2010年7月28日

6回目の月命日

今日はくららの6回目の月命日です。

半年、、、もう半年、という感じですが、あんなに寒かった日からまだ半年しか経っていないと思うと、それもまた不思議な感じです。


心臓病の子は寒いと余計に体調に影響がでちゃうんだよね、と主治医の先生が度々言っていました。


気温が極端に下がった日は、家の中を暖かくしていても血行が悪くなるみたいで、足先がとても冷たくなって、オイルマッサージしたこと、くららのベッドに潜り込んで、人差し指をくららに握ってもらって一緒に眠ったこと、くららの匂い、懐かしく思い出します。


今のような、暑い季節に過ごしていたら、くららはどうしていただろうか。


暑すぎてもかわいそうですが、夕方か夜に少しは外をお散歩出来たかもしれません。
くららが過ごした時期は、あまりに寒くて、お散歩はベランダやマンションの敷地内ぐらいで、一度も外のお散歩は行けなかったけど、今はお散歩し放題だね、くらら。

2010年7月26日

NICUとGCU

ロハスメディカルの7月21日付けのニュースに「NICUの長期入院化」のニュースが載っていました。

http://lohasmedical.jp/news/2010/07/21090528.php?page=1

1年以上NICUに入院する子どもが増える一方で、その受け入れ先である重症心身障害児福祉施設やGCU(Growing Care Unit-継続保育治療室)、PICU(Pediatric Intensive Care Unit-小児集中治療室)は減床傾向にあるそうです。

NICUは保育器に入り、酸素・呼吸など細やかな管理が必要になりますが、ある程度状態が落ち着いて保育器無しでも大丈夫になった赤ちゃんが移されるのが通常GCUになります。


日本の新生児救命率は世界一、でもその後方施設は常に不足しているという現実、在宅医療に移れるほどに回復することは喜ばしいことなのに、在宅医療の負担が全て両親にのしかかり公的な支援がまだまだ整っていないこと、以前読んだ「救児の人々」にも、社会の中で病児の親の孤独が切々と描かれていました。


社会全体で子供を育てていくこと、そのために必要なこと、1つの切り口だけでなく、Life Cycleを通して小児医療を考えて整備していくことの重要性を改めて感じました。

Gift of life いのちをつなぐ贈り物

7月17日土曜日に参加した「Gift of life いのちをつなぐ贈り物」のシンポジウムの内容について。
(http://giftoflife.jp/events.html)

パネルディスカッションでは、
音無美紀子さんや向井亜紀さんの、ご自身の闘病を通して感じられたいのちの大切さ、いのちは自分だけのものじゃない、家族や愛する人、こんな自分と思ってしまうけれど、それでも自分を必要としてくれる人のために生きたい、というお話を伺いながら、自分にも置き換えて考えてみました。


乳がんで乳房切除した後、十分リハビリしてから退院したにも関わらず切除した側の腕の筋肉がつって自由に動かない、シャンプーしても腕が前後に動かない、ドライヤーもきちんとできない、子供が駆け寄って抱きついてきても切除した側の胸をついよけてしまう、そんな実体験を通して病気そのものだけでなく、日々の生活のつらさとそこからいかに這い上がっていったかを語ってくださった音無さん、

妊娠中に子宮けい癌になり、苦渋の決断で子宮を摘出されましたが、絶対に養子でもなんでも自分で育児するんだ、だから私は生きるんだ、という目標を立て、そこに向かって何度もの手術を乗り越え、癌を克服された向井さん
向井さんはその後サロゲート出産をされ、そのことで賛否両論あったそうですが、そんな賛否両論のある自分だからこそ伝えられることもあると。さまざまな価値観に耳を傾け、そのうえでご自身の訴えたいことを語る向井さん、

音無しさんも向井さんも、とても凛として素敵な方でした。





経験された方自らが語ってくださる、命や健康の大切さ、生きようとする気持ちが病気を克服するという心に響く貴重なお話でした。



私自身は命に関わる大病を患ったことはないけれど、どんなに体調が悪くなっていっても無邪気に笑顔を見せ、最後までおうちで過ごしてくれたガンバリ屋さんのくららを通して、自分がどれだけ恵まれていたのか
気がつきました。

健康で、自分がしたいように呼吸し、自分の足で歩いて好きなところに行けること、
自分の人生を自分で決めることができること、それは本当に贅沢なことだと思います。

これもイベント当日移植コーディネータさんが教えてくださったお話ですが、

心臓移植を待つ人たちで胸にお弁当箱大の補助人工心臓を付けている方たちが、毎日「やりたいこと」と願っていることに「寝返りを打つこと」というのがあるそうです。

肝臓移植を待つ人たちは、黄疸が進むと皮膚がかゆくなるので、1回にまとめて眠れるのは2-3時間、それ以上は痒くて目が覚めてしまうんだそうです。
そのため毎日「やりたい」と願っていることに「一晩朝までぐっすり眠ること」というのがあるそうです。


2010年7月17日、改正臓器移植法施行という日に、このイベントがあることを教えてくださって参加の機会を下さったなみさんとそうちゃん(http://ameblo.jp/sounami/)にも感謝しています。



健康で日々生きることができれば、それ以外のことって「なんとかなるさ」って思えるようになって、そんな風に思えるように導いてくれたくららにも改めてありがとう。

2010年7月17日

意志と意思の違い



今日は六本木ヒルズで開催されたGift of Lifeのシンポジウムに参加してきました。
http://giftoflife.jp/events.html

そこで新たに学んだ「4つの権利」

今まで臓器提供は

「提供したい」「提供したくない」

この二つの権利だけだと思っていました。

でも実は、自分や自分の大切な存在が臓器不全に陥った時に臓器提供を

「受けたい」「受けたくない」

という権利もあるということを知った、というか、考えておく必要があることを知りました。


私自身の意思は決まっていても、例えば、主人やアトムが万が一臓器不全になった時、移植を

「受けたいのか」「受けたくないのか」

改めて家族で話してみようと思います。

そして「意志」と「意思」の違いについて。


「意志」は高く志すものとして、一度決めたら信念を持って貫くのが望ましいもの、
一方
「意思」は、「思う」ですから、その時々の状況で変わってもいいもの、だそうです。

自分を必要としてくれている人たちのためにも、そしてくららの分も、
毎日健康で生き続けていこうと強く思います。

でも、

健康で生きられることが「当たり前ではない」と知った今、誰もが明日が来ると思って生きているけれど、万が一ということが誰でも起こりうると思える今、移植や死生観についての自分と大切な人の意思、いろいろな節目で共有しておこうと思います。

つかこうへいさんではないけれど、自分に万が一のことがあった時、生きている人の手を患わせたくない、
そして何より、しんだ後のことも含めて自分の人生は自分でコントロールし自分で決めたい、そう思います。





向井亜紀さん 音無美紀子さん 移植コーディネータの添田 英津子さんによるパネルディスカッションについては、伺った内容を自分の中で反芻し、後日書きたいと思います。



※「4つの権利」の絵は(社)日本臓器移植ネットワークのサイトから引用させていただきました。(http://www.jotnw.or.jp/studying/04.html)

2010年7月15日

ベストアンサーって?

先日、アトムの3歳児検診に行った際のこと。

保健福祉センターで受付を済ませると、実習中の学生の保健師見習いさんが

「一緒に回らせていただいてもいいでしょうか」

とのことで、諸々の検診の間一緒に過ごすことになりました。

問診の待合席で第一声「御兄弟はいらっしゃるんですか?」との質問。

「え~と、え~と」と言いつつ5秒ぐらい考えて「いえ、いません」
と答えました。


少し前までは、初対面の人や挨拶を交わす程度の顔見知りの方でも、「赤ちゃん 何カ月になりました?」とか「子供何人?」って聞かれたら、ありのままに、嘘つくことないって思っていました。


でも、正直に応えていく度、先方の「なんと声をかけたらいいのかしら」という表情や、次に会ったときに、妙によそよそしく(私がそう感じてるだけかもしれません)なったりとかというのを経験してみて、

私や家族がくららのことをわかっていて、いつも思っているんだから、都度正直じゃなくてもいいのかなぁ、、という思いが最近出てきました。何より、話した後に、くららのことがなんかタブー扱いになるのがとても嫌でした。





その時限りしか合わないであろう人や深く付き合っていく可能性の低い関わりの中では、詳しく伝えたくないこと、言う必要のないことはそのように適当に流してきたのですが、どうしてもくららのことだけは適当に流せない自分がいます。


自分も納得できて周りも気を使わずに済む答え方って、、、と都度考えてしまいます。

2010年7月13日

ふっ切ること≠浄化すること

以前ブログにも書きましたが、アトムは何か新しい発見や嬉しいことがあったとき、空を見上げて
「くららちゃーん、○○みつけたよ!」
とか
「くららちゃーん、○○なことがあったんだよ!」
とくららに都度報告します。

そして私がくららの声まねをして「良かったね、アトム君!」といった相槌を打たないと、何回でも
くららに報告します。


最近、ふと思ったのはもしかしたら、アトムにはくららの何かが見えてるのかな、、なんて。

私は霊感とかそういったものは全く無く、信じてもいないのですが、なんとなく、例えばトトロみたいに、子供には見えて大人には見えないものってあるような気がちょっとしたりしました。



先日、「心から笑えなくても大丈夫」というサブタイトルに惹かれて、「あなたに奇跡を起こす笑顔の魔法」という本を図書館で借りてみました。

本全体の内容は、マイナス思考からプラス思考へ!というような内容で、今の自分がそれほど必要としている内容でも無かったのですが、とても心に響く一文がありました。



「苦しい状態から早く逃れたいため、自分を納得させる考えを作り上げ、《整理がついた》といって
そのことを心の奥に沈めるが、結局浄化できていない寂しさや不安を抑圧すると、それらは余計に強くなり
塊となってまるで重りのように自分の人生の運気があがるのを妨げてしまう」



この5ヶ月、多分周りの目を意識したり、心配してくださっている方々の期待に応えよう応えようとして、「ふっ切った」ような感じになっていたように思います。

もっと自分のペースで、1歩進んで2歩、3歩下がってもいいさ、ぐらいな気持ちで、泣きたいとき、笑えない日は気持ちのままに過ごしてもいいのかもしれない、そう思いました。

もちろん、パパやアトムと、そしてくららと心の底から笑う日も最近はあります。
そんな日がこれから沢山増えていきますように。


2010年7月8日

パパも・・

今日はパパが縁戚のお葬式に行ってきました。

葬儀に参列していたら、
「なんかふとくららちゃんのときのことを思い出しちゃった」
と。

普通に考えたら、故人を偲ぶ場で不謹慎なのかもしれないのですが、パパの気持ち、わかります。


私もこのごろくららが生まれた瞬間の喜びとその数時間後のバタバタを、何度もリアルに思い出すの。

と話しました。

もしかしたらそれは夢で、実はこれから、今年の8月31日にくららが生まれるんだったったけ、って夜中にボケて思ったこともありました。

パパもママもくららに夢中です。くらら。

もちろんアトムにも夢中です。

2010年7月7日

ネガティブな時期もあります

このところ、7月に入ってから私は様子がヘンな感じがします。

くららが生まれた日、去年の8月31日のことを何度も何度も思い出してしまって。

やっと感情の乱れなく仕事に通ったりできるようになってきたと思ったら、
復帰して4カ月、今頃になって、なんか無気力な感じになってしまって。


職場でも、昼食時雑談で渡航移植を目指しているお子さんや小児医療の現実を少し話題にしてみたりしたのですが、やっぱり多くの場合は無関心な感じです。まぁそれは仕方のないことかもしれません。

私も逆の立場なら、いきなりそんな話をされても、現実のこととして捉えるのは難しいかもしれないと思いつつ。

先日渡航移植の為の募金を募るお子さんの話をしたところ、女性の先輩から
「そういった話を不快に思う人がいるかもしれないから」
とアドバイスも頂きました。


はっとした、というか目からうろこでした。
不快、、今まで気がつかなかった。けれど、小児の移植や医療の話を不快に思う人もいるということ、
その価値観を知り、留意しなくては、と思いました。


つい先月までは、くららと一緒に、精一杯人生楽しもうっと、なんて思ってたのだけど、
急にネガティブな感じになってきました。
落ち込みって時間差でやってくるものなのかな。

2010年7月6日

短冊

アトム、保育園の宿題で短冊を2枚書いて持っていくことになりました。

1枚は「レーシングカーに乗りたい」とのことでした。
2枚目どうする?と聞いたら

「くららちゃんが病院から早く帰ってくるのがいい」

と。くららはもう病院にいなくて天国に行ったんだよ、天国に行ったから病気は治ったんだよ、と説明しました。

すると、「○○くんの赤ちゃんも天国いくの?」

同じクラスで赤ちゃんクラスに妹がいるお友達のことを話し始めました。

元気な赤ちゃんと病気の赤ちゃんがいること、
赤ちゃんが全員天国に行くのではないこと、
くららはお胸の病気だったこと、
神様のところで今は楽しく遊んで、いつも神様と一緒にアトムを見てること
を話しました。

わかったようなわからないような表情をしていたけれど、でも、くららのことを気にかけてくれる
お兄ちゃんの気持ち、ママはとてもうれしかったです。