終末期医療に携わる小澤竹俊先生の「いのちはなぜ大切なのか」を読みました。
「病気が進行するにつれ、今まで出来ていたことが一つ一つ出来なくなっていく。これは大変つらい苦しみ。
しかし、たとえ自分で出来なくても、自分の行いたい大切な事柄を、心から信頼出来る誰かにゆだねられること、手放すことが出来たなら、例え死が迫っていても、穏やかでいられると認識する可能性がみえてくる」
とあります。
くららもミルクがお口から飲めなくなり、段々と、鼻から入れたチューブのミルクも消化に苦しむようになりました。ベビーチェアに付属したおもちゃで遊ぶ元気もなくなり、その後ベビーチェアに座ることすら、肩で息をして、つらいようになってきました。
本当に少しずつ、出来たことが出来なくなっていくのをただ見守るだけ、何もしてあげられない無力さに、悲しむよりも腹が立ったりしました。
でも、抱っこして歌ったり、一緒に横になって私がおもちゃをお顔やお手手に近づけて音を鳴らすと、苦しそうに笑ってくれたりしていました。
くらら、最期まで穏やかな気持ちでいてくれた?
いつか答えをママに教えてください。
★今さら気付いたズボラ母★
3 週間前
こんにちわ☆ひなっこです。
返信削除いつも拝見させていただいていて、ウランママさんの気持ちがすごくよくわかります。母にしかわからない思いなどたくさんありますよね。
今回の記事をみて、私も娘ががん細胞が全身に転移して、歩けなくなり、ご飯が食べれなくなり、今まで出来ていたことが日に日に出来なくなり、弱っていく姿を思い出し、涙が止まりませんでした。
今は天国で走り回ってるかな?ご飯もちゃんと食べてるかなと思ってます。
おしゃぶりや爪切りをみて、娘のものも名前が書いてあるものがたくさんり、くららちゃんも入院してたから名前が書いてあるのかな?と思いました。
ひなっこさん
返信削除コメント有難うございます。
そうなんです。
入院のときに、すべての持ち物に名前をつけるように言われたので、おしゃぶり、爪切りはもちろん、ミトン、靴下、肌着etc.お名前をつけました。
幼くして亡くなる子ども達、それぞれに特別な深い悲しみがあると思います。
その立場になってみないと、その痛み、悲しみの深さは理解できないのでは、と思い、
ひなっこさんのお子さんを見守り、見送られた思いとそのつらさは、私の想像を越えたつらさ、悔しさで溢れていると思います。
でも、今は天国できっと幸せに走り回って楽しく過ごしていると思います。くららとお友達になっていてくれたら嬉しいです。