先月、アトムの長靴とレインコートを送った岩手の方から、とても喜んでいるお子さんの写真が教会宛てに届いたとのことでした。つらい記憶、経験は消えてなくなることはないですが、束の間喜んでくれたり笑顔がこぼれたりということに少しでも出来ることがあれば、と思います。
今日で震災から4カ月。
未だ避難所生活の続く方々や原発の復旧のために昼夜問わず危険と隣り合わせで働いている方々を思い、心にとめて過ごしました。
4か月未だがれき6割が撤去できず、というニュースを目にしました。
政府や自治体のやり方が悪くて撤去が進まない、というニュアンスの記事もありましたが、一方で瓦礫はゴミではない、という地元の方の声もあるそうです。
多くの人から観たらゴミや不要に思えるものでも、誰かにとっては遺品や思い出の品であったり。
私はくららが最後に身に着けていたオムツや飲み終わった薬の袋、使用済シリンジを捨てることができずにいます。(オムツは念入りに防虫対策を施して)
愛用していた帽子の裏に残っていた細く短い髪の毛。
投薬で使っていた大・中・小のシリンジ。
使用済みの小さな紙おむつ。
普通に見たらただのゴミでも、でも私たち家族にとってはくららの肌のぬくもりが残る大切なものです。
時間とともに何度も心の整理や折り合いをつけて、やっと捨てたものもあります。
くららが飲んでいたトリクロという鎮静剤。きれいなオレンジ色のシロップで美味しそうな甘い香りがするものです。
最後に処方されたのは1カ月分まとめての処方だったので、お薬ボトルの大きいサイズ3本分でした。
冷蔵庫の棚の整理や掃除の度に手にとってボトルの周りを拭いたりしていましたが、「捨てる」という発想はありませんでした。
だんだん色が変わって、きれいなオレンジ色から薄暗いオレンジになってきたのに気がつきつつも、まだ捨てることが出来ず。
でも最近あることがきっかけになって黒みがかったオレンジと化したトリクロをやっと捨てました。容器には娘の名前のラベルが貼ってあるので、洗って乾かして閉まっています。
モノそのものへの執着ではなく、モノを通して故人との思い出が感じられたり、モノを捨てることで死を受け入れなければならないように思えたり、そんな心境の中で、時間が流れ、そのモノがなくても大丈夫、ずっと心にいるから、一緒にいるから、と思えるようになっていくのかな、と思います。
被災地で愛する人、大切な人を突然失ってしまった方々が納得がいくまで、瓦礫のように見えるけど実は愛する人との思い出の品を無理に撤去することのないように、と願います。
復旧・復興を急ぐ声もあるかもしれませんが、人の心にひずみを生じたり残したりしながら急速に復興しても、それは良い結果を生まないのでは、と思ったりします。
★今さら気付いたズボラ母★
3 週間前
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