2010年11月28日

10回目の月命日

今日はくららの10回目の月命日でした。



母がくららに、とケーキを買ってきてくれました。くららの好きなピンク色っぽいのを、とのこと。
有難う、お母さん。



11月のこの日は、去年を思うと気持ちが穏やかでいることができず、朝から電子レンジの中や普段手を付けない棚の掃除などに没頭したりしてみました。


「哺乳力低下にて昨夕外来から緊急入院。
夜勤帯に入り、呼吸状態悪化。NC-CPAPにて呼吸管理開始。
アシドーシス見られ、ジュータミンにて補正す。

11月27日の午前1時15分にご両親来院。今後病状進行の可能性が高いためmotherにご連絡し付添をお勧めした。静岡への2nd opinionは延期の方向でご了承頂いた。
人工呼吸器の管理は望まない。お腹がすくのはかわいそうなので鎮静を併用して寝ている状態でも良いとのこと。これ以上の侵襲的な治療については積極的に行わない方針を確認」


カルテの記述です。

今でもはっきりと覚えています。
26日の外来で体重が減っていることから哺乳力低下のため、口から飲むのを止めて鼻から胃へのチューブを入れて注入する必要があること、注入手技の習得のため入院の必要があることを告げられました。

27日は静岡こども病院への2nd Opinionでくららも連れて行く予定でしたが、寒さもあるし病院で他の病気貰ってもよくないから、まずはご両親だけ行ってきたら、と主治医の先生に言われ、1泊だけくららをお願いして、27日の夜から私も付添する予定になっていました。

27日の0時ごろ、病院から急変の電話を受け、駆けつけたとき、その日の日中まで抱っこして口からミルクを飲んでいたくららが、CPAP(鼻からの人工呼吸器で呼吸を休まないよう強制的に呼吸させる機械)をつけてアシドーシス(体の酸性度が強くなりすぎていること)をおこしていると聞いて、主人と二人パジャマ同然のまま駆けつけました。


それでも私はくららが旅立つことはない、絶対に持ち直す、そう信じていました。
誕生日は迎えられないかな、と言われたけれど、誕生日は8月31日、まだ11月なんだから、まだまだ私たちは一緒に過ごすんだから、と思っていました。

でも、普段両親以外入ることのできない病棟に、祖父母、ご兄弟等面会のご希望があれば、と言われた時、そんなに悪いの?とそれまで強く信じていたものが揺らいで、泣いてはくららが不安に思うのに涙が止まらなくなってしまいました。


28日のカルテには以下の内容も付け加えられていました。
「母より、寝ていて静かでさびしいけれど、寝ていたほうが楽なんですもんね。

母の思い、表出できるよう関わっていく。
家族面会、許可する方向で。(兄はマスク着用にて入室許可)
ご家族の希望最優先で」


そして28日、私の母や妹、アトム、主人のお母さん、妹さん等がくららに会いに来てくれました。

誰ともほとんど会話ができませんでした。不安と混乱と説明のつかない気持ちの中で、ただただ絶対に失いたくない思いで頭が一杯でした。



でもね、くららはすごいんです。

そこから先生や看護師さんが驚くほどの回復力で、CPAPが外れ、点滴も外れ、先生が在宅でのTerminal Careを目指す方向で投薬を切り替えていきましょう、とおっしゃってくださって、12月5日に退院しておうちに戻れたんですから。

やっぱりあの時、ママが信じていたことは間違いじゃなかったんだ。
今でもそう思います。

周りがどんなことをいっても、親は子供を信じること、信じていてよかった、本当にそう思いました。

2010年11月27日

映画「うまれる」 あと1週間!

映画「うまれる」、関東圏は12月3日までで上映終了となるそうです。
DVD化の予定が今のところない、というのが残念。もう一度観たいし、アトムがもう少し大きくなったら見せたかったです。。



ふとしたきっかけがあり、美谷島邦子さんが書かれた「御巣鷹山と生きる」(新潮社)を読みました。

美谷島さんは、日航機墜落事故の遺族会である「8.12連絡会」の事務局長であり、当時9歳の次男健ちゃんを事故で亡くされました。

事故から25年が経った今、美谷島さんがこの本を書かれたのは
「事故を風化させたくない」という思いと共に、昨年生まれたお孫さんが小児脳腫瘍で1歳までに4回の手術をされてて、そのお母さんである美谷島さんの長女が言った言葉がきっかけとなったそうです。

「ママ、子供はね、親を選んで生まれてくるんだって。健はママの子で良かったね」
「病を持つ私の娘は、私たち夫婦のところを選んで生まれてきてくれたんだもの。私頑張るよ」

この頃は本当に皆、親を選んできてくれている、そう思います。

アトムもくららも。もしかしたら、私もそうだったんだろうな。

2010年11月26日

ジョン・トラボルタ

ジョン・トラボルタの奥さんケリー・プレストンが48歳で第三子を出産されたとのこと。

今まで知らなかったのですが、2年前に当時16歳のご長男ジェットさんが突然死されていたそうです。ジェットさんは川崎病の持病があったとも言われています。

以下抜粋・引用です。
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ふたりは結婚して19年になるおしどり夫婦だが、2009年1月に当時16歳だった息子のジェットが突然死するという悲劇に見舞われた。3人目の子供が欲しいと何年も子作りに励みながらも子供を授からなかったふたりは一度はあきらめたものの、ジェットを亡くした後、再び子作りに専念。そして遂に今年の5月、56歳と48歳にして妊娠を発表した。
まるでジェットの生まれ変わりでもあるかのように男の子を授かったトラボルタは、「奇跡が起きた」と喜びを隠せない様子だったが、ケリーが高齢であるため、最後まで心配は尽きなかったよう。それだけに喜びはひとしおのようだ。

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子供を亡くした後の妊娠については、亡くなった状況や原因によって、またその事実の受け止め方や時の流れによって、色々な考えがあるのだと思います。


くららが旅立った後に、私はもう一度娘を抱きたいと思い、女の子が我が家を選んでやってきてくれたなら、と思ったことがありました。


それからしばらくして、今の年齢で子供を授かり妊娠が継続できたとしても、またわが子を失うようなことが起きたら、生きていくことができない病気だったら、という思いに加えて、もし娘を授かることができたとしても、くららにも色々としてあげたかったのに出来なったことを申し訳なく思ったり、何かその子が出来ないことやわがままを言ったりしたらくららはおりこうさんだったのに、と何かにつけてくららと比べてしまうんじゃないか、という思いが生じました。

健康に生まれることが奇跡であること・健康でさえあれば、ということを身をもって感じているはずなのに、くららに妹が出来たら、その子の個性が尊重できなくてくららについ重ねてしまうんじゃないか、それはその子にもくららにも失礼なことなんじゃないか、だから、生涯、娘はくらら一人でいいのかな、そんな風に思ったりもしました。


でも、最近周りでそうちゃんママを始めおめでたいニュースが続き、今回のニュースも聞き、わが子を失った悲しみが無くなることはないけれど、家族が増えることや亡くなったわが子の思いを継いだ新たな命が授かることの喜びは素晴らしいものなんだな、と感じるようになりました。

2010年11月25日

11月25日

今日11月25日はくららのお友達のMちゃんの命日でした。

Mちゃんはくららと同じ無脾症で、くららより5カ月お姉ちゃん。


産後間もなくの入院と付添生活で、病気についての理解もなかなか出来ずたくさんの不安の中で、同じ病気のお友達に病棟で出会えて、今後の成長や育児について色々と先輩であるMちゃんママに相談にのってもらい、たくさんの元気をもらいました。


一年前の今の時期、くららが1歳の誕生日を迎えられないでしょう、と主治医の先生に言われて間もない頃、同じ病気のお友達にこの事実を話しては心配をかけてしまうのでは、となかなか言えずにいました。


くららを抱っこしてミルクを飲ませながら、離れたくないなぁ、別れなくないなぁと泣いてばかりいたころ、Mちゃんママからの電話。

本当に急なことで、驚き、というよりも現実のことと思えなくて、言葉がでませんでした。

あれからもう一年がたったなんて。


コニータルボットちゃんが歌う「I will always love you」を聴くと、Mちゃんとくららが二人でいる姿がいつもなぜか浮かんできます。


Mちゃん これからもくららと仲良くしてくれたらうれしいです。お空から、くららと一緒に皆を守ってね。

2010年11月24日

久しぶりのマンガ

先日、なみさんの赤ちゃんに会いに伺った際、マンガをお借りしました。

折原みとさんの「天使のいる場所」という本です。

NICUや小児がんの子供が入院する小児病棟等、新人のドクターが研修で色々な診療科を経験していくお話なのですが、第1巻~第4巻まで、マンガでこんなに泣いたのは初めてです。

どの状況もとてもリアルに頭に浮かんできて。

最初は静岡こども病院か神奈川県立こども医療センタをイメージして書かれたのかな?と思っていたら、長野こども病院がモデルとなっているとのことでした。

長野こどもはくららの主治医の先生も以前勤務されていた病院です。


院内にファミリーホームと言って、家族が寝泊まりできる施設があったり、誕生死や低体重で人生を終えた赤ちゃんのためのお洋服を、同じように小さくしてお子さんを亡くされたお母様たちが手作りで作っていたり(誕生死や低体重児の場合、市販の洋服は大きすぎるので)、医療行為のみならず、子供とその家族をサポートすることも含めて「医療」として取り組んでいること、素晴らしい環境だと思います。


くららがICUにいたとき、わずか10分の面会の後、病院と家との間の1時間の距離、何か急なことがあったらどうしよう、どんなに早くても1時間かかってしまう、そう思うと毎日不安で眠れませんでした。

余命宣告を受けた後の単発の入院の時など、その時々で「覚悟をしておいてください」といった言葉を聞くたびに、パパもアトムもくららも家族みんな一緒にいたい、と思いました。

小児に限らず、重病者を扱う病院内や病院の近くにファミリーハウスのような施設がもっともっと増えるといいのに、とその当時から思っていました。


こういった家族や患児のQOL(生活の質)も含めて考えたうえでトータルサポートをして下さるこども病院の多くが赤字を抱え、財政難である現実はとても残念なことであり、またこういった医療行為や保険点数で解決できないようなインフラ・環境整備の部分に、子供手当のような予算を使うことも検討してほしいなぁと思うのでした。


マンガは全7巻とのことなので、残りの3巻もさっそく買って読もうと思います。

2010年11月22日

3歳児の理解

夕飯を食べていると、突然アトムが「ママ、くららちゃんは死んじゃったの?」と言い出しました。

日ごろからどなたにお話しするのでも、「死んだ」という言葉をずっと避けてきて、天国へ行ったとか旅立ったという表現を使ってきたので、一体どうやってその表現を覚えたんだろう、という疑問がまず先に。そして、その言葉の響きに内心とても動揺して、なんて答えようと一瞬考え込んでしまいました。

でもいつか必ずその表現を知り、言葉の意味を理解する日は来るので、意を決して
「そうだよ、くららちゃんは死んじゃったの。でもお空からずっとパパやママやアトムを見て守ってくれてるんだよ」と答えたところ、「もう会えないの?どうして死んじゃったの?」と新たな質問が。

お食事終わってからゆっくり話そうね、と答えてそのままにしていたら、眠る前にしっかり覚えていたようで

「くららちゃん、どうして死んじゃったの?」と聞かれました。


「くららちゃんはね、お胸の心臓っていうところが病気でね、治らなかったの。」

「病院でお医者さんにちっくん(注射のことです)してもらえばよかったんじゃない?」

「お医者さんでも治せない難しい病気だったの。」

「天国に行るの?」

「そうだよ、いつもお空からくららちゃんのお友達と一緒に見てるから、今まで通りたくさんお話して
朝起きたらおはようしてあげてね」

「ママ、ママも死んじゃうの?」

「ママはいつもアトムのそばにいるよ。でもね、いつかママがもしお空に行ってもちゃんとくららちゃんと一緒にアトムをいつも見て守ってるから、大丈夫だよ」


「アトム、ママ死んじゃったらいやだな。」と半べそになってしまいました。

このやり取りを通じて、アトムは3歳4カ月になって「死ぬ」という意味をその年齢なりに理解し、くららについても新たな思いが出てきているのかなと感じました。


生きること、死ぬことについて、この年頃の子にどうやって答えるのが良いのか、もっと良い答え方や正解があるんじゃないか、という迷いを抱きつつ、素直に思いのままに答えてしまいました。良かったんだろうか。。

2010年11月21日

そうちゃんお兄ちゃんになる

いつもお世話になっているそうちゃんママのなみさんが10月27日に第二子を出産され、そうちゃんの弟君であるりっくんに会いに行ってきました。

アトム以来約3年ぶりに元気な赤ちゃんに接して、なんともいえず癒されました。りっくん、頭の形がとても綺麗で鼻筋も通っていてとても美男子です。そして、元気な泣き声を聞いて、なみさんとともに、「泣けるって素晴らしいことだよね」と。

りっくんのふとした表情やしぐさに、そうちゃんの面影を感じて、やっぱり兄弟なんだぁと思う、となみさんが言っていました。


わたしもアトムの中にくららを感じることがあります。

アトムを抱っこするときはくららも一緒に抱っこしている感覚で。

くららに色々してあげたかったのに、ではなくて、アトムと過ごしアトムに何かしているときは、くららにも一緒にしている、くららと過ごしている、そう思います。



りっくんと会った後にそうちゃんの写真を見たら、なんだかそうちゃんがとてもお兄ちゃんらしく見えました。


カメラを持っていくのを忘れて本当に残念でしたが、抱っこしたりっくんの柔らかさと温かさで、体も暖まりました。

2010年11月16日

修ちゃんを救う会

先天性心疾患である総動脈幹症で生まれた現在2歳の修ちゃん、総動脈幹症の術後に拡張型心筋症になり、アメリカ ロマリンダ大による受入れ内諾を得て、渡航移植のために現在募金活動が行われています。


心疾患は悪化すると慢性心不全の様態になります。

くららも慢性心不全になって、寒い季節の中、血液の循環が悪いため手足は冷たいのですが、べったりとした汗をかくようになり、特に調子が悪く泣いたりミルクの消化で体力を使った後は御着替えが必要なほど衣類まで汗びしょになりました。


年齢が低いほど、体力がなく急変もあり体力消耗による渡航のリスクが高いと聞きます。

修ちゃんがんばれ、がんばれ!!

渡航という、サンタさんから少し早いクリスマスプレゼントが届きますように。

修ちゃんを救う会

2010年11月14日

映画「うまれる」

ずっと心待ちにしていた映画「うまれる」 観てきました。

映画のレビューコメントで「CGやアニメーションがうさんくさい、ドキュメンタリーなのにCG?」等辛口コメントも出ていたので、作品を応援してきた1ファンとしては、親心というか、そんな胡散臭かったらどうしよう、、と始まる前はドキドキしてしまいました。


確かに、冒頭のCGは神秘的すぎて正直違和感を感じなくもなかったですが、本編が始まってからは4つの家族の苦悩、葛藤、愛に、心から涙し、また感動しました。

誕生死でお子さんを亡くしたご夫婦が、どうしてうちなんだろうと思った気持。
他の人に起きていいことではもちろんないのだけど、すごい確率でどうして私の子が?という思いは、私も同じように思ったことがありました。

母親が自分を責める気持ち、あの時ああしていれば違った結果になったのでは、という後悔等あまりに共感しすぎて嗚咽が漏れそうになってしまいました。

先天性疾患を持つとらちゃんのご両親の言葉にも共感する部分がたくさんありました。

いつ心臓が止まってもおかしくない疾患を持ちつつ在宅を始めたとらちゃん。同じ病気の子の8割は1歳を迎えずに天国に行くといわれているそうです。

毎日、とらちゃんが悪くなっていくのを待つような状況になってしまった時期があり、それが本当に嫌だったと。今はこの子は青春真っ盛りで、持って生まれた役目を果たしたらまた戻っていくんです、ということが最近ようやくわかった、とご両親。

私も、くららの余命宣告後、外来のたびに、くららの命は今何合目?いつまで一緒にいられるんでしょうか?と主治医の先生に尋ねたことがありました。


離れるのが怖くて、少しでも心の準備をしておけないか、そんな今思えば馬鹿げたことを思っての質問でした。どんな情報を得ても、心の準備なんて出来るわけもなく、娘を手放すことがつらくなかったり怖くなかったりするわけがないことを身をもって知った今、もっともっとくららが生きているその瞬間瞬間を、精一杯楽しんで笑顔で過ごしてあげればよかった、と思います。


不妊治療を9年間続けた末断念されたご夫婦のつらさ、葛藤もまた涙しました。
これだけ医療が発達しても子供を持てない、女性として産めないつらさをとても冷静に語りながら、インタビューのふとした瞬間、その方が流された涙。
一瞬流した涙に「あ、ごめんなさい」とその方は冷静に謝るのですが、その方の冷静さを保ちつつ内面に抱える大きな苦悩やつらさがスクリーンを通して伝わってきました。


約2時間、観終わった後目が腫れて、帰宅後は心が浄化され、泣きすぎて消耗したこともあり、久しぶりに夜中目覚めることなく、朝までぐっすり眠りました。

2010年11月7日

死者の祈り

11月7日日曜日、今日はくららの葬儀でお世話になった教会の日曜ミサに行ってきました。


11月は、キリスト教では「死者の月」として、ミサも死者のために祈りをささげてくださるとのお知らせを頂きました。

くららの小さな写真を持って行ったところ、ミサの間、祭壇に飾ってくださいました。

アトムもパパも私もイースター以来のミサの参加でしたが、以前は退屈して何度も中座していたアトムが、今回はお手洗いの1回だけで、40分ちゃんと参加できたことに驚きつつ、お兄ちゃんらしく頼もしく感じました。

礼拝の間に、神父さまがこの一年に他界したものの名前を呼ばれ、「アンジェリーナくらら」と呼ばれた時にはつい去年の12月に洗礼を受けたときのこと、葬儀の日のことを思い出してしまい、涙があふれてきました。

「ママ、どうして泣いてるの?」とアトムに聞かれ
「ちょっとくららちゃんに会いたくなっちゃって」と答えると
「ママ、ほらあそこにくららちゃんいるでしょ」と祭壇に飾られたくららの写真をアトムが指さしました。

そうでした、くららはいつも近くにいてくれているはずなのに、いないと思ったりして駄目なママです。

2010年11月3日

うまれるイベント 「俺がママを救う!」

ブログでも何度か書いた映画「うまれる」の公開直前イベント「育児を考える男子の集い ~俺がママを救う~」に家族全員で行ってきました。

パネルディスカッションのパネラーは、4人のお子さんを持つお笑い芸人の土田晃之さん、元フジテレビアナウンサーで第二子妊娠中の政井マヤさん、元株式会社楽天取締役副社長で4人のお子さんを持つ本城愼之介さんでした。


土田さんがいらっしゃったおかげでとても笑いの多い、明るいディスカッションでした。
とても印象的だったのは、土田さん 本城さん共に「とにかく奥さんが一番大好き。その気持ちがあるから奥さんのためにも育児に関わるのは自然なこと」というニュアンスのことをおっしゃっていました。

これは前回のイベントでパネラーだったつるの剛士さんも同じことをおっしゃっていました。

子供はあっという間に大きくなる、そのあとにまた夫婦二人で過ごす時が来るのだから、子供がいることが前提で成り立つ家族ではなく、まず夫婦があってその次に子供と、土田さん。

うーん、耳が痛い。

我が家も、アトムとくららが中心です。送り迎えを交代でしていることもあり、平日は本当にすれ違い、夫婦二人の時間はとれず、大事な連絡事項はメールですることも多々あります。

正直、私の周りには「今でも奥さんが一番好き!」という方よりも、結婚すると女の人って強く図太く変わるよね、、といったことをいう方が多いので、とても新鮮に響きました。


横に座っていた主人も苦笑いしながら聞いていました。


そしてまた、男は最初から父親にはなれない、いかに父親として育てていくか!ということもおっしゃっていました。


確かに女性は10か月の間、お腹の中で自分の体形や体調の変化を伴いながら、母親として育つ期間がある一方で、男性にはそれがありません。

土田さんは、長男の時に、いきなり家に赤ちゃんが来てびっくりし、いつ帰るのかなぁと思ったそうです。
でも4人目のお子さんが生まれたころには、夜泣きは当たり前にご自身が対応するようになっていたし、お休みの日はお子さん4人を連れて外出することで、奥さんにお休みしてもらうことも自然なことになっていったそうです。

育児=育自(自分を育てる)と言いますが、プラス「育児」には夫を育てることも含まれるのだなぁと実感。
今後は出来ないことに不満を言うのではなく、ゆっくりじっくりアトムに接するように主人にも接するよう
努力しようと思いました(この気持が継続しますように。。。)


映画「うまれる」は11月6日土曜日公開です。

監督からの裏話として、映画は公開して1週間が勝負なのだそうです。1週間のうちに集客数が少ないとすぐに打ち切り決定となってしまうのだとか!
観たいと思っていらっしゃる方がいたら、早めに観に来て下さい、そして観たら映画評論サイトで感想をたくさん書くことも公開期間を延ばすポイントの一つです!とのことでした。


私も当初は月末に観ようと思っていたのですが、来週観に行こうと思いなおしました。



シネスイッチ銀座限定だそうですが、以下3つの特別サービスがあるそうです。

◆毎週木曜日の13時50分の回は赤ちゃん・お子さん連れOKのママさんタイム
◆11/8(月)、9(火)、15(月)、16(火)、17(水)、22(月)、29(月)の7日間、無料ベビーシッターサービス提供
(1歳以上 事前予約が必要だそうです)
◆プレママ割引 妊婦さんは1,000円(母子手帳の提示が必要)

そしてまた11月7日日曜日は以下の3つの映画館でナレーションを担当したつるのさんと監督豪田さんの舞台あいさつがあるそうです。

◆シネスイッチ銀座
◆チネチッタ川崎
◆109シネマズММ横浜

2010年11月2日

臓器提供ー家族が決断するとき

10月31日の深夜0時50分から放送され録画しておいたNNNドキュメント「臓器提供-家族が決断するとき」を観ました。

番組の紹介文を以下に転記します。
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今年7月の改正臓器移植法の施行後、脳死下の臓器提供が相次いでいる。普段メディアで映し出される「臓器移植」は、病院から臓器が運び出される場面や、移植を受けた人が元気になった姿だけだ。家族が「愛する人の死をどう受け止め、提供を決断するのか」といった現実は伝えられていない。法改正により、本人の意思はなくても家族が臓器提供を決断できるようになり、家族に寄り添う移植コーディネーターの役割は重要になった。番組では、これまで撮影が許されなかった移植コーディネーターの臓器提供の現場に密着。小林由紀子さん(37)が、息子の臓器提供を決断した家族に向き合う姿を通じ「命のリレー」と呼ばれる臓器移植の原点を見つめる。
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ドナーとレシピエントをつなぐ、移植コーディネータさん。ただでさえ数は少なくまた激務のため辞められる方も多いと聞きます。

看取りの時間の少ないドナーの家族にずっと寄り添い、また臓器提供の後、亡くなられた後にもご家族の元を訪ねお悔やみと感謝を伝える。臓器が提供されたら終わりではなく。とても大変な仕事だと思います。


ドナーのご家族からの臓器提供の意思が病院側に伝えられた時点で、そのエリアに飛び、心停止下での提供の場合には、ドナーに自然に死が訪れるまでの時間、ご家族に寄り添いつつ、そのエリアで過ごすそうです。

くららを考え移植医療とそれを取り巻く現状について考えながらこの番組を観る一方で、ワーキングマザーのの立場で観たときに、「家庭を持ち、育児をしながら続けるのがとても難しい職業」だという印象も持ちました。


これから、日本で移植医療への理解が深まり、渡航することなく自国の医療の選択肢の一つとなっていくことを望む中で、移植コーディネータさんを含め「移植医療に携わる方々」の認知や理解も深まり、また働く環境が整備されていくことも課題の一つなのだと感じました。