2010年4月30日

月誕生日 0歳8ヶ月

今日でくららは満8ヶ月です。


ミルクのメーカー、明治から送られてくるバースデーメールには
「自分の意思もはっきりしてきて、甘えて泣いたり、抱いてほしいと手を伸ばしてきたり…。こんなにマ
マを求めてくれるなんてちょっとうれしかったり、たいへんだったり……。」
とありました。

そうか、くららは抱っこして、と手を伸ばせるようになってるんだ。
すごいね、くらら。

病棟でのお友達、Sちゃんのママからくららカラーのお菓子を頂きました。
ピンクのリボンがとても可愛いです。



パパは、くららのお手手にピッタリの小さな小さなブーケを買ってきてくれました。


くらら、8ヶ月おめでとう!

2010年4月29日

アトムにとってのくらら

保育園の行き帰りの道で、家族で出かけた海で、家の中で、私やパパと過ごすあらゆる場面で、アトムは大きな声でくららにも話しかけます。

新しい発見があったとき、嬉しいことがあったとき。

例えば、自分の好きな車種の自動車が通ったとき、一人で何か出来ることが増えたとき、
「くららちゃーん 今オンペンカー(オープンカーのこと)が通ったよ!」
「くららちゃーん アトム君 一人でパジャマのボタンできたよ!」という感じです。

最初の頃、自分の語りかけにくららが答えてこないのが不思議だったようで、段々と、私がくららの声真似をして、
「アトム君、くららもオンペン見たい!」
「アトム君、凄いね!」
という風に応えるようになり今に至っています。


でも最近、保育園の教室など私や主人以外の人がいるときは、私たちの耳元で小さく
「くららちゃん、xxみつけたよ」と言うことに気が付きました。

無意識の中で、人前では大声でくららに話しかけないようにしているアトム。
くららを「家族の一員」と理解し、思ってくれている気持ちへの愛おしさがある反面、無意識にアトムが使い分けている「気遣い」のようなものが心配になってきました。



くららの在宅看護が始まってから、パパの帰宅が遅いときは、アトムは一人で寝せていました。
もう、お兄ちゃんだから大丈夫だね、と。でも、まだ2歳、きっと寝るまで付いていてほしかったかもしれません。

アトムにもくららにも色々な苦労をさせてしまいました。



くららの月命日、くららにお花やお菓子を頂きました。



お花のリボンには可愛いピンクのハートのシール。


お菓子もピンク色、くららのほっぺみたいにプルプルしていました。

忙しい日常の中で、わずか5ヶ月の人生だったくららのことを覚えていて、思い出してくれる、本当に有難いことだと思います。

言葉がないくらい、有難いことだと思っています。

2010年4月28日

3回目の月命日

今日はくららの3回目の月命日です。

会えなくなってとても長く感じますがまだ3ヶ月。


昨日の夜、丁度アトムの寝かしつけの時間に、くららの写真などを飾っている「くららスペース」のライトが消えました。

調べてみたけれど、電球は切れていなくて。何度か直すたびに点灯するのですが、その場を離れるとまた消えて。


パパとアトムとともに、くららがイタズラしてるんだね、と話しました。


突然「アトムくん、くららちゃんの夢みる!」とアトムが言い出したりもして、くららが家の中いっぱいに溢れているようでした。


くらら、お家まで来てくれていたんだよね?


くららの見送りの日、くららに、私の使っていた口紅をうっすら塗りました。


くららにつけたものは永久保存して、同じ色のものをコピーで持とうと思ったのですが、メーカーに問い合わせたら既に廃盤とのことでした。とても残念です。



お別れの日の朝、
麻の白いブラウスにピンクのワンピースを着て、ふわふわの白いボレロを羽織って、白い小さな靴下を履いて、唇だけうっすらピンクで、ミニ白雪姫みたいで、ほんとにほんとに可愛かったです。


悲しみも涙も、無くなることはないし、薄れることもないんだろうな。生きていくってことは
悲しみや涙が日常のものとなっていくこと、最近そう思います。

2010年4月26日

映画 「うまれる」

昨日は、今秋公開予定の映画「うまれる」のイベントにパパとアトム、くらら、家族揃って参加しました。

http://www.umareru.jp/

参加のきっかけは、そうちゃんママのなみさんが以前くららに会いに来てくださった際に、うちのテーブルにあった「わたしがあなたを選びました」の本を見て、この著者である産婦人科医 鮫島 浩二先生が出演されるイベントがあるので、良かったら、とお誘い頂いた事でした。

監督 豪田トモさん、バースコーディネータの大葉ナナコさん、俳優の別所哲也さん、そして鮫島先生が出演され、パネルディスカッション、大葉さんのお話、別所さんによる「わたしがあなたを選びました」の朗読などがありました。

週末はくららと会話できる自然溢れる場所に行くのが私たち家族のこのところのスタイルでしたが、映画のテーマに強く共感したことに加え、このイベントでは赤ちゃんの泣き声や子どもが騒ぐのはすべてイベントのBGMと謳っていたことでアトムも気兼ねなく参加でき、何よりくららとたくさん会話することが出来て、とても素敵な時間を過ごしました。


イベントの間、心に響く言葉を聞く度に、くららに話しかけ、くららを想いました。
確認したわけではないけれど、イベントの合間合間に鼻をすすっていたところを見ると、その想いはパパもおそらく一緒だったようです。



出産を美化しがちなドラマ、映画はこれまでもありましたが、この映画は、
「うまれる」というテーマを、幸せ一杯・順調な出産だけでなく、
✔流産
✔死産
✔不妊治療の末の産まない決断
✔先天性疾患を持ってうまれた子供を育てるということ
✔虐待されて育った自分が母親になれるだろうかという葛藤を持ちながら臨む出産
など、リアリティに溢れ、また一つ一つに真摯に取り組んだ印象を受けました。


イベントの合間に、くららに謝ったことも1つあります。

映画に出演する18トリソミーを持った男の子、虎(トラ)ちゃんのママ、直子さんの、「1歳まで生きられる確立が10%以下といわれて、生きられるのは後何ヶ月、あと何ヶ月、と、いつの間にかこの子の死ばかりを考えてしまう時期があり、そんな自分たちが凄い嫌だった」という言葉に、私もそうだった、と。
くららの命は今何合目ですか、と急変するたびに先生に聞いてしまったり、奇跡を信じていたはずなのに、くららがいなくなってしまったら、とつい考えてしまっていた自分。


虎ちゃんのパパとママはとても立派です。
この子が生きている限り、信じていく。わからない「先のこと」ではなく、「今」この子と向き合って生きる、そう思い、虎ちゃんと過ごしている様子、本当に胸を打ち、尊敬しました。

私は瞬間、瞬間をくららと向き合えていたかどうか、自信が無くて、くららに謝りました。

くらら、ごめんね。
ママは弱いから、突然なんて絶対に嫌だから、つい先のこと考えてしまいがちだったように思う。
もっともっと信じていれば結果は違ったのかもしれないよね。



大葉さんがおっしゃっていた言葉。
流産、死産、その他でちょっと早く天に返してしまう命もあるかもしれないけれど、と。

くららも神様からの預かりもので、少し早くお返ししたのであって、「失った」んじゃない。
いつか、、そういう風に思えるようになるだろうか。

2010年4月23日

天使の保護者会

明日は、午前中がアトム君の保育園の保護者会、午後はくららの保護者会です。


先日グリーフカウンセリングを受けた際に、その病院付属の看護大で実施している天使の保護者会という、グループでのグリーフワークの会を紹介頂きました。

個人のグリーフカウンセリングだと有料ですが、天使の保護者会は無料であるという利点に加えて、パパも一緒に参加できる場所だそうです。


女性に比べて男性は悲しみと向き合う場所や時間がみつけにくいため、悲しみに蓋をして過ごしがちなので、との、カウンセラーさんのパパへの気遣いです。


流産・死産・新生児死亡など赤ちゃんを亡くしたお母さん・お父さんが対象で、亡くなった子どものことや気持ちを語る会を年に何度か実施しているとのことでした。



大学内で様々な視点での看護の提供方法を研究しているとのことで、おそらくデータを集めるなど研究の一環で無料になっているのかな?。これは私の推測ですが。


確かに、私は、カウンセリングを受けたり、ブログでその時々の揺れる気持ちを吐露したり、くららに手紙を書いたり会話したりすることで、時として、悲しみと向き合う空間があります。

一方、パパは私とくららについて会話する以外に、気持ちを吐露する場所が無く、、又私以上に電車や会社、公共の場で泣かないようにこらえているように見えます。

でも、毎日、ウサコのレプリカを大事にスーツのポケットに入れて通勤することでくららと一緒にいるように日々過ごしたり、くららを思い出して部屋でひっそり泣いていたりします。


私だけでは受け止めることの出来ないパパの悲しみが、この天使の保護者の会で少しでも受け止めてもらえるなら、と思い、二人で参加することにしました。



天使の保護者会の案内に

「忘れるのでもなく、断ち切るのでもなく。私たちはいつも天使と一緒です。
頑張らなきゃなんて思わないでいい。後ろ向きだってありでいい。」

という文言があり、とても心に響きました。


頭では頑張らず自然の流れにまかせよう、と思いつつも、どうしても、日々の暮らし・仕事の中では、泣かないよう頑張らなきゃ、前を向かなきゃ、と、いつの間にか歯を食いしばり、身も心もガチガチに堅くなっているように感じます。

でも、ここでは、くららの話をしたり可愛い笑顔の写真を見せたら重いって思われるんじゃないか、なんて気にしなくてもいい、
好きなだけくららのことを話せて、「気を使ってもらってるなぁ」という有難くもちょっと居心地が苦しい空気もなく、身も心も緩めていいんだな、そういう思いで参加します。




ウサコを高く掲げるくららです。

ウサコの本物は、くららが身につけていたものなので大事に保管しています。パパも私もウサコのレプリカを持っています。

2010年4月22日

戸籍抄本

会社から「育児休業等終了時改定」※の届出のため、お子さんの戸籍抄本と世帯全員の住民票提出してください、との連絡がありました。


従業員数も多いし、社員一人ひとりが社内の弔事連絡を把握している事のほうが珍しい現状ですから、やむをえない事、誰も悪くないだけに余計やるせない気持ちになります。


くららの戸籍抄本は取れないから除籍抄本になります、その一言とそのための背景を説明する事がこんなに自分にとって動揺を生み、深い悲しみを呼び戻すものとは。


くららはもう戸籍には載っていない。


今更ながらに気づいた事実です。


とても動揺してまた思考が止まりそうな自分と、こういうことを一つ一つクリアし積み重ねて時間は流れていくんだろうか、と思う自分がいます。


※育児休業等終了時改定とは・・・・
国による少子化・子育て支援の一環として、平成17年4月から、従来の標準報酬月額の随時改定とは別に、育児休業等を終了した際の標準報酬月額の改定(育児休業等終了時改定)が導入されました。これによって、実際の報酬の低下に応じた保険料負担となり、育児休職明けの従業員の経済的負担の軽減を図る事をできるようになります。
(http://www.weblio.jp/content/ 年金用語集より引用)

昨年私の勤める会社は、コスト削減により全社員一定の割合の給与削減があったので、それに準じる形でこのの改定申請のため上記書類が必要とのことでした。

2010年4月20日

遺伝子検査の結果

先日書いた遺伝子解析(サブテロメア解析)、夫婦ともに問題ありませんでした。
(http://urandemain.blogspot.com/2010/03/2_05.html)

初回の遺伝子カウンセリングを受けた段階で、問題が見つかる可能性が低いしお金もかかることなので検査の必要はないのでは、と再三医師に言われました。でも、自分が納得いくまでやらないと、私は自分を保っていられない状況でしたので迷いなくお願いしました。

確かに気軽に出来るような金額ではなかったけれど、
くららが就学したり成人式があったり結婚したり、、節目節目でのことがしてやれないと思えば、本当に微々たる物でした。


結果が出るまでの期間、何か私に問題があって、予めその問題がわかっていれば、点滴や酸素や手術や色んな痛い思いや苦しい思いをくららにさせずに済んだのでは、胎児の段階でわかっていて早期治療を開始していればこんな風に失わずに済んだのでは、と思い続けてきました。

でも、検査の結果を含めても、予防できる術は無かった、一定の確率で起こることです、と、先生に言われました。
何をしてもどうやっても防げなかった運命だったということ?
検査結果がでてなお、そんな風に思うことは出来ません。

原因不明であっても、健康に産んであげられなかったという思いを自分の中から拭い去ることが出来ません。

運命だったということを事実として受け入れる日がいつか来るのでしょうか。



「私があなたを選びました」
くららが生まれてから、何度も何度も読んだ本です。



くらら、

ママのお腹にいたとつきとおかと、生まれてからの4ヶ月と28日、
その時間を過ぎたら離れ離れになるってわかっていたのに、あんなに苦しいからだだったのに、くららはその運命とからだを選んで、パパとママのところに来てくれたの?

どうしてそんな大変な人生を選んだの?

もっと元気なからだを選んだらいけなかったの?

次に会ったときに、ママにくららが選んだわけを教えてね。

2010年4月17日

「死」という言葉の響き

少しずつ、ですが、日常の生活で何気ないことに笑ったりすることも思い出してきました。

でも、ふとした時、突然襲ってくる悲しみや感情の揺れは、やはり、どうすることも出来ません。
どうすることもしなくていいと思い始めつつ、一方で、くららに二度と会えない、くららがいないこと、そのことが今更ながら受け入れがたく感じる瞬間があります。


打たれ弱く神経過敏になっているのか、くららとの別れの過程である意味自然な反応なのかは自分では客観的に判断できないのですが、「死ぬ」という言葉にとても動揺します。

職場で多忙を極める同僚が何気なく発した「忙しくて死ぬ寸前ですよ」という言葉。
死んだら香典山ほど包んでやるよ、とユーモアで返す人、死んだら使えないっちゅーの、というやりとり。

以前なら気にとめることも無かったであろうそんなやり取りに、思いがけず感情が揺れ、思考が停止してしまい、そのあと仕事が手につかなくなってしまいました。

そう、死んだら何も出来ない。

時が過ぎれば、また気にとめることはなくなるのか、それとも、一生こんな風に感情が大きく揺れ、深い悲しみが押し寄せるのか。

2010年4月15日

美香子ちゃん

美香子ちゃん 移植が終わったとのこと、これからも拒絶反応など心配事はあると思いますが、一つ一つクリアできることを信じています。

http://yaplog.jp/sf97/archive/457

そして、ドナーの方のご冥福とご家族の悲しみにも心から哀悼の意を表します。


美香子ちゃんの付けているBiPAP、似てるものでCPAPをくららも付けたことがありました。呼吸を助ける機械ですが、美香子ちゃんママも書かれているように確かにお鼻の穴がかなり広がり、将来お鼻の穴の大きさ大丈夫かしら、、と心配になりました。

乳児の治療は本当に見ていて痛々しいことばかりです。
点滴も、静脈が細いので腕からはとれず、くららは手の甲から取ったりしていました。点滴を固定する包帯は、ゆびしゃぶりの月齢だったのでよだれでベタベタになりますが、「漏れたときにわからなくなるよ!」と看護師さんに叱られたりも。。

美香子ちゃん くららも一緒にNHKの「ザ・プロフェッショナル」出演時に、美香子ちゃんを応援していました。(http://urandemain.blogspot.com/2010/02/blog-post_20.html)
今もきっとお空から応援しているはず。

2010年4月12日

ヒブワクチンと肺炎球菌ワクチン

アトム君、肺炎球菌ワクチンを接種しました。

くららが最初に入院した際に、ヒブワクチンと肺炎球菌ワクチンは何よりも先に接種するように主治医の先生からお話がありました。

細菌性髄膜炎の原因菌となるヒブ菌と肺炎球菌にくららが感染した場合、その日のうちに死に至ります、とはっきりと言われました。


そのときに、アトムも両方接種しておいたほうが良い、と言われましたが、小児の肺炎球菌ワクチンは2009年の12月に厚労省の認可が下りたばかりで、やっと最近接種可能になりました。

くららは生まれてすぐの手術の際に輸血をしていたので、生ワクチンの予防接種が出来るようになるのは輸血から4ヵ月後、とのことでした。
そのため、まずはアトムについてヒブの予約をかかりつけの小児科で試みました。

しかし、、ヒブワクチンは国内での供給数が少ないため、どのクリニックに聞いても「予約は受け付けるが、接種時期は未定、スタンバイリストに入れておきます」との回答で、すぐに受けられるところが見つかりませんでした。

結局、くららの主治医の先生に相談して、心臓病の専門病院で、アトムのヒブワクチンを接種させてもらったのでした。


くららについては、9月末にスタンバイに入ったクリニックから今もって連絡は来ていません。


細菌性髄膜炎は、健康な子どもでさえも命を落とす危険の高い感染症だそうです。
ヒブワクチンも肺炎球菌ワクチンも、アメリカを始めとした世界100カ国以上で20年以上前から公費で無料接種できている予防接種です。

日本での認可が遅れた理由はわかりませんが、やっと認可され接種が可能となったものの、ヒブに関しては上述のように供給量が制限されて希望してもなかなか接種が出来ない上に任意接種のため高額となっています。

私の住んでいるエリアではヒブ・肺炎球菌共に約1万円でした。

「健康であることの奇跡」を思う今、限られた財源の中で、本当に生きるために必要なことに必要なコストを割いてくれる国になってほしいなぁ、と思います。


生きてるからこそ、未来があって、いろんな可能性が広がるのだから。


くららがセカンドオピニオンでお世話になった病院で、NICUの受け入れ制限解除のニュースにもひとごとと思えず、ホッとしました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100402-00000014-san-l22


日本においては、ここでしか実現できない医療、対応できない手術、医療技術があります。

それゆえに、県外からもドクターヘリ等で運ばれる赤ちゃんがたくさんいると聞きました。

くららは生まれたその日に最寄の病院のNICUに入れて頂けて、幸い都内の心臓病の専門病院にも受け入れて頂けたけれど、いっときを争うときに、そのタイミングで受け入れて頂けていなかったらどうなっていたことかと思います。



必要とする子ども達が、必要なときに、必要な医療が受けられますように、心から願っています。

くららの病気

くららの病気のことについて、復習の意味で振り返ってみます。

当時のメモを見ながら振り返る作業はとてもつらいことですが、それ以上に忘れてしまうこと、記憶が薄れていくことが怖いので。


理解が誤っている可能性もありますので、お気づきの点があれば教えていただければ幸いです。

■無脾症候群について

正式な医学名は内臓錯位、内臓逆位という。
人間の内臓は本来左右非対称に作られますが、何らかの原因により右対象になっている場合は無脾症、左対象の場合は多脾症となる。


内臓が左右対称となるため、当然心臓も左右対称となることから心臓の合併症を伴う。
また、無脾の場合は脾臓がつかさどる免疫機能を持たないため感染症などが重症化しやすい。
※大人になると、脾臓が持つ免疫機能は肝臓・血液その他でカバー出来るようになるので脾臓が無いこと自体はさほど大きな問題にはならない、と聞きました。

乳幼児の間は、様々な病気に感染すると重症化しやすいため、あらゆる予防接種を受けること、健康な赤ちゃんなら風邪程度で済むRSウィルスに感染すると非常に重症化するため、毎月1回シナジスという予防接種を受けていました。実費の場合1回¥16万程度、と言われ、保険が適用されてかなりホッとした記憶があります。



■心臓疾患

★単心室・単心房
くららと同じように、心臓の部屋(心室・心房)が分かれておらず、一つの部屋になっている状態を単心室・単心房という。
通常、全身から戻ってくる汚れた血液を右室から肺へ送り、新たに作られるきれいな血液が「左室」から全身へ送られるが、単心室・単心房の場合は部屋が分かれていないために、汚れた血液と新しい血液が混ざり合い、チアノーゼ(血中酸素濃度(SPO2)が低いために皮膚や爪が紫色になること)になる。

くららの生後間もないSPO2の値は60前後、健康な人(赤ちゃんでも成人でも)は一般的に100前後。


★肺静脈還流異常
無脾の子は、肺静脈や肺動脈の疾患を合併する場合が多い。

4本ある肺静脈がすべて本来つながる左心房ではなく別の場所につながっていることをいう。

くららの場合は、肺静脈還流異常(Ⅲ型)で右心房や肝臓につながっていた。

肺静脈を左心房につなぎなおす手術が必要になるため、くららは生まれて3日目に心臓を止めて、この肺静脈をつなぎなおす手術(肺静脈還流異常修復手術)を行った。

この手術後SPO2は75前後に上昇。

★心臓機能修復のプロセス

一般的に、以下の2~3回の心臓機能修復手術を受けるとSPO2が99程度になり、チアノーゼも無くなる。

くららもグレン、フォンタンを終えれば保育園や小学校にも普通に通えるようになります、といわれていた。

1)BTシャント手術

2)グレン手術

3)フォンタン手術


1)BTシャント 新生児~乳児期 体重目安 4-5kgぐらい

新生児期に行う場合もある、人工血管を使って肺血流を確保する手術。
この手術をすることで肺血管の成長を促す。(次の手術の要件を満たせるようにするため)

くららはこの手術は必要ないとのことで受けていません。

2)両方向性グレン手術 乳幼児期 体重目安 7~10kgぐらい

上大静脈と肺動脈をつなぐ手術で次のフォンタン手術のための姑息術。
この手術を終えると、体と肺両方に血液を送り出していた心臓の負担が減るため、SPO2も酸素吸入無しで80程度に回復する。

3.フォンタン手術  乳幼児期 体重目安12kgぐらい 

下大静脈を肺動脈をつなぎ、下半身の血流を肺動脈に流す手術。この手術が最終手術となり、術後はSPO2は99程度に回復し、チアノーゼも無くなる。

くまの‘くまら‘



「くまら」が家にやってきました。

くまの「くまら」は、くららが生まれたときと同じ体重です。

足には「Kurara」という刺繍と、生まれたときの身長・体重が書いています。

朝起きて、会社に行く前、帰宅後、眠る前、、、くららをどうしても抱っこしたくなったときに「くまら」を抱っこします。

私の母に先日くまらを見せにいったところ、おもむろに押入れから包みを出して、「春になったらくららに着せようと思ってたの」と、80cmのピンク色のロンパースを出してきて、くまらに着せ始めました。

胸にはウサギの絵が描いてあるロンパース、やっぱりくららのトレードマークはウサギです。

高齢の母に心配をかけてしまい、またくららを想ってくれているその気持ちを考え、また泣けました。


「くまら」はくららのお洋服を頂いて、我が家で暮らし始めました。


2010年4月7日

きみのママより

そうちゃんママのなみさんのブログ(http://ameblo.jp/sounami/)で紹介されていた「きみのママより」という歌をこのところずっと聴いています。

くららがお腹に来てくれてから今までの思い、本当にそのままの歌詞。

なみさん、そうちゃん、

いつも素敵な歌を教えてくれて有難うございます。



歌詞のなかの
「初めて聞いたきみの声 忘れないわ
ママを選んでくれたきみにやっと出会えたんだね

ママのままの寂しさも きみが包んでくれるの
ねぇ聞いてちょうだい これだけは伝えたい
ありがとう 生まれてきてくれて」

というところが思いと重なって本当に心に響きます。

歌詞を全部引用すると著作権侵害になってしまうそうなので、歌詞のリンクを張ります。
(公にリンクが認められていることを確認しました)

Cちゃん 著作権のこと教えてくれて有難う。

きみのママより 初田悦子 歌詞情報 - goo 音楽




くらら、「くらら」って名前は気に入ってくれていますか?

パソコンをキャスターで引きずりながら、遠くの工場へ出張したり夜遅くまで残業したりして、お腹の中で嫌ではなかったですか?

パパが間に合わなくて、ママと二人での出産、ママを支えてくれて本当にありがとう。

今は、酸素のカニューレも外れて、お腹一杯ミルクを飲んでいますか?

Mちゃんやそうちゃんと仲良く遊んでいますか?


どんなときも守るって思っていたのに、守れなくて本当にごめんなさい。


ママやパパやアトムに会いたくなったら、いつでも会いに来てね。

ママはいつだって、くららにとても会いたいです。

生まれてきてくれて、本当に有難う。

2010年4月4日

はなちゃん


今日はくららが旅立ってから初めてのイースター。

ミサに参加しながら、まだ腕に抱いていた洗礼の日のこと、最後にこの手の中にくららがいた見送った日のことが浮かんできました。


帰りに、イースターのお祝いがてらケーキを買い、くららにあげました。


チョコのケーキにしたけれど、くららはどんなケーキが好きになっていたんだろう。



そして、色々なことが始まる4月。アトム君の子どもチャレンジの4月号には、しまじろうに家族が増えるストーリーになりました。しまじろうに妹のはなちゃんが生まれました。

絵本や付属のDVDには、生まれたてのはなちゃんのイラストや、実物の赤ちゃんの写真が入っていて、本当にやわらかそうで可愛い。


その赤ちゃんのほっぺをなでなでしながら、
「これはアトムくんの(妹の)くららちゃんだね」
と言いながらアトムは読んでいます。


最近 アトム君はいくら待ってもくららがお家に帰ってこないことに気が付いたようで、事あるごとに
「ママ、くららちゃん帰ってこないねぇ。帰ってこなくてさびしいよ」
と言う様になりました。

そうだね、ママも寂しいよ、と応えながらも

なんて説明したらいんだろう、正直に事実を伝えようと思いながら、事実って何だろう、と
考えます。

くららはいないけれど、でも心の中にくららはいる。でも姿は見えない、姿としては帰ってくることはない、そのことを向き合って伝えたいけれど、うまく言葉にできなくて。

2010年4月2日

「ありがとう」の気持ち

くららが生まれて、その直後から今まで感じたことのない様々な種類の悲しみや不安を持ってきました。

でもそれ以上に、わが子への愛情や幸せも今まで以上に深く持ち、そして「存在してくれていること」を「当たり前」と思わずに、1日を無事に終えられたこと、朝を迎えられたことに、日々感謝する気持ちを持つようになりました。

そしてまた、周りの方々の温かさ、思いやりも、本当にありがたいなぁと思っています。

皆それぞれ人生で色々と悩みやつらいこともあり、日々仕事や家事・育児で時間も気持ちもフル稼働なのに、私や私の家族を気にかけ、温かい言葉をかけてくれたり、お手紙や本等を通じて、寄り添ってくれていたりすることに、言葉だけでは伝えきれない、深い、深い感謝の気持ちを感じています。



生きているとほんと、色々と困難があります。

「神様はその人が乗り越えられない困難は与えない」と言うけれど、時には、いえいえとても私には無理です、私はそんなに強い人間ではないのに、何故私にこんな試練を?と思うこともあります。

それでも、必死に歯を食いしばって生きていく。

死ぬことより生きることのほうが試練だと思うときはある。


だけど、必死に生きようと、この世に生まれてきてくれたくららを思えば、その分まで私も必死に生きていこうと思います。

そう口に出して、言葉にすることで、自分に言い聞かせてるのだけど。

2010年4月1日

イースター

電車に乗っていたら、ディズニーランドの新しいイベントのつり広告が。
今年からイースターのイベントも始まるとの事。


今週日曜日はキリスト教で最も大事な祝日であるイースターサンデー(復活祭)です。


何の知識も無く、私も主人もクリスチャンでは無いのに、くららに洗礼を授けて見送りにも立ち会ってくださったこと、本当に神父様、教会に感謝しています。



くららも復活してくれるでしょうか。


イースターが終わったら、悲しみだけの日々から、希望のある日々に変わりますように。