2010年3月28日

事実を理解したとき

1月28日 15時55分にくららが旅立った後も、病院で沐浴したり、抱っこして歌を歌ったり、今までと変わらずに接しました。

夕方18時ごろ、寒く暗くなってきて、病院からいよいよお家に戻るとき、主治医の先生が

「お母さん、外は寒いからコートを着たほうがいいよ」

とおっしゃってくださいましたが、私は

「大丈夫です。くららを抱っこしてるから温かいので」
と答えました。本当に温かく感じたんです。

それから数日、お家でいつものくららの寝ている場所にくららを寝せて、着替えをさせて、朝になったら顔を拭いて唇にワセリンを塗って、いつもどおりの生活をしました。

2月1日、くららの見送りの日も、私の中ではくららは旅立っていませんでした。


でも、斎場について、無機質に番号が振られた台の前に立ったとき、モニターにくららの名前が表示され、名前の左側に「故」という文字を見たときに、今までの人生で感じたことの無い感情が沸き起こってきました。

怒りだったり、悲しみだったり。

怒りのほうが強かったかもしれません。「故」ってなに?やめて、、と思いました。

今でも思いますが、どうして「故」ってつけなくちゃいけないのか理解できません。
フルネームのままではいけないんでしょうか。

でも、あの瞬間に、「故」って文字を見たときに、私はくららが旅立ったことを「事実」として理解したような気がします。

主人に「パパ、「故」ってついてる。くららの名前に「故」って付いてるよ。「故」じゃないよね、どうしてなんだろうね。」
と話したことを覚えています。



月命日は、何か特別な感じがします。
今日は、くららのこと以外、一切何も出来ませんでした。
たくさんボーっとして、横になってうつらうつらしながら、何度もくららに会いました。


4月からクラスが変わるアトムの保育園用の準備も、全然出来ませんでした。
平日にやらなくっちゃ。

本当なら、くららとアトム、二人一緒に4月1日から通うことになって、それは忙しい週末になっていたはずなんですが。

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