2010年12月29日

11回目の月命日

今日12月28日はくららの11回目の月命日です。

一周忌まであと1カ月。

くららと過ごした4カ月と28日、一緒にお風呂に入ったり添い寝をしたり、たくさんの思い出もあったけれど、旅立ってからもう一年になるんだ、という思い、旅立ちに際してのたくさんの後悔で気持ちが沈み、ふさぎこんでしまうことも増えています。

一周忌の日に私はくららの母として過ごした日々、行いすべてを受容できるのでしょうか。
それとも自分を責め続けることが続いていくのでしょうか。
色々な思いを抱きながら一周忌までを過ごしていきます。


今日くららからとてもとても素敵なプレゼントが届きました。



くららの月命日に、くららからのメッセージを受け取ってバトンタッチしてきてくれた新しい命。

くらら、いつも私を支えてくれて有難う。

2010年12月25日

今年のクリスマス、去年のクリスマス

今日はクリスマス。

おりこうにしてないとサンタさん来ないんだって、とこの数週間脅されて(?)いたアトムですが、今朝起きるなりツリーの下に半年前から欲しがっていたおもちゃがあるのを発見し、やったーやったー、とマンガみたいにとび跳ねた後、ベランダに向かって「サンタさんありがとうっ。くららちゃん、いっしょにあそぼうっ」と大声で話していました。


去年の今日、ちょうどパパに清拭をしてもらって、体にクリームを塗ってもらい気持ちよさそうにしている写真がありました。










よほど気持ちよかったのか、クリスマスプレゼントに私の妹がくれたピンクのお洋服に着替えて、そのあとぐっすりねんね。


くららへのクリスマスプレゼントに、と思い、2か月前から「amazing grace」を電子ピアノで練習し始めましたが、これが結構難しくて間に合いませんでした。ごめんなさい、くらら。

なんだか会いたさが募る季節です。



最近強く思うのは、突然明日が来ない、ということは誰にでも起こりうる、ということ。
誰と会ったり話したりしても、明日会えなくなったときに後悔の無いように接することを心がけています。
出来なかったときでもその日のうちにフォローできるような自分になりたいと思います。
でも、、なかなかパパに対してだけはこれが実践出来ないことが多くて。おそらく、甘えているのだと思いますが。パパに対しても出来るようになったら、かなり人として成長できるかもしれません。


今までの人生、誰かと楽しい時間が過ごせなかったりミスコミュニケーションがあっても、時間が解決するから、とか自分の気持ちを押し通すことを優先したりしてきたことが多かったように思います。

でも、明日が必ず来るとは限りません。それは私もそうだし、相手もそう。誰でも。
いつ永遠の別れが来ても後悔の無いように過ごし、生きること。今は自分にとって何よりも大事な課題です。


そして、わが子は生きて健康でいてくれれば。もちろん酔ってケンカをしたり、人様に迷惑をかけること、人の道に外れるようなことなく、は大前提ですが、両親は僕のことを愛してくれている、という思いがゆるぎなくアトムの心に根付いていくように、接し育てていこうと思います。くららを失ったことをきっかけに、子育てについてパパと具体的に話すことが増えて、同じ考えを持ったパパで良かった、と思います。

くららのおかげで家族のきずながとても強くなっていきます。ほんとにほんとにおりこうさんなくらら。大好き。

2010年12月22日

冬至

冬至です。去年と同じように、ゆず湯に入りました。

去年と違うのは、去年はパパ、アトム、くらら、家族みんなでお風呂に入りましたが、今年はアトムと二人で。



去年はくららちゃんと一緒にお風呂に入ったけど、アトム2歳だったから覚えてないよね。と言ったら
「ママ、覚えてるよ。アトム、くららちゃんとお風呂入ったもん!」とムッとされてしまいました。

ゆずってミカンのともだち?と聞くアトムに冬至の意味を説明しながら、去年のくららのお風呂でのぬくもりを思い出して、とても温まりました。



去年の今日12月22日、指しゃぶりをするくららです。

2010年12月17日

無性に・・

今日はなぜだかいつも以上に無性にくららに会いたくなって、久しぶりに録画していた映像を見ました。


笑顔やお話が出来るようになっていたその姿がとても懐かしくて。

今まで録画していたことすら気づいていなかった映像もみつかりました。

11月末に突然急変したころ、パパが静岡こども病院にセカンドオピニオンを受けに行って来てくれた後のものです。

パパからの静岡での報告を受けて、面会時間が終わり病室にくららと二人きりになった後、なぜだかカメラを回していました。
1分でも1秒でもくららの姿を映像に残しておきたいという思いだったように思います。

カメラを回しながら、「長く一緒に過ごすだけが人生じゃないもんね。いっぱいいっぱい、最後の日まで愛情たっぷり注いでるからね。」とくららに向かって話しかけながら、鎮静剤で半分眠ったようなくららをビデオで撮っていました。


くららと別れてから初めて見た映像。まだまだ見ていないのがあるかもしれない。
悲しい内容であっても、とにかくくららに関するものが新たに増えていくのはとても嬉しいです。



写真は、去年の今日、舌を出してちょっとイタズラっ子風のくららです。

2010年12月16日

小さな命を救え!~NICU・新生児集中治療室の今~

今期の仕事の評価、想定範囲内といえばそうなのですが、、
5段階でいえば2がついてしまいました。。主な理由は、与えられたmissionへの立上り・取組みが遅かったこと、期待するリーダーシップが取れるようになるまで時間がかかったこととのことでした。

5段階のうち1と2は要改善、で、改善されなければ会社にいられなくなるのでちょっと焦ります。

いかなる個人的な理由があっても、仕事をする立場ではそれは言い訳にしかならないことを改めて認識しました。来期はしっかり成果につなげていかなくては。。



鳥越俊太郎さんが取材されているBS朝日「医療の現場」、今週は「小さな命を救え!~NICU・新生児集中治療室の今~」と題して、神奈川県立こども医療センターのNICUに密着、とのことです。


以下に、BS朝日サイトからの番組紹介内容を引用します。
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命が誕生する瞬間。それは家族にもっとも幸福が訪れるとき・・・。
しかし現実には、生まれたその時から高度な医療を必要とする子どもたちも少なくありません。そんな小さな命が運び込まれる場所が「NICU・新生児集中治療室」。現在日本ではおよそ33人に1人の子どもがこうした場所を必要としているというデータも・・・。
今回番組は、神奈川県・横浜市にある「神奈川県立こども医療センター」のNICUに密着。
わずか400グラムで生まれた命。そして生まれながらにして心臓を患う男の子・・・。次々と運び込まれてくる小さな命を守るため、そこには奮闘する多くの医師たちがいました。
突然告げられたわが子の危機。家族と医師たちはどう向き合っていくのでしょうか?

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くららの主治医の先生から何度もお名前を伺った、胎児心エコーの権威である川滝先生も出演されるようです。
以前読んだ本で、先生がおっしゃっていた、生まれたその日から高度な医療が必要な子供達、その家族の思い、これらの現実を発信し一人でも多くの方に伝え、社会全体で考え取り組んでいけるようにするのが僕ら医療従事者の
務めなのかもしれない、という言葉がとても印象に残っています。

放映時間は
12月18日土曜日 18時-18時30分
12月19日日曜日 10時-10時30分(再放送)
です。

2010年12月13日

移植を待つ子供達、移植を受けた子供達

渡航移植を目指して募金活動をしている中込空君、目標額にはまだ達成していませんがデポジット(医療保証金)を振り込み、1月11日にコロンビア大学病院への転院が決まったとのことです。

渡航の際、体力を消耗することによるリスクもあり、また募金の達成に向けての活動継続もあるかと思いますが、なにはともあれ「転院」が決まったこと、ほんとに良かったです。



5月18日に熊本からドイツ バード・ユーンハウゼン心臓病センターに到着した美紗都ちゃん、渡独し移植待機に入り7カ月になりました。
慣れない土地でのお父さんと美紗都ちゃんの生活や、待機の間の急変のリスクなど心配事は尽きないことと思います。
また一方で、お父さん・妹の美紗都ちゃんと離れて日本に残ったお姉ちゃん、寂しい思いをしていると思います。1日も早くお父さん、美紗都ちゃんと再会できる日を心から願っています。


7月13日に東京からカナダ・トロントのシックキッズ病院に渡航したなっちゃん、現地でペースメーカー装着手術を経ながら引き続きお母さんとともに、ドナーとの巡り合いの機会を待っているそうです。

8月25日に仙台からニューヨーク・コロンビア大学病院に渡航したゆうとくん、9月28日にドナーと巡り合い、無事に移植手術を終え、現在は退院してリハビリを行っているそうです。日本に帰国できる日を楽しみに待っています。


11月1日に埼玉から米国アーカンソー小児病院に渡航したよしきくん、11月8日にドナーと巡り合い、無事に移植手術を終え、現在は渡米して初めてのシャワーまで出来るようになったとのこと、本当に良かったね!日本に帰国する日を楽しみに待っています。



5月4日に仙台からニューヨーク・コロンビア大学病院に渡航したさやちゃん、5月7日にドナーと巡り合い、無事に移植手術を終え、退院して12月10日に米国での最後の生検を受け、問題なしとのことで年内に帰国できるそうです。さやちゃんもご家族も、日本での闘病生活からここまで本当に長くつらかったことと思います。移植を終えたら、たくさん走りたい!と言っていたさやちゃん、帰国してさやちゃんが走っている姿を見るのを楽しみにしています。

以下にさやちゃんのブログからのメッセージを引用します。

部活の朝練後に倒れて約3年。
今思えば、長いようでとても短い闘病生活でした。
補助人工心臓をつけてからは身動きがとれない上に、毎日傷の処置が痛くて憂鬱になる日が続いたこともありました。
しかし、入院中も頑張って病気と闘っている人にたくさん出会い、その頑張りに私も励まされたり、辛い時は看護師さんが傍に来て、話を聞いてくれたり・・・その他たくさんの方の応援のお陰で明るく入院生活を送ってくることができました。
病気になってたくさんの方と出会い、学んだこともたくさんあります。
私は周りの方に恵まれ、そして色んな経験ができて、本当に幸せ者です。

移植コーディネーターの方に言われたように、これからも、理想と現実とのギャップ(昔は普通にできたことができなくなっていたり・・・)があると思いますが、この頂いた心臓と共に乗り越えて行きたいと思います。

本当にどうもありがとうございました。 さや~


最後に、ドナーのご家族の方へ、心より哀悼の意を表します。そして、ドナーの方のご冥福を心からお祈りしています。

2010年12月11日

玄牝(げんぴん)

河瀬直美監督の玄牝(げんぴん)を観てきました。

映画「うまれる」を観に行った際に上映前の作品紹介で観て、「うまれる」と同様に出産を取り扱った作品でありながら全く切り口の違う印象を受け、是非観たい、と思いました。

「うまれる」が、全体的にハッピーエンドな仕上がりで大人も子供も多くの人が共感できる点があるとすれば、「玄牝」は綺麗事だけではないお産を通しての「生」と「死」へのリアリティであったり、「吉村医院」で働く助産師さんたちの葛藤、吉村先生と家族間の葛藤も扱っています。そこには答えはありません。


吉村医院では、妊婦さんが毎日300回のスクワットがてらの壁拭きをしたり、薪割をしたり自炊をしてお産に向けて自然な体づくりを行います。お産はほの暗いろうそくのような明かりのみ灯した畳部屋で、どれだけ陣痛に時間がかかっても、どれだけ予定日を過ぎても、逆子であっても自然分娩であり促進剤や帝王切開は行いません。(NST-胎児モニターやエコーなど現代医学で良いとされるものは使いながら)


先生は「昔から400人-500人に一人の一定の割合でお産で赤ちゃんは死んでたんです。それを現在の医学で生きられなかった命を無理に活かすことがいいとは思わない」とおっしゃいます。

くららは現代医学で救われた命のひとつです。

心臓血管外科の医療技術が発展してきたからこそ、生後3日目で手術を受けて命を救っていただけたのですが、今から数十年前であれば生後数日で命を落としていました。

そういった背景からも、先生や吉村医院の考え方に100%共感・同意できるわけではないですが、かつてはお産当日まで畑仕事をしてシンプルな食・住生活を行ってきた日本の女性の歴史を思い出させ、「お産が気持ちいいものであること」「本来、医療の手を借りなくても自然なお産は出来るんだ」、そしてまた「お産」「生」同様に「死」も自然なものであるべき、という先生の考え方を訴える映像から、新たな気づきを得ることができました。



下記に映画のサイトからの引用を載せます。

◆玄牝とは
『谷神不死。是謂玄牝』――谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝という。
タイトルの「玄牝」とは、老子の『道徳経』第6章にあることば。大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。
老子はこれを玄牝――“神秘なる母性”と呼んでいる。

◆吉村医院とは
吉村医院では院長の考えのもと、薬や医療機器などの人工的な介入をせず、女性が本来持っている“産む力”を信じて産む「自然なお産」(自然分娩)を行っている。院内に建つ江戸時代中期の古民家=古屋は、薪割りや板戸ふきなど昔ながらの労働や、一汁一菜の素朴な昼食をとる場として妊婦たちに開放し、出産に向けて心とからだづくりの大切さを伝えている。

2010年12月9日

ワクチンの公的接種と同時接種

少し前の週刊文春に、ワクチン事情が途上国レベルである日本において、遅れを克服し子供をVPD(Vaccine Preventable Diseases =ワクチンで防げる病気)から守ろう、という記事が載っていました。


以前書いたHibワクチンの供給遅延は少しずつ解消されて来ているようですが、費用の問題はまだ解消されてはいません。先進国では無料であるHibワクチン、肺炎球菌は未だ任意接種のままです。
(自治体によっては一部助成があるところもありますが、私の住んでいる地域では、助成はありません)


病院によって費用は異なりますが、例えば私の住んでいる地域では1回¥7,000-¥8,000前後となっています。生後2~7か月までに接種開始した場合は、4~8週間間隔で3回、追加免疫として3回目の接種から約1年後に1回の計4回接種が必要になるため、合計¥30,000前後の費用がかかります。



















Hibや肺炎球菌等命を落とすリスクの高いものについては、欧米諸国同様に公的接種にしていただけないものなのでしょうか。日本でなぜ出来ないのか、理由がよくわかりません。


そしてまた同時接種についても。

生後2か月の未熟児でも同じ日に6種類のワクチンを接種可能としている米国の実績があります。
今のように、間隔をあけながら小刻みに接種することで、医療機関に足を運ぶ機会も多く、また間をあけている間に他の病気に罹患するリスクもあります。

副反応のリスクも当然ありますから、日本人の体質を考慮した臨床データが必要にはなると思いますが、将来的に今よりは同時接種できる種類が増えることも検討の余地があるのかな、とknow VPD!のサイトを見ていて思いました。



















※2つの表はhttp://www.know-vpd.jp/index.phpより引用させていただきました

2010年12月7日

くららのお友達ママのブログ

くららが初めて入院した際、約1カ月病棟で一緒だったSちゃんというお友達が出来ました。

Sちゃんも先天性心疾患で、「総動脈幹症」(「修ちゃんを救う会」の修ちゃんと同じ病気です)で5か月前から入院していました。

ICUから病棟に移った際、生後2週間で一番若手のくららと、慣れない付添生活への戸惑いと病気への理解が追いつかず沈みがちだった私に積極的に話しかけてくれて、「家事しなくて済むんだし家にいるより楽ですよ」と明るく励ましてくれたSちゃんママ。

Sちゃんママの明るさには初めて会って以来、今でもずっと支えられ元気をもらっています。

私よりずっと若いけれど、明るさ、前向きさ、母としての強さ、尊敬するばかりです。


そんなSちゃんママがブログを始めたとのこと。

日々Sちゃんとアトムと同い年のお兄ちゃんの成長がつづられています。くららのお友達が元気に成長していくニュースはとても元気をもらえるし楽しみです。



Sちゃんもママもこれからもずっとくららと私のお友達でいてね。

2010年12月1日

月誕生日1歳3カ月

昨日でくららは1歳3カ月になりました。

髪の毛伸びて女の子らしくなってきてる頃。


アトムが1歳3カ月の時に、初めて1泊で旅行に行きました。
アトムに負荷がかからず楽しめるところ、という趣旨で探して、蓼科の親湯というところに行きました。
赤ちゃんが楽しめて、離乳食も手作りのものを出していただけておむつやミルクは無料サービス、温泉の洗い場等あちこちにバンボチェアが置いてあって、とても満足度の高い温泉旅館でした。

くららが生まれる前にも、生まれて1歳3カ月になったらくららの最初の旅行は親湯だね、とパパと話した記憶があります。


いつか一緒にいこうね、くらら。

写真はアトムが1歳3カ月のころです。
くららも同じようにいたずらっ子でニコニコな子になっていることとおもいます。