感染症を予防すれば、少なくとも後9ヶ月は一緒にいられる、と思っていた。

そんな急に、思いがけずに離れてしまうことも想定しておかなくちゃいけないのか。

私はもっと強くならなければ、、これから先の試練に耐えられるだろうか。。。

でも、それでも、ウランの生命力を信じているし、日々元気に成長していく姿を見て、この子はもっと生きられる、
きっと手術・治療してくれる病院がみつかる、と毎日思い続けていく。

カルテ開示

先日S病院の主治医 M先生からお電話を頂いた。
セカンドオピニオンを静岡こども病院で受けるにあたって、紹介状等の連絡事項のご連絡だった。

そういった内容はこれまで病院の事務の方からご連絡頂いていたので、不思議に思っていると
「そういえば、カルテ開示希望されたそうですね」といわれた。

そうそう、先日紹介状を病院の事務の方に依頼した際、診療記録やCTのコピーを私も持っておきたいが可能かどうか相談したところ、「カルテ開示請求」をしていただければ可能です、とのことで早速その申請を出すことにしたのだった。

私が診療記録やCTコピーを持っておきたい理由は、
静岡でもS病院同様手術は出来ず余命を全うするのみ、とのご意見だった場合、リスクの高い手術にもアグレッシブに取り込むとのことで有名な岡山大学の小児心臓外科医 S先生にあたってみたいと思い、その場合は急を要するので、再度病院に紹介状を書いてもらう日数も待てないためだった。コピーを私が持っていれば、まずはそれを岡山にFAXなりで送り原本は出来次第郵送という形をとれば、タイムラグが防げるのではと考えたのだ。


その考えをM先生に伝えたところ、そういうことなら宛名なしの紹介状を用意してはどうか、とのことだった。
カルテ開示請求はあまり良い請求ではないとのこと!
そんなこと事務の方おっしゃってなかったのに、、私は上述の目的が果たせる資料があれば何でも構わないのでカルテ開示請求は取り下げることにした。あーびっくりした。

外出のリスク その2

静岡にウランを連れて行くにあたり、医療連携室のKさんに下記3点の対応可否を確認した。

1.酸素を病院で借りることが出来るかどうか。
→今通っているS病院では、病院に着いた時点で酸素を無料で借りられるので、持参する酸素ボンベは往復の移動時間分のみ
で済む。
>今回は診察ではなく、自費での外来のため有償でなら貸せるとのこと。

2.ベビーコットを借りることが出来るかどうか。
→やはり今通っているS病院では、病院に着いた時点でコットを無料で貸してくれるので、コットにウランを乗せて下の二台に酸素ボンベを載せて受診や支払いなどを行っている。乳児は睡眠時間も長いし荷物も多いので大変便利。

ベビーコットの貸し出しはなし、ベビーカーなら空きがあれば貸せるとのこと。
首も据わっていないし、鼻に酸素用カニューレついているけれど乗れるのかな。まだベビーカーに乗せたことが無いが。。
駄目なら酸素ボンベをリュックのように背負って外来で待とうと思う。

3.予約時間までの間、一般の待合室とは別に個室などで待たせてもらえるかどうか
→こどもの病院ということもあり、インフルエンザなど感染系の重篤な患児さんも受診されることが予想される。
同じ場所で順番を待つには、感染を出来るだけ避けるよう指示の出ているウランにはリスクが高い。
特に個室などは貸せないので、普通の待合室で待つようにとのこと。重篤な感染症の患児は別室で待つようになっているとのこと。だた、折り悪く、この日から新型インフルエンザの予防接種がこども病院で開始となるので相当混雑するとのこと。
かなり早めに受付を済ませるよう指示を受けた。



ウラン連れて行って大丈夫だろうか、、悩む。。

外出のリスク その1

さて、静岡に行くことになり、ウランをおいていけるかどうかを検討し始めた。
生まれてから今まで、ICUにいた以外はママと半日以上離れたことが無いウラン。

パパですら、半日以上はママ無しでウランとすごすことが出来ない。夜中などたまにはアトム君と寝てあげないとと思い、ウランの添い寝を代わって貰っても、ウランの寝ている部屋から10分以上泣き続ける声が聞こえ、結局私が添い寝に戻るのだ。

診察は無くとも、ウランはやはり連れて行こうて行こう。

新幹線は感染のリスクが高いので、車でいけるならそのほうがウランちゃんのためにはいいよ、とM先生もおっしゃるので、パパに有休を取ってもらい、車で静岡まで行こうと思う。片道2時間ちょっとの距離だが病院での時間も含めると
ウランは相当体力を消耗すると思う。1泊にしたほうがいいだろうか。

いずれにせよ、ウランを連れて行く場合、静岡こども病院で以下の3点可否を確認する必要がある。
1.酸素を病院で借りることが出来るかどうか。
→今通っているS病院では、病院に着いた時点で酸素を無料で借りられるので、持参する酸素ボンベは往復の移動時間分のみ
で済む。

2.ベビーコットを借りることが出来るかどうか。
→やはり今通っているS病院では、病院に着いた時点でコットを無料で貸してくれるので、コットにウランを乗せて下の二台に酸素ボンベを載せて受診や支払いなどを行っている。乳児は睡眠時間も長いし荷物も多いので大変便利。

3.予約時間までの間、一般の待合室とは別に個室などで待たせてもらえるかどうか
→こどもの病院ということもあり、インフルエンザなど感染系の重篤な患児さんも受診されることが予想される。
同じ場所で順番を待つには、感染を出来るだけ避けるよう指示の出ているウランにはリスクが高い。

医療連携室Kさんに相談してみよう。

セカンドオピニオン外来

今週末静岡こども病院のセカンドオピニオン外来に行くことにはなり、その準備等で先方の医療連携室のKさんという方らご連絡を頂いた。

色々話を聞いて分かったのは、セカンドオピニオン外来は、
・診察はしない(これまでの治療・検査結果を元に、静岡こどもとしての見解をお話頂く場)
・保険は使えず自費
とのことだった。

今お世話になっているS病院の主治医 M先生には、静岡で診察もしてほしいし、先方が出来るとおっしゃればすぐに転院して
治療を開始して欲しい旨を伝えていて、紹介状についてもセカンドオピニオン外来、診察どちらでも使えるように書いておいたよ、とのことだった。

その旨を医療連携室Kさんに伝えたのだが、まずはセカンドオピニオン外来で話を聞いた上で、転院するなら後日改めてその手続きをすること、よってウランは当日は連れてこないようにとのことだった。

東京から静岡、そう何度もいける距離じゃないし、遠いからこそ先生にまずはウランを診て欲しいと思ったのだがそこはどうしても駄目、診察はしませんとのこと。

診察してもらうことも可能ってM先生は言ってたのだけどなぁ。。sigh

2009年11月22日

あきらめない

今の病院は都内でも有名な心臓の専門病院。
先生方も高名で素晴らしい方々がそろっていると思います。

そこで手のホドコシようが無い、といわれてしまったけれど
私もウランも、絶対にあきらめません!!

静岡こども病院は、他の病院で治療が出来ない、無脾で1歳まで生きられないと宣告された
お子さんの手術と治療を行い、実際に今元気で暮らしてらっしゃるお子さんもいる、と病院ホームページの
患者さんからのコメントに書いてある。

セカンドオピニオン外来があるともホームページに記載してたので
早速コンタクトし、今の病院からカルテや手術、治療の経過など診療情報を提供していただくよう依頼しました。

そして今週末、こども病院のセカンドオピニオン伺ってきます。
これまでの診療情報を見て、ウランを診てくださるかどうか、手術を出来るといってくださるかどうか
先方の検討結果を聞きに。

2009年11月20日

青天の霹靂 その2

カテ当日、ムンテラのために小部屋で待っていると、カテは中止しましょうという言葉で説明が始まりました。

前日のCTの結果、先生が予測していたよりもはるかに状態が悪く、4本ある肺静脈のうち、3本が閉塞してしまっている
とのこと。
残り1本も少し狭くなり始めていることもあり、この1本にハイリスクな検査、オペは避けたほうがよいとのことでした。

CT画像はあまりにも衝撃的で、この狭くなり始めた1本でこの先の治療はどうなるのか、怖かったけれど、でも
1番聞かなければならない質問をしました。

その結果、、、この1本をたとえ広げる手術をしたとしても、再狭窄を繰り返し、同じようなオペを何年かに1度
行うことになる、そうなると、病院での生活がほとんどとなり、QOL(Quality of Life)が低下するであろうこと、
また今何らかの対応手術をしても、リスクが高く成功率は5割以下であることを矢継ぎ早に伺いました。

手術をやっても、ウランちゃん自身がチアノーゼで多呼吸の苦しいままで、その上フォンタンへたどり着けないのであれば
先生のおっしゃる通り、手術をしない選択肢もある、と思いました。

ただ何もしないままで、ウランちゃんは生きていくことができるのかどうかが最も重要なポイントです。
その点を先生に伺ったところ




「1歳の誕生日は迎えられないかなぁ」





検査のために入院しただけなのに!

1か月以上前から、少し具合が悪くなってます、って外来も受診してたのに!

フォンタンまでの期間、育児休職している会社とどうやって休業期間の折り合いつけようかって
でも何よりウランちゃんが元気になるのだったら仕事辞めてもいいって!

最近笑ったり手遊びも始めてちゃんと成長してるのに!

何より、今ここで元気でウラン生きてるのに!






いろいろな思いが頭を駆け巡りましたが、どう気持ちの折り合いをつければいいのかわからないまま
でもお忙しい先生方を引き留めてもいけない、と思い、人生を入院ばかりで終えるのはウランも望まないと
思います、だから手術をしないということで同意しますとお伝えし、お部屋を出ました。

青天の霹靂 その1

生後すぐに受けた総肺静脈環流異常の修復オペ、
予後は非常に順調で、入院期間1カ月で退院することができました。

外来は月1回の予定だったのだけど、退院から2週間経過したぐらいから、呼吸数が急に増えて
70-80回/1分にまで増えたので受診することにしました。(健康な赤ちゃんは40回前後/1分らしい)

心エコーをして頂いき、もしかしたら肺静脈が狭くなって(狭窄)きてるかもしれないけれど、
急を要するほどではないので、外来で様子を見ましょう、とのことで、外来を隔週に1度に増やしました。

3度目の外来で「狭窄の具合を一度カテーテルで見たほうがいいから、カテ入院しよう」とのことで
11月上旬に2泊3日で入院することになりました。

前回の入院と違い、今回は退院する日も予めわかっているし、何といっても検査だけなので気軽な気持ちで
入院したのに。。

2009年11月13日

ウランの誕生・・そして病気判明ーその3


大学についてNICUに向かうと、ウランちゃんは病院を出たときと大きく異なり、
いくつかのモニターと酸素の管がつけられていました。

SPO2(動脈血酸素飽和度)は、50-60台、健康な人(赤ちゃんも大人も)は100前後ですから、半分しかありません。
多呼吸でつらそうです。

その姿を見て、こらえていたものがこみ上げてきました。

NICUの主治医の先生から、いくつかの心臓疾患が見つかっており、かなり緊急且つ難易度の高い手術が必要なので
受け入れ先を探していること、早ければ3日後に搬送可能の予定、との説明を受けました。

とにかく助かって!!と願うだけで他に出来ることもなく、その日は出産した産婦人科へと戻りました。

夜、、両隣のお部屋からは元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
廊下では、「おっぱいが張って痛いよー。母乳がんがんあげないと!」という産後のお母さんの声が聞こえます。

私の赤ちゃんはNICUで泣くこともせず、私は母乳をあげることも出来ない思いで
このまま産後の入院期間である残り4日間をこの場で過ごせる精神状態ではありませんでした。

ウランちゃんの急な搬送に備える意味でも、主人と一緒に自宅で過ごしたい旨、助産師さんとドクターに相談し
たところ、駄目とは言いませんでした。その代わり、必ず自宅で安静に過ごすことを約束してね、とのこと。
快く退院診察もして下さいました。

かくして産後1日で私は産婦人科を退院し、翌日は自宅から大学病院のNICUへと向かったのでした。

ウランの誕生・・そして病気判明ーその2

救急車で近くの大学病院に搬送されたウランちゃんは、心エコーなどあれこれ検査を受けるとのことでした。
私は出産直後だったので、取り急ぎ主人に大学病院に向かってもらい検査結果をまってもらうことにしました。

検査結果が出るまでの間、産院のベッドで不安に駆られながらも、10ヶ月何の問題もなくお腹で過ごしてきたし
生まれた姿もとても可愛く、チアノーゼ以外何も変わった様子も無かったので、まぁ大丈夫、と気楽に
うたた寝してすごしていました。

ウランちゃんが救急車に乗ってから5-6時間後のこと、主人から電話がありました。
主人の第一声は、とても深刻な沈んだ「もしもし・・」でした。
何かとても悪いことだ、、と直感しました。

「心臓がかなり重症な状態で、ここ(大学病院)では治療が出来ないから治療が出来る病院ですぐに受け入れてくれる
ところを今探してくれてるって。すぐに手術しないと命が危ないって」

あまりのショックに涙も声も出ず、やっとの思いで「すぐそっちに行くから」と伝え
助産師さんに事情を話して外出させてもらい、タクシーで大学病院に向かいました。