加藤友朗先生の「移植病棟24時 赤ちゃんを救え」読み終わりました。
これまで、移植は病院から治療の選択肢として提示されるもの、という固定観念がありました。
でも実際には、日本においては主治医の先生や病院側が提示するものというよりは、親が自らその選択肢を探り、道を拓いていくものであることを知りました。
(理解が誤っていたらすいません。。)
大橋陽佑ちゃんや神達彩花ちゃんが重篤な状態の中渡航し移植を受け頑張っている描写は、その健気さに心を打たれ目頭が熱くなりました。
特に彩花ちゃんは日本の主治医の先生から余命宣告を受け
「もう治療のしようがないんです」と告げられたくだりは、本当にくららと重なり胸が締め付けられました。
そのように宣告されても、彩花ちゃんのご両親はどうすればよいのか、どうすれば治るのか、何度も先生に繰り返し聞き、自分たちの力で移植の道へとつなげられました。
そしてまた、大橋さんがブログで記されている
「奇跡は「起こる」ものではなく、信じる心が「起こす」もの」
という言葉を目にして、
信じる心が足りなかったんだ、と今、深い後悔で一杯です。
日本にいて、もう治療の術がない、手術をしても術中にかなりの高い確率で旅立つでしょう、と言われ、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンでも同じように術がない、と伺った後、主治医の先生に、
移植はどうでしょうか、と聞きました。
先生は、
「渡航移植は体力も必要だし、募金もしなくちゃいけない。乳児のドナーは大人に比べれば、アメリカとはいえやっぱり少ないから、くららちゃんはちょっと難しいかもしれないな。海外に生まれていれば最初から移植対象なんだけど。」
とおっしゃいました。
アメリカでは外国人の移植枠は前年の移植実績の5%とする「5%ルール」というのがあります。
外国人は日本人だけではないので、その枠に入れるかどうかも難しく、さらに枠に入ってからも
優先順位があります。
それらを考慮しての先生の発言だったのだと思います。
先生は不可能とは言いませんでした。「難しい」と言いました。
日本で移植が出来ていれば、、、ということよりも、
何故あの時難しくても僅かの可能性があればそこに向かって進んでいかなかったのか、
少なくとも1歳ぐらいにならないと(ドナーとのめぐり合いの観点、手術を受ける体力や体重の観点で)移植は難しい、という話を耳にして、勝手に今はまだ無理なんだ、とその時点で思ってしまいました。
もちろん移植をしても拒絶反応や術後の色々な懸念はあります。
でも、挑戦すらしなかったこと、悔やんでも悔やみきれません。
加藤先生の本に
「本当に弱った赤ちゃんは泣かない。ぐったりして泣けないのだ。彩花ちゃんの泣き声は
「生きたい」という魂の叫びのようにも聞こえた」
とありました。
くららは、旅立ったその日までちゃんと泣いていました。泣けていたんです。
前日27日の夜中は本当に良く泣きました。
苦しいのかな、明日受診してみようか、そうパパと話していました。
今思うと、「生きたい!」という、くららの魂の叫びだったのかもしれない。
くらら、本当にごめんね。
★今さら気付いたズボラ母★
3 週間前
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