1回目の救急車の時だったでしょうか、主治医の先生に
「お母さん もしものとき、壊れないか心配。アトム君のママでもあるんだからね。」
と言われました。
「壊れる」・・・・・その意味の捉え方は人それぞれですが、その時私は
「大丈夫です。二人とも同じぐらい大切だし、万が一の事があっても、私は娘を弔っていく責任がありますから壊れません」
と答えました。
でも実際に今になってみて、少し壊れかけてるような自分を感じる時があります。
凄く元気で、泣いたっていい、もう大丈夫、と元気に思える瞬間もたまにありますが、
ほとんどの時間は、自分が思っていたよりも全然大丈夫ではありませんでした。
毎朝、ミルクを作ってくららにあげた後は、
何もする気も起きずにボーっとしているうちに1日が終わることが多くて。
お風呂やお手洗いから慌しく出なくて済むこと、ただそれだけのことが悲しくて涙したり。
アトム君のお迎えに行く道すがら、一人で歩きながら、梅を見つけて、
「春までもう少しだったのに。」と思ったり。
お迎えで保育園に着き、乳児クラスの赤ちゃんたちを見て、
「元気になってたら、くららもこの4月に保育園だったんだなぁ」と。
デパートで見かける可愛い子供服を見かけて、
「元気になってたら、くららにも温かいモコモコのベビー服似合っただろうな」
と、つい何でも関連付けてしまったりして。
人目もはばからずに、予測出来ないタイミングで、涙が出ます。
アトム君は、そんな私を気遣ってくれてか
「ママ、アトム君はくららちゃんが大好きだから、おもちゃ貸してあげるね」
「ママ、クッキー美味しいからくららちゃんにもあげようね」
としきりにくららのことを気にかけてくれます。
頼りないママでごめんね、と、アトムやくららに思いながらも、
でも、こういう状態も時にはアリなんじゃないか、とも思い始めています。
こういう状態を経て、いくつか存分に悲しみや苦しみの次のステップがあって、
色々な思いを感じて、最終的に一皮向けた母親になれたらいいんじゃないかって。
私の弟がメッセージをくれました。
「誰よりも頑張ったくらら。
太く短い人生だったけれど、でも、これほどまでに両親に愛されて幸せな人生だったように思います。
いつか くららに追いついたときに、くららに笑われない人生を僕も送れたら、と思います。」
いつか、ママ、がんばったじゃない、あたち ずっと見てたわよ、ってくららに言って貰えるママに
なれますように。
とってもおめめがきらきらしていてかわいいです☆
返信削除しっかり見つめていますね。
私は3カ月目前で3年前の三月に、娘を同じ病気でお空に見送りました。
きっと、くららちゃんのことを見つけて、遊んでいるかな・・。
お寺の住職さんに、「赤ちゃんや小さいこは、道に迷わないようにお地蔵さんが道案内してくれるんですよ。」
と、話してもらったことがあります。
くららちゃんもお地蔵さんの後をついていっているところでしょう。
気持ちにすごーく幅があるのは当たり前です。
予期せず涙がぽろぽろ流れたり、冷静でいられたり、本当にいろんな思いが巡りますね。
何をすればよいという正解はありませんが、一日一日過ごしていく中で、本当に少しずつ気持ちの変化があると思います。
私も1カ月たたずに、職場復帰しました。育休って子どもがなくなったら、当然だけどその日でおしまいなんですよね。それがまた、すごくむなしく悲しく思いました。
復帰はだいぶ心に負担がかかると思いますが、頑張ってください(安易な言葉を使ってすみません)
応援しています!
えっこさん コメント有難うございます。
返信削除えっこさんのおじょうちゃま、くららのこと見つけてくれていたら嬉しいです。
「気持ちにすごーく幅があるのは当たり前」
そうか、幅があっていいんだ、と言って頂けたことに本当に心が救われたように思います。
当たり前、という言葉、とても有難く思いました。
これまでは自分がなんかおかしいのかな、取り乱して泣いたり普通にしていられたり変なのかな、と思っていたので。
育児休職制度、私も娘が天国へ行ったその日で休職は終わります、と人事に言われ、本当に悲しく感じました、がそれは制度ですから仕方の無いこと、と今は思えるようになりました。でも、すぐに復帰とまでは気持ちが追いつかず、今月一杯は有休でお休みしています。
復帰後また泣き言を吐いてしまうかもしれないですが、、ご容赦下さいね。