2009年11月13日

ウランの誕生・・そして病気判明ーその3


大学についてNICUに向かうと、ウランちゃんは病院を出たときと大きく異なり、
いくつかのモニターと酸素の管がつけられていました。

SPO2(動脈血酸素飽和度)は、50-60台、健康な人(赤ちゃんも大人も)は100前後ですから、半分しかありません。
多呼吸でつらそうです。

その姿を見て、こらえていたものがこみ上げてきました。

NICUの主治医の先生から、いくつかの心臓疾患が見つかっており、かなり緊急且つ難易度の高い手術が必要なので
受け入れ先を探していること、早ければ3日後に搬送可能の予定、との説明を受けました。

とにかく助かって!!と願うだけで他に出来ることもなく、その日は出産した産婦人科へと戻りました。

夜、、両隣のお部屋からは元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
廊下では、「おっぱいが張って痛いよー。母乳がんがんあげないと!」という産後のお母さんの声が聞こえます。

私の赤ちゃんはNICUで泣くこともせず、私は母乳をあげることも出来ない思いで
このまま産後の入院期間である残り4日間をこの場で過ごせる精神状態ではありませんでした。

ウランちゃんの急な搬送に備える意味でも、主人と一緒に自宅で過ごしたい旨、助産師さんとドクターに相談し
たところ、駄目とは言いませんでした。その代わり、必ず自宅で安静に過ごすことを約束してね、とのこと。
快く退院診察もして下さいました。

かくして産後1日で私は産婦人科を退院し、翌日は自宅から大学病院のNICUへと向かったのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿