2010年1月14日

おばけ?

このごろの私は鬱々としてしまって、母親としての強さを持ち前向きでありたい自分と、つい悲観的になって無気力な現実の自分とのギャップに苦しんでいます。

ウランやアトムが不安に思わないように元気で笑顔のママでいたいのに出来ない、それがつらい、とパパに日中メールしたところ、

「それはへんなおばけの仕業だな。大丈夫。アトム君と一緒にそのおばけ退治するから」

とreplyが・・・・。

トトロに出てくるメイちゃんのパパみたいなその言葉、気持ちが張り詰めていたので、なんだか拍子抜けしたような、ふっと気持ちが緩んだような感じになりました。

ウランの体調が心配で一歩も外にでかける気になれない、と言ったら

「そんなこと言ったら、これから一生外出しないの?。大丈夫だよ、ウランちゃんは毎日元気に成長してるんだから」

とも言われました。

そう、毎日元気に成長するって信じてるのに、実際の行動が伴っていない私。

パパの言うとおりです、ウランは1日1日成長しています。

明日は久しぶりに太陽の下にでてみようと思います。

2010年1月12日

八合目

7日に今年初めての外来を受診しました。

レントゲンを見ると、左側の肺の白くモヤッとしたものが以前より広範囲に広がっていました。

白いモヤは、肺に溜まってきている血液です。
血が溜まって肺うっ血、肺高血圧が悪化してきているため、手前の臓器である心臓や肝臓にかなり負担がかかっているようです。肝臓も4ヶ月の月齢にしては腫れて大きくなっているとのこと。


主治医の先生いわく、命の頂上があるとすれば

「7,8合目ぐらい」

とのこと。
もちろん、いつ急変するか毎日わからないから外出とかは難しいかな」と言われました。


もういつでも入院していいですよ、とのことでしたが、逆に限界ギリギリまでお家にいられる方法を
ご相談したい、とにかく体力を消耗せず少ない酸素を効率よく使えるようにしたい、と色々ご相談したところ、トリクロと同じ成分の坐薬(エスクレ)があるとのことで、そちらを処方いただくことにしました。
直接腸にお薬が入ることで、胃は栄養摂取のためだけに使うことが出来ます。


ウランが無脾症と診断されてから、何度となく主治医の先生には

「海外なら十分移植の対象です」

と言われてきました。
ウランの場合は心臓と肺の同時移植が必要になるので、それだけでも金銭面・体力面その他の面でハードルが高く、且つアメリカであっても0歳児はドナーが非常に少ないため、ウランが移植を受けるのは現実的には不可能に等しい、とのことでした。

日本という国に生まれていなかったら、何もしてやれない無力のまま、1日1日を乗り越えていく今と違い、
移植という希望を持って日々生きていられたかも、と、考えても仕方がないことをつい考えてしまいます。



上手にバランスをとりながら、体力を温存して1歳近くまでいければ、渡航移植を目指せるようになるかな、いやそれ以上に、医学の進歩がウランに追いついてくれるかも。

希望を捨てずに。

ウラン がんばろうね。

2010年1月9日

一心同体

会社の先輩と後輩ちゃん夫婦に、1月3日に女の子の赤ちゃんが生まれました。

ずっと望んでいらして、結婚8年目にして授かったとのこと、本当に喜ばしいことです。

半ば諦め、心機一転結婚7年目に引越しをしたら、その直後に授かったそうです。
「風水とか方角とかそういうのやっぱりあるのかな。」とおっしゃってましたが、
何はともあれ、本当におめでとうございます!


さて、今日は1ヶ月ぶりに駅前や銀行などに行ってきました。

銀行で静脈認証をしようと自分の手を広げた瞬間、今ままで目に付かなかった自分の爪の色に「ハっ・・・」
としました。

私は健康なんだな。

毎日眺めるウランの爪はチアノーゼで紫色になっています。
たった3ヶ月前、手術の直後は綺麗なピンク色だったのに。

そう思っただけで、自分の爪の色を見ただけで、ついATMで涙が溢れてきてしまいました。

帰宅して、ウランの肌着を、アトム君の生まれたときから愛用しているネットショッピングで注文しようとしたところ、納期が10日かかるとのこと。

普段ならそれでも「OK」をクリックするのに、躊躇した自分にまた「ハッ・・・」としました。

10日どころか、今晩乗り越えられるかどうか、毎日が峠だって先生に言われたことを思い出して。

そしてまた「ハッ・・・」
親がわが子の命に奇跡を信じなくてどうする。
医学の進歩がウランの病状に、今日この瞬間に追いついて、閉じた肺静脈を広げる術が見つかるかもしれないじゃない!

と自分を叱咤しました。

外にでても、家にいても、いつもどこでも、私の中にはウランが溢れています。
一心同体ってこういうことを言うのかな。

2010年1月8日

あれから1ヵ月

今日は心臓病の専門病院で外来受診してきました。

先生に、「退院から丁度1ヶ月だね」と言われまして気がついたのですが、余命が急に短く宣告され、重い気持ちと諸々の決意を持って帰宅してから、もう1ヶ月経ったのでした。


この1ヶ月、病院に来る以外、私は1歩も家の敷地の外に出ていないことにも気がつきました。

アトム君の保育園の送迎は妹に、日々の買出しや年末年始の買い物は仕事帰りのパパに、その他諸々たくさんの周りの方に助けられ、お力を借りて今日まで来たんだなぁと、改めて感謝の気持ちを持ちました。

皆様本当に有難うございます。

外来の結果はまたのちほど。

2010年1月6日

一喜一憂

今日の未明3時ごろから、急にまた調子が悪くなってしまいました。

家の中は室温、湿度常に一定を保っていても、やはり気圧の変化などを感じて体調に影響でちゃうものなのですね。

今朝パパとアトム君が出かけた後、9時ごろには前回救急車を呼んだときと同じような状態になってしまい、
急いで病院に電話をし、いつもの倍量のトリクロシロップを投入しました。

しばらくは息が上がった状態でしたが、なんとか正午ごろに落ち着き、ミルクも2時間かけて注入できるようになりました。

今晩は万が一病院に行く場合を考え、アトム君は私の母宅であずかってもらう事にしました。

アトム君の保育園の連絡帳、先生からこんなコメントがありました。

「今朝私の横にアトム君が座って何かささやきました。
 んっ?と聞き返すと
 
’ウランちゃん、おうちでアトム君のこと待ってるの’

アトム君 ウランちゃんが大好きなんですね!」


ウランのいない生活は、私たち家族にはもはや考えられなくなっています。

どんなに心の準備をしようと思っても、そんな準備は出来そうにないことがわかりました。


もう少しでいいので、アトム君とウランちゃん、パパとママとで一緒に過ごせるよう神様お願いします。
最期の最後まで、ギリギリまでおうちで家族と過ごさせてください。

2010年1月4日

リカバリ


ウラン、入院すべきか、もう少しおうちでがんばるか、結論が出せないまま昨日からすごしていました。

セサミオイルを使って足や背中、耳のマッサージをしたり、出来るだけ縦抱っこし続けたり、耳元で歌を歌ったり。

医学的根拠はまったくないですが、お天気がよくなったせいもあるのか、兎に角、ウランの元気戻ってきました。

ミルクも35cc、2時間かけてゆっくりですが、きちんと苦しまず注入できています。

呼吸も楽になり、手遊びも復活です!


まだまだ油断はできませんが、この状況が続けられれば、ウランも
「ママ、入院しなくても、あたち、がんばれるわヨ」と言ってくれる気がします。


写真は、今日元気が戻ってきたウランです。

お正月におばちゃまに頂いたうさぎのおもちゃが大のお気に入りです。
うさぎさん、振ると鈴の音がします。
これをお手手につけて、見つめたり、お手手を動かして鈴の音を楽しんだり。

今日は、「ウラン一人遊びが出来るようになった」記念日でもあります。

選択

ウラン、昨日からまた調子が悪くなってしまいました。

とくに、体力と酸素を使い、腸に血流が集中してしまうミルクの際は、トリクロシロップを飲ませていてもひどく苦しむようになってしまいました。

体全体で息をしているような感じで、あまりに苦しいときに途中で止めたり、ゆーっくり注入していたら、次のミルク時間になってしまうこともしばしばです。

立って抱っこをすると幾分つらさが和らぐようです。

今朝主治医の先生に状況のご連絡と今後についてご相談のお電話をしました。

薬はこれ以上変えられるものはないのと、ミルクの量も今が脱水ギリギリの量とのことで、次の選択肢はミルクを「点滴」に変える、ということになる、病院側はいつでも入院可能なので、お母さんの判断で決めてください、とのこと。




悩みます。


最期まで、お家で家族一緒に過ごしたい、過ごさせてあげたい、という思い。

でも、それ以上に、ウランが本当につらく、苦しいのであったら。

何がウランにとってベストの選択なのか、

悩みます。