ウランが生まれたのは政権交代の例の選挙が終わった明け方でした。
台風の湿った空気と霧雨の中、クリニックに到着し、1-2時間で分娩台へ。
何度目かの妊娠でやっと臨月まで来れて、それに加えて待ち望んだ女の子です。
幸せと感動に包まれて、分娩台で初乳をあげはじめましたが、あまり吸ってくれません。
それと、アトムの時とは異なる全身のチアノーゼ(紫色)が気になります。
「お産で疲れたのかもね」と助産師さんは言います。
カンガルーケアもした後、本来なら母子同室なのですが、「ちょっと預からせてもらうね」
と助産師さんに言われ、まぁ産後の疲れもあったしこれからずっと一緒に居られるから、と
あまり考えることも無く「はい」と答え、私だけ病室に戻りました。
主人も「少し眠ってから昼間にまた来るね」、と一旦帰宅しました。
それから2時間後、明け方になって、院長先生と助産師さんがお部屋に来ました。
「ウランちゃん、酸素をあててもちょっとチアノーゼが治らないので、大きな病院で診てもらうことにします。
救急車で私(院長先生)も付き添うのであまり心配しないで下さいね。
ただ、手続きがあるので、ご主人には先方の病院に向かって欲しいのですが。。」
と言われました。
何のことやらよく理解できないまま、ウランを搬送用保育器に入れるまでの数分抱っこさせてもらい、
不安な思いでウランを乗せた救急車を見送ったのでした。
★今さら気付いたズボラ母★
3 週間前
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