2010年2月28日

2月28日

今日でくららが旅立ってからちょうど1ヶ月が経ちました。

もう1ヶ月、まだ1ヶ月。。


くららが旅立った1月28日、見送りをした2月1日は雪が、そして今日は朝から冷たい雨が降りました。

くらら、お空から、気配を伝えてくれているの?


くららが余命宣告を受け、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを受けてもナチュラルコース以外取るべき道が無い、と言われたときに、くららに幼児洗礼を受けさせることにしました。

主人も私も無宗教で、主人の実家にお墓はあるのですが、お墓の場所もよくわからず、主人は何十年もお参りしていない、というぐらいちょっとフトドキものな感じが否めない夫婦でした。。。

でもくららのことがあって、色々と考えました。

高校生の頃、キリスト教の学校に通っていた当時、シスターから「ルルドの泉」での奇跡(不治の病の方が奇跡的に回復した話)を聞いたりしたこと、洗礼とは何たるか伺ったこと、初めて参加したクリスマスミサのことを思い出しました。

ルルドの泉については、当時、そんな絵空事、、という風にさえ思っていた私ですが、今目の前にある事実を覆せるかもしれない、そんな思いすら抱くようになりました。

兎に角奇跡を信じたかった。

そしてまた、考えたくは無かったですが、突然くららがこの世を去ることになったとき、一人ではきっと寂しいに違いない、私は付き添うことが出来ないかもしれない、どうしたらくららの寂しさを最小限に抑えられるだろう、ということも考えました。

それで幼児洗礼を受けさせることにしました。

洗礼についてはパパともよく話し合い、パパは快く賛成してくれました。

教会は、母校のホームページを辿って、自宅近くの教会を見つけ、神父様に、両親、親族に信者はいないけれども洗礼が受けられますか?と伺ったところ快く受けてくださいました。

神父様は、くららの体調を考慮し、小さなお部屋をご用意下さり、またベールも何もすべて教会のものを貸してくださり、時間も10分程度に短縮してくださるなど温かなお心遣いをして下さいました。

頂いた洗礼名はアンジェリーナです。
「守護の天使」という聖人から頂いた名前で、エンジェルのイタリア幼名(大人はアンジェラ)だそうです。
なんだかくららにピッタリだと思いました。


このことについて、主人のご両親には説明する機会を逸しており、葬儀の前日に主人から話して貰いました。
既にお墓もあることですし、色々と戸惑いや質問、もしかしたら事前相談の無かったことに咎める思いもあったかもしれませんが、一切触れずに快く葬儀のミサに参加してくださいました。


キリスト教のミサは本当に遺族を重んじてくださるものだと感じました。
(もちろんそれぞれの宗教にそれぞれの特徴と故人を偲ぶ思いがあると思います。
あまり他のことをよく知らないので主観的な思いです)

葬儀のミサに際して、事前に教会に挨拶に伺うことも無く、すべて電話で手続きを済ませることが出来、
くららの旅立ちから見送りまで、ずっとくららのそばを離れることなく、くららのことだけを考えて過ごすことができました。

また聖歌を知らない家族ばかりですので、当日はボランティアの方が聖歌隊として来てくださっていました。


何よりも葬儀の間に、何度も
「アンジェリーナくらら」
と、くららの名前が呼ばれ、くらら天使になったのかな、本当に皆でくららのために祈りをささげているんだ、そう思いました。



そして先日、、仏事でいうところの四十九日法要のようなものはどうするんだろう、
と教会の方に相談したところ、亡くなって1ヶ月に「追悼ミサ」というものがあるとのことでした。

葬儀のミサのように身内でも行えるし、日曜日の一般のミサに組み込むことも出来るとの説明でした。

パパと相談して、パパとアトムと私の3人だけで、一般のミサに含めてもらう形にしました。

私やパパの親族にも、くららは本当に愛してもらっていました。
だからこそ、ミサという形で、くららのいない現実や悲しみを呼び戻すよりも、くららは家族4人揃って仲良く暮らしてる、という風に思ってもらい皆には日常生活に戻ってもらいたい、エゴかもしれないですが、そう思ったからです。


パパとアトムと私は、くららの家族です。
今はまだ、そしてこれからも、自分たちの生活からくららの存在が消えたことを受け入れるのが難しい状況ですし、生活を共にしてきた記憶の中で、時間をかけて、いないことの寂しさに慣れていく必要があります。


山崎まさよしさんのOne more time, One more chanceではないけれど、
電車待ちのホームとか、明け方の空とか、本当に色々なところでくららを捜しています。

そんな風に現実の中でくららを探しながら生きていくのは、私達家族3人で、という思いから、追悼ミサを含めて今後のミサの参加も家族3人で、そう決めました。

一般のミサでしたので、チリの地震についてもお話もありました。
くららの祈りをささげた後、チリで被災した方々にも祈りをささげました。


余談ですが、パパは楽譜が読めません。
だけど、手渡された楽譜を見ながら、間違えながら蚊の鳴くような声で聖歌を歌っている姿は、
くららとアトムのパパとして誇らしく、またカッコよく思いました。



洗礼式の時の写真です。
くららのお洋服は、アトムのお宮参りのときの衣装を着ました。
私が背負っているピンクのリュックには、くららの携帯用酸素ボンベが入っています。
くららはすやすやねんねです。





ベールは教会で貸して下さいました。

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