2010年6月11日

カルテー外来の記録-

くららに関することはすべて持っておきたいことはもとより、
自分なりにくららの病気をもっと詳しく把握し、日本以外の国ではどう治療されているのか(修復手術よりもまずは移植なのか等)学んでいくことをライフワークとしたい、そのために医学的データを持っておきたい、そんな思いでカルテ開示請求をしました。


でも実際に手にしてみて思うのは、、くららの状態に向き合うよりも、いつも数歩遅れて、ついていくのに必死な、不安定で頼りない自分を振り返ることになりました。



病院から頂いたカルテは、前半が入院中の記録、後半が外来と電話相談の通話記録になっていました。


「いつ電話しても、誰が受けてもわかるようにしてあるから」


主治医の先生が常々おっしゃってくださっていた言葉通り、ほぼすべて電話相談も記録して下さっていました。


年が明けてからは、こんなにかけていたの?と思うほど、電話の数が増えていました。

そのときは意識していませんでしたが、家にいて判断を誤って、くららが旅立つ時期が早まってしまったたらどうしよう、という不安が電話内容に現れているようでした。


「こんなにつらそうなのに、何もしてあげられることはないんでしょうか。
トリクロ(鎮痛剤)を使いすぎて中毒になったらどうするんですか。」


旅立ちの数日前にはそんなことも言っていたようです。

今思えば、もう怖くて仕方がなくて、くららとの別れを考えなければならない時期にきていたのにそれを否定したくて、先生にやつあたりになってしまったように思います。



「できるだけ鎮静剤で眠らせてあげることで少しでも辛さを緩和してあげることが、いまのくららちゃんにしてあげられることです。」

主治医の先生ではなかったですが、電話にでられた先生が冷静に答えて下さいました。


そして、1月27日。

「急に元気が無くなったようで、意識はありますが、いつも遊ぶベビーチェアのおもちゃにも全然興味を示さず、表情も苦しそうです。もう入院したほうがいいでしょうか」
と電話をしました。

幸い主治医の先生が電話に出られて

「入院はミルクが消化できなくなってからで大丈夫。それまではお家で過ごして大丈夫ですよ」
と答えてくださいました。

ミルクが消化できなくなるのが一つの節目で、そこに来たら入院、そんな風に思っていました。

だから、その翌日28日に旅立つなんて、全然予測できませんでした。


カルテから、くららと過ごした日々を振り返り思うのは、
自分が、こんなに心の余裕無くいっぱいいっぱいになっていた、ということ。

こんなことでは、くららは毎日安心出来なかったのでは、と悔やみます。

もっと心の余裕を持って、くららを見守り、支えてあげたかった。

心穏やかに安心して最期の時を迎えるよう、見守ってあげたかったです。

ごめんね、くらら。



冷蔵庫にずっと入っている鎮静剤のエスクレ坐薬とトリクロシロップです。
いつかは処分しなければいけないけれど、まだ出来ません。


1月7日の外来で1か月分の処方として頂いた際、こんなにたくさん?!と驚きました。


でもそれぐらい処方が増えていて、以前は頓服だったトリクロが、6時間おきに5mlずつ、6時間空けずに効用が切れてつらそうなら、随時頓服でエスクレを、と言われました。

こんなに小さな体でこんなにお薬がたくさん、、本当にただただ申し訳ない気持ちで一杯になったことを思い出します。

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