2010年3月15日

バタン キュー

先週1週間は、週末家に着いたとたん、バタン キューとなってしまいました。

まだ仕事らしい仕事は割り当てられていないこともあり、専ら未読の社内メール(約8000通ありました!)
を読み漁っていただけ、後は通勤しただけなのですが、思いのほか疲労が濃くて。

余談ですが、私の会社は基本的なコミュニケーションがメールなので、極端な話、相槌程度でもまた近くに座っていてもメールでやりとりしたりします。

席が固定席ではないことや、とてもミーティングが多いこともあり、電話や直接話すよりもメールのほうが相手をつかまえることができるためです。

(ミーティングには皆ノートPCを持って内職しながら会議に参加するので、会議効率はあまり高くないときもありますが。。)


帰宅後、パパとアトム君が入浴している合間に、だらしなくソファーに寝そべってテレビをつけると、松田聖子さんが歌っていました。

以前、入院中、くららが夜寝付けないとき、病棟を散歩しながら子守唄を歌ったことを書きましたが、知っている子守唄を歌いつくした後は、「瑠璃色の地球」等も歌いました。

「あなた」や「ふたり」の歌詞をくららに代えて歌ったこと、そのときの抱っこしていた感触を懐かしく思い出しました。

翌日も体がなかなか動かなかったのですが、お昼から気温があがり、思い立って、また海に行きました。

「海に何が見えるかな~」とアトムに聞いたら

「ママ、くららちゃんが見えるでしょ~」と。

私はまだくららの姿は見えなくてぬくもりだけしか見えないけれど、アトムにはくららの姿が見えてるのかもしれないなぁ、と思いました。


最近、やっと、くららぐらいの月齢の赤ちゃんを見ても、涙がでなくなりました。

以前ある天使ママさんが「他の子をみてもはあまりにもわが子と違いすぎて重ねたりは出来ないから」
というようなことをおっしゃっていましたが、今やっとその気持ち、私も感じます。

赤ちゃんはみんな可愛いし、抱っこしたいなぁと思うけれど、

くららじゃないから、涙はでてきません。

だから、アトムの保育園の送り迎えでも、0歳児クラスの赤ちゃんを見ても

「かわいい」

と思うだけ、涙はでません。


もちろん、まだ、泣かない日はありません。

会社の行き帰り、お昼休み、、

でもそれはくららだけを見て、くららを偲んで、の涙。

くららが旅立った1月28日から、時は止まっているように感じていたけれど、

氷が溶けるように、ゆっくりと時が流れているのかもしれないです。

2 件のコメント:

  1. 抱っこできる感触。

    私はどうして思い出さないのかな~って思うときがあって、それは、聡太郎が入院してから抱っこが出来なくなったから。ということに気付いたの。

    だから、私はくららママがくららちゃんを抱っこして過ごした在宅の時間は、何にも変えられないくらい貴重な時間だったと思うし、ママに自信を持って欲しいと願っています。

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  2. なみさん コメント有難うございます。

    色々な後悔がたくさんあって、そして、在宅できなくなった後に必ず入院がある、と思い込んでいた分、旅立つタイミングが予測できなくて、本当にショックでした。

    でも、確かに、なみさんのおっしゃるように、在宅の時間は何にも変えられない貴重な時間だった、そうでした。

    でもでも、
    絶対に忘れないと思っていたやわらかい感触や甘酸っぱい匂いが記憶から薄れていくのは、どうやって受け入れたらいいのか、つらいものですね。

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