2010年4月17日

「死」という言葉の響き

少しずつ、ですが、日常の生活で何気ないことに笑ったりすることも思い出してきました。

でも、ふとした時、突然襲ってくる悲しみや感情の揺れは、やはり、どうすることも出来ません。
どうすることもしなくていいと思い始めつつ、一方で、くららに二度と会えない、くららがいないこと、そのことが今更ながら受け入れがたく感じる瞬間があります。


打たれ弱く神経過敏になっているのか、くららとの別れの過程である意味自然な反応なのかは自分では客観的に判断できないのですが、「死ぬ」という言葉にとても動揺します。

職場で多忙を極める同僚が何気なく発した「忙しくて死ぬ寸前ですよ」という言葉。
死んだら香典山ほど包んでやるよ、とユーモアで返す人、死んだら使えないっちゅーの、というやりとり。

以前なら気にとめることも無かったであろうそんなやり取りに、思いがけず感情が揺れ、思考が停止してしまい、そのあと仕事が手につかなくなってしまいました。

そう、死んだら何も出来ない。

時が過ぎれば、また気にとめることはなくなるのか、それとも、一生こんな風に感情が大きく揺れ、深い悲しみが押し寄せるのか。

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