2010年1月12日

八合目

7日に今年初めての外来を受診しました。

レントゲンを見ると、左側の肺の白くモヤッとしたものが以前より広範囲に広がっていました。

白いモヤは、肺に溜まってきている血液です。
血が溜まって肺うっ血、肺高血圧が悪化してきているため、手前の臓器である心臓や肝臓にかなり負担がかかっているようです。肝臓も4ヶ月の月齢にしては腫れて大きくなっているとのこと。


主治医の先生いわく、命の頂上があるとすれば

「7,8合目ぐらい」

とのこと。
もちろん、いつ急変するか毎日わからないから外出とかは難しいかな」と言われました。


もういつでも入院していいですよ、とのことでしたが、逆に限界ギリギリまでお家にいられる方法を
ご相談したい、とにかく体力を消耗せず少ない酸素を効率よく使えるようにしたい、と色々ご相談したところ、トリクロと同じ成分の坐薬(エスクレ)があるとのことで、そちらを処方いただくことにしました。
直接腸にお薬が入ることで、胃は栄養摂取のためだけに使うことが出来ます。


ウランが無脾症と診断されてから、何度となく主治医の先生には

「海外なら十分移植の対象です」

と言われてきました。
ウランの場合は心臓と肺の同時移植が必要になるので、それだけでも金銭面・体力面その他の面でハードルが高く、且つアメリカであっても0歳児はドナーが非常に少ないため、ウランが移植を受けるのは現実的には不可能に等しい、とのことでした。

日本という国に生まれていなかったら、何もしてやれない無力のまま、1日1日を乗り越えていく今と違い、
移植という希望を持って日々生きていられたかも、と、考えても仕方がないことをつい考えてしまいます。



上手にバランスをとりながら、体力を温存して1歳近くまでいければ、渡航移植を目指せるようになるかな、いやそれ以上に、医学の進歩がウランに追いついてくれるかも。

希望を捨てずに。

ウラン がんばろうね。

3 件のコメント:

  1. ウランママの気持ち、本当に痛いほどに感じます。
    こういうのを、痛切と言うのでしょうね。

    希望を持てる…。
    移植対象の子ども達にとって、日本は希望すら与えられない国でした。きっと、法改正がされても、現実はすぐには変わらないでしょう。
    でも、移植が受けられるか分からなくても、日本で移植が受けられる環境があること。それは、私たち親にとっては雲泥の差です。

    日本で移植を待てる。でも、ドナーさんに出会えなかった。
    と、いうのと・・・
    日本では移植が受けられない。でも海外なら出来ますよ。
    では、全く意味合いが違いますよね。

    ウランママ。
    ウランママは、ウランちゃんの命を諦めたのではないと言う事
    。決して、諦めていないということ。何度も何度も何度でも自分に言い聞かせてね。

    海外に行ったから、絶対に移植が受けられて助かる訳ではないということ。
    ウランママの決断は、ウランちゃんにとってベストの選択なのだということ。

    何を選択しても、親としての責任と、「生きる」という普通のことを普通の子ども以上に頑張っているウランちゃんへの深い深い積もっていく愛情は、ずっとずっと親の私たちの心の中に、様々な葛藤や悩みや気持ちを落としていきます。

    でも、それらの深い重たい感情を与えられている私たちは、決して不幸でもなく、敗者でもなく、多くの恵みを与えられている存在なんだと思います。

    ウランママ。
    心から応援しています。

    返信削除
  2. なみさん コメント有難うございます。

    諦めた尾言うことではない、と文字にしていただいて、本当にそうなんだと心から思いました。

    何度も自分にもウランにも、パパとも、
    ウランの命を決して諦めたわけではないし、これからも日々希望をもって生きていこうと改めて話しました。

    ウランにも毎日、次は節分、その次はお雛様、それが過ぎたら一緒に桜を見ようねって話しています。

    なぜウランが、と不幸というか理不尽に思ったこともありますが、なみさんがおっしゃるように、わが子とこれだけ深い絆で結ばれている今は、恵みを与えられそして幸せなことだとも思えるようなときもでてきました。

    ただ1つ贅沢を言えば、出来ればもう少し長く一緒にいたいです。

    返信削除
  3. 本当に…。
    子どもと一緒に過ごすというのは、本来なら、全く贅沢でも何でもないことですよね。ごく普通のことだと思います。
    だから、基本的な部分での「何故うちの子が。」という気持ちはあります。
    でも、そこに留まっていてることが、私には怖くて出来ません。

    ウランちゃんとの日々も、毎日毎日を大切にした結果、気が付いたらお雛様、そうしたら桜も見れた、気が付けば1歳の誕生日も来た、という感じになればいいな。と、思います。

    だって、本当の寿命なんて誰にも分からないから。

    医師から余命を宣告される…という状況は、親にとって大きな危機となり、子どもの生きている今も死と向き合うことになります。
    何よりも、苦しそうなウランちゃんを見続けていくこと、その日々の中では難しい現実もあると感じます。

    でも、生きている大事な今という瞬間を、死に奪われないで欲しいと思います。

    死を意識しないまま、わが子と突然の別れをすることよりもいい経験なのか、そうではないのか分かりませんが、いつか誰でもが死を迎えます。
    そのときに、与えられている今という瞬間をこんなにも頑張って、たくさんの愛情と絆で過ごせることは、いつか誰でもが遺族になるという大きな大きな視点でみたら、やはり幸せと感じます。

    ウランママの今の心の助けになるか分からないけれど、私を支えきた言葉を贈ります。

    「子どもを看病できるチャンスをもらえたことは、幸せなことなんですよ。」byそうちゃんを診てくれていた小児科のクリニックの先生より。

    「何を選択しても、(子どもの生死という)結果は決まっているかも知れないじゃないですか。だったら、何がいいかなんて誰にも分からないんだから、与えられた選択できることを一生懸命に考えて選ぶべきだと思いますよ。」byそうちゃんを診てくれた女医さんより。

    上記の言葉は、医師が言ってくれた言葉です。
    そして、そうちゃんの発病の時と、お誕生日を迎えられたときの言葉なので、多少、違うかも知れません。
    でも、私には、大きな支えとなってきました。

    闘病中の子どもの親や家族にとって、支えになる言葉というのは、私たちの基本的に「普通に生きる」「生きられる」「普通に生活ができる」ということが出来ない。ということを理解してくれている方だからこそ、心に響くということに大きく影響してくるのだと思います。
    同じ言葉でも、違う環境や背景で言われたら、聞き流していたかも知れませんし。

    ウランママの心のビタミンになる言葉や配慮や応援が、もっともっと増えますように。

    返信削除