2010年12月7日

くららのお友達ママのブログ

くららが初めて入院した際、約1カ月病棟で一緒だったSちゃんというお友達が出来ました。

Sちゃんも先天性心疾患で、「総動脈幹症」(「修ちゃんを救う会」の修ちゃんと同じ病気です)で5か月前から入院していました。

ICUから病棟に移った際、生後2週間で一番若手のくららと、慣れない付添生活への戸惑いと病気への理解が追いつかず沈みがちだった私に積極的に話しかけてくれて、「家事しなくて済むんだし家にいるより楽ですよ」と明るく励ましてくれたSちゃんママ。

Sちゃんママの明るさには初めて会って以来、今でもずっと支えられ元気をもらっています。

私よりずっと若いけれど、明るさ、前向きさ、母としての強さ、尊敬するばかりです。


そんなSちゃんママがブログを始めたとのこと。

日々Sちゃんとアトムと同い年のお兄ちゃんの成長がつづられています。くららのお友達が元気に成長していくニュースはとても元気をもらえるし楽しみです。



Sちゃんもママもこれからもずっとくららと私のお友達でいてね。

2010年12月1日

月誕生日1歳3カ月

昨日でくららは1歳3カ月になりました。

髪の毛伸びて女の子らしくなってきてる頃。


アトムが1歳3カ月の時に、初めて1泊で旅行に行きました。
アトムに負荷がかからず楽しめるところ、という趣旨で探して、蓼科の親湯というところに行きました。
赤ちゃんが楽しめて、離乳食も手作りのものを出していただけておむつやミルクは無料サービス、温泉の洗い場等あちこちにバンボチェアが置いてあって、とても満足度の高い温泉旅館でした。

くららが生まれる前にも、生まれて1歳3カ月になったらくららの最初の旅行は親湯だね、とパパと話した記憶があります。


いつか一緒にいこうね、くらら。

写真はアトムが1歳3カ月のころです。
くららも同じようにいたずらっ子でニコニコな子になっていることとおもいます。

2010年11月28日

10回目の月命日

今日はくららの10回目の月命日でした。



母がくららに、とケーキを買ってきてくれました。くららの好きなピンク色っぽいのを、とのこと。
有難う、お母さん。



11月のこの日は、去年を思うと気持ちが穏やかでいることができず、朝から電子レンジの中や普段手を付けない棚の掃除などに没頭したりしてみました。


「哺乳力低下にて昨夕外来から緊急入院。
夜勤帯に入り、呼吸状態悪化。NC-CPAPにて呼吸管理開始。
アシドーシス見られ、ジュータミンにて補正す。

11月27日の午前1時15分にご両親来院。今後病状進行の可能性が高いためmotherにご連絡し付添をお勧めした。静岡への2nd opinionは延期の方向でご了承頂いた。
人工呼吸器の管理は望まない。お腹がすくのはかわいそうなので鎮静を併用して寝ている状態でも良いとのこと。これ以上の侵襲的な治療については積極的に行わない方針を確認」


カルテの記述です。

今でもはっきりと覚えています。
26日の外来で体重が減っていることから哺乳力低下のため、口から飲むのを止めて鼻から胃へのチューブを入れて注入する必要があること、注入手技の習得のため入院の必要があることを告げられました。

27日は静岡こども病院への2nd Opinionでくららも連れて行く予定でしたが、寒さもあるし病院で他の病気貰ってもよくないから、まずはご両親だけ行ってきたら、と主治医の先生に言われ、1泊だけくららをお願いして、27日の夜から私も付添する予定になっていました。

27日の0時ごろ、病院から急変の電話を受け、駆けつけたとき、その日の日中まで抱っこして口からミルクを飲んでいたくららが、CPAP(鼻からの人工呼吸器で呼吸を休まないよう強制的に呼吸させる機械)をつけてアシドーシス(体の酸性度が強くなりすぎていること)をおこしていると聞いて、主人と二人パジャマ同然のまま駆けつけました。


それでも私はくららが旅立つことはない、絶対に持ち直す、そう信じていました。
誕生日は迎えられないかな、と言われたけれど、誕生日は8月31日、まだ11月なんだから、まだまだ私たちは一緒に過ごすんだから、と思っていました。

でも、普段両親以外入ることのできない病棟に、祖父母、ご兄弟等面会のご希望があれば、と言われた時、そんなに悪いの?とそれまで強く信じていたものが揺らいで、泣いてはくららが不安に思うのに涙が止まらなくなってしまいました。


28日のカルテには以下の内容も付け加えられていました。
「母より、寝ていて静かでさびしいけれど、寝ていたほうが楽なんですもんね。

母の思い、表出できるよう関わっていく。
家族面会、許可する方向で。(兄はマスク着用にて入室許可)
ご家族の希望最優先で」


そして28日、私の母や妹、アトム、主人のお母さん、妹さん等がくららに会いに来てくれました。

誰ともほとんど会話ができませんでした。不安と混乱と説明のつかない気持ちの中で、ただただ絶対に失いたくない思いで頭が一杯でした。



でもね、くららはすごいんです。

そこから先生や看護師さんが驚くほどの回復力で、CPAPが外れ、点滴も外れ、先生が在宅でのTerminal Careを目指す方向で投薬を切り替えていきましょう、とおっしゃってくださって、12月5日に退院しておうちに戻れたんですから。

やっぱりあの時、ママが信じていたことは間違いじゃなかったんだ。
今でもそう思います。

周りがどんなことをいっても、親は子供を信じること、信じていてよかった、本当にそう思いました。

2010年11月27日

映画「うまれる」 あと1週間!

映画「うまれる」、関東圏は12月3日までで上映終了となるそうです。
DVD化の予定が今のところない、というのが残念。もう一度観たいし、アトムがもう少し大きくなったら見せたかったです。。



ふとしたきっかけがあり、美谷島邦子さんが書かれた「御巣鷹山と生きる」(新潮社)を読みました。

美谷島さんは、日航機墜落事故の遺族会である「8.12連絡会」の事務局長であり、当時9歳の次男健ちゃんを事故で亡くされました。

事故から25年が経った今、美谷島さんがこの本を書かれたのは
「事故を風化させたくない」という思いと共に、昨年生まれたお孫さんが小児脳腫瘍で1歳までに4回の手術をされてて、そのお母さんである美谷島さんの長女が言った言葉がきっかけとなったそうです。

「ママ、子供はね、親を選んで生まれてくるんだって。健はママの子で良かったね」
「病を持つ私の娘は、私たち夫婦のところを選んで生まれてきてくれたんだもの。私頑張るよ」

この頃は本当に皆、親を選んできてくれている、そう思います。

アトムもくららも。もしかしたら、私もそうだったんだろうな。

2010年11月26日

ジョン・トラボルタ

ジョン・トラボルタの奥さんケリー・プレストンが48歳で第三子を出産されたとのこと。

今まで知らなかったのですが、2年前に当時16歳のご長男ジェットさんが突然死されていたそうです。ジェットさんは川崎病の持病があったとも言われています。

以下抜粋・引用です。
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ふたりは結婚して19年になるおしどり夫婦だが、2009年1月に当時16歳だった息子のジェットが突然死するという悲劇に見舞われた。3人目の子供が欲しいと何年も子作りに励みながらも子供を授からなかったふたりは一度はあきらめたものの、ジェットを亡くした後、再び子作りに専念。そして遂に今年の5月、56歳と48歳にして妊娠を発表した。
まるでジェットの生まれ変わりでもあるかのように男の子を授かったトラボルタは、「奇跡が起きた」と喜びを隠せない様子だったが、ケリーが高齢であるため、最後まで心配は尽きなかったよう。それだけに喜びはひとしおのようだ。

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子供を亡くした後の妊娠については、亡くなった状況や原因によって、またその事実の受け止め方や時の流れによって、色々な考えがあるのだと思います。


くららが旅立った後に、私はもう一度娘を抱きたいと思い、女の子が我が家を選んでやってきてくれたなら、と思ったことがありました。


それからしばらくして、今の年齢で子供を授かり妊娠が継続できたとしても、またわが子を失うようなことが起きたら、生きていくことができない病気だったら、という思いに加えて、もし娘を授かることができたとしても、くららにも色々としてあげたかったのに出来なったことを申し訳なく思ったり、何かその子が出来ないことやわがままを言ったりしたらくららはおりこうさんだったのに、と何かにつけてくららと比べてしまうんじゃないか、という思いが生じました。

健康に生まれることが奇跡であること・健康でさえあれば、ということを身をもって感じているはずなのに、くららに妹が出来たら、その子の個性が尊重できなくてくららについ重ねてしまうんじゃないか、それはその子にもくららにも失礼なことなんじゃないか、だから、生涯、娘はくらら一人でいいのかな、そんな風に思ったりもしました。


でも、最近周りでそうちゃんママを始めおめでたいニュースが続き、今回のニュースも聞き、わが子を失った悲しみが無くなることはないけれど、家族が増えることや亡くなったわが子の思いを継いだ新たな命が授かることの喜びは素晴らしいものなんだな、と感じるようになりました。

2010年11月25日

11月25日

今日11月25日はくららのお友達のMちゃんの命日でした。

Mちゃんはくららと同じ無脾症で、くららより5カ月お姉ちゃん。


産後間もなくの入院と付添生活で、病気についての理解もなかなか出来ずたくさんの不安の中で、同じ病気のお友達に病棟で出会えて、今後の成長や育児について色々と先輩であるMちゃんママに相談にのってもらい、たくさんの元気をもらいました。


一年前の今の時期、くららが1歳の誕生日を迎えられないでしょう、と主治医の先生に言われて間もない頃、同じ病気のお友達にこの事実を話しては心配をかけてしまうのでは、となかなか言えずにいました。


くららを抱っこしてミルクを飲ませながら、離れたくないなぁ、別れなくないなぁと泣いてばかりいたころ、Mちゃんママからの電話。

本当に急なことで、驚き、というよりも現実のことと思えなくて、言葉がでませんでした。

あれからもう一年がたったなんて。


コニータルボットちゃんが歌う「I will always love you」を聴くと、Mちゃんとくららが二人でいる姿がいつもなぜか浮かんできます。


Mちゃん これからもくららと仲良くしてくれたらうれしいです。お空から、くららと一緒に皆を守ってね。

2010年11月24日

久しぶりのマンガ

先日、なみさんの赤ちゃんに会いに伺った際、マンガをお借りしました。

折原みとさんの「天使のいる場所」という本です。

NICUや小児がんの子供が入院する小児病棟等、新人のドクターが研修で色々な診療科を経験していくお話なのですが、第1巻~第4巻まで、マンガでこんなに泣いたのは初めてです。

どの状況もとてもリアルに頭に浮かんできて。

最初は静岡こども病院か神奈川県立こども医療センタをイメージして書かれたのかな?と思っていたら、長野こども病院がモデルとなっているとのことでした。

長野こどもはくららの主治医の先生も以前勤務されていた病院です。


院内にファミリーホームと言って、家族が寝泊まりできる施設があったり、誕生死や低体重で人生を終えた赤ちゃんのためのお洋服を、同じように小さくしてお子さんを亡くされたお母様たちが手作りで作っていたり(誕生死や低体重児の場合、市販の洋服は大きすぎるので)、医療行為のみならず、子供とその家族をサポートすることも含めて「医療」として取り組んでいること、素晴らしい環境だと思います。


くららがICUにいたとき、わずか10分の面会の後、病院と家との間の1時間の距離、何か急なことがあったらどうしよう、どんなに早くても1時間かかってしまう、そう思うと毎日不安で眠れませんでした。

余命宣告を受けた後の単発の入院の時など、その時々で「覚悟をしておいてください」といった言葉を聞くたびに、パパもアトムもくららも家族みんな一緒にいたい、と思いました。

小児に限らず、重病者を扱う病院内や病院の近くにファミリーハウスのような施設がもっともっと増えるといいのに、とその当時から思っていました。


こういった家族や患児のQOL(生活の質)も含めて考えたうえでトータルサポートをして下さるこども病院の多くが赤字を抱え、財政難である現実はとても残念なことであり、またこういった医療行為や保険点数で解決できないようなインフラ・環境整備の部分に、子供手当のような予算を使うことも検討してほしいなぁと思うのでした。


マンガは全7巻とのことなので、残りの3巻もさっそく買って読もうと思います。