2010年6月14日

「救児の人々」を読んで

「救児の人々」(ロハスメディカル)を読み終わりました。

くららが旅立ってから、くららの病気について学んでいく中で、NICUや小児医療の現状・問題点についても情報を得たり理解を深めていくことがライフワークのようになっています。


今はただ理解していくだけの段階ですが、それを積み重ねた先に、いつか
病児やその保護者が孤独に陥らず、より暮らしやすい世の中になるために、自分に何が出来るかを模索し、実践していきたいという思いがあります。


AMAZONに掲載されているこの本の紹介を抜粋・引用します。

「軽蔑していいですよ。子供が助からない方が、よかったのかもしれないと思うことがあるんですよ……。昔だったら医療がこんなに発達していないから、小さい赤ちゃんは助からなかったと聞きますよね。あの子は私みたいな親の元で障害を持って生まれちゃって、かわいそうですよね……。
~私が思うのは、『産んでしまって、ごめんなさい』なんです。こういう気持ち をどうすればいいのか、本当に分からなくて、助けてほしいですよ。

~医療者たちが過労死寸前まで働いて築き上げた世界有数の新生児医療があったからこそ、子供は助かった。

~高度に発達した医療技術と、その一方で存在する福祉の貧困。その狭間で苦しみながらも、生きることの喜びを見出そうとする患者家族と医療者の生の声。」


NICUで救われた子供の両親、医師や看護師など医療従事者、様々な立場の方の、綺麗ごとではない、生の声を綴った本です。

紹介文冒頭のお母さんには共感する部分がいくつかありました。

くららが生まれ病気がわかったとき、健康に産んであげられなくて本当にごめんなさい、と私も何度もくららに謝りました。

「お母さんが何か気をつけたりしても防ぐことが出来たものではなく、原因は今もって不明で一万人に一人の確立で生まれる病気です。」

そんな風に、新生児搬送された最初のNICUでも、転院した心臓病の専門病院でも、ほぼ同様に、先生方が慰めの言葉をおっしゃっる度に、余計に申し訳なさが増してきました。

原因がわからなくたって、産んだのは私ですから、私に責任があります。

そう思いました。




読み終えて思うのは、この本には、今の日本の問題が凝縮されているといっても言い過ぎではないということ。


少子化で出生率は年々下がっているのに、NICUのベッド数は常に不足しており毎年増床傾向にあります。

そこには女性の社会進出に伴う高齢出産化、心身のストレスからくる不妊、流産、早産など順調ではない妊娠経過の増加も因果関係として見え隠れします。


冒頭のお母さんが本の中で言っていた様に、自分にもしものことがあったら、この子はどうなるんだろう、
という思い、私も自宅での看護をしながら、同じような思いを抱き、不安でいてもたってもいられなくなったこともありました。

子供に限らず、自宅での介護、看護はとても孤独で、まずは家族で出来るだけのことをする、その次に必要であれば第三者の手を、そんな風潮がまだまだ日本には多く、また利用できる福祉も十分では無い様に思います。


くららは心臓疾患ということもあり、対応できる訪問看護士さんがおらず利用は出来ませんでしたので、24時間私と主人だけで看護でした。経鼻胃チューブの挿入など主人は習っていない手技もあったので、私は絶対に風邪を引いたり病気にならない、なってたまるか、毎日そう思っていました。

でも、本音を言えば、たまに、本当に疲れてしまって、3時間でいいからまとめて睡眠とりたい、そう思ったこともありました。

この本によると、常に痰の吸引や呼吸器管理が必要なお子さんであっても、訪問看護士さんは週2回、90分程度の利用しか出来ないとのことでした。NICUを退院して自宅に戻っても、その後の生活が一生続く中で、親が孤独で心身ともに負担を抱えて生きていかなければいけない、例えばそんな思いを吐露する場があるだけでも大きな支援になると思いますが、そういう面での医療、福祉すらないのが現状です。


NICUを出たとたんに色々なはしごが外され、両親、特に母親が孤独な看護をしていかざるを得ない現状、
子供は社会の財産というけれど、終身雇用が崩れ、経済が不安定で非正規雇用が増え各々の明日の生活さえ不安な世の中で、他人の子供について温かい目で、「皆で育てるんだ」なんて気持ちを持てというほうが無理かもしれない、そんなことを考えさせられる本でした。



先日、会社の帰りにこんな光景を目にしました。

19時台の電車でひどく混雑していました。赤ちゃんを抱っこしたお母さんと白髪のご婦人が空いた座席を譲り合っていました。目の前には、ビジネスマン、ワーキングウーマンが携帯を触ったり、本を読んだり、熟睡したりして座っていました。

なんだか悲しい光景だなぁと思いました。

日々の生活に他人を思いやる余裕があって、高齢者や子供は社会全体で支えるんだ、と思えれば、赤ちゃんもお母さんもご婦人も三人とも座ることができるはずです。

でも、そんな余裕が無いほど、世の中が疲れてるんだなぁと。

私だって例外ではなく、今回はその光景に気がついたけれど、別の日には運よく座れて熟睡してしまっているかもしれない。


この本の中である医師がいっています。

「医療者や病児の家族のしっかりした想いや意見を「未来の当事者かもしれない、NICUを知らない社会の人」
に伝える努力をすることが必要。NICUに足を踏み入れたことの無い人も、当事者になってから考えるのではなく、普段から関心を持ってもらうことが大事。」

自分が当事者になったことの無い環境、立場をいかに想像してその問題を真剣に考えられるか、NICUに限ったことではありません。障害者に冷たいといわれる日本、高齢化社会、少子化・・・・深く考えさせられます。

2 件のコメント:

  1. 「NICUに足を踏み入れたことの無い人も、当事者になってから考えるのではなく、普段から関心を持ってもらうことが大事。」とあるように、移植医療も全てにおいて言える問題だと思います。
    また、NICUを出た後の病院のフォローでもPICUがない現状も多きな問題でもありますよね。
    日本は医療でも先進国だと思っていましたが、実は、ケアに関しては貧困なのだと感じる日々です。
    私も読んでみようと思います。

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  2. なみさん コメント有難うございます。

    移植医療についてもまさにそのとおりで、そういった意味では私は「移植医療を受けたことの無い」立場として、普段から関心を持つということを始めたばかりです。
    そして、日々知ることは驚きと疑問に溢れています。

    そしてまた新生児救命率世界一の日本なのに、NICUを出た後のフォローが無いこともこの本を読んで、初めて現実を知りました。
    移植医療の問題、NICUの問題、ケアの問題、本当に多くの人に知ってほしいです。そしてまた、私もより理解を深めていきたいと思います。

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