2010年2月27日

小児臓器移植セミナー

今日は日本循環器小児科学会主催の「緊急 小児臓器移植セミナー」に参加してきました。

http://jspccs.umin.ac.jp/top_link/2009/091215.html

そうちゃんママのなみさんのブログにて紹介があり機会を知ることができました。

なみさん
いつもありがとうございます。
http://ameblo.jp/sounami/theme-10012261457.html

9時から17時30分の長丁場でしたが、時間を感じることなくとても有意義な機会でした。
くららも一緒に聞いてくれていたように感じます。

会場では、くららがお世話になった病院のY先生にもお会いしました。
くららの担当では無かったのですが、病棟でよくお会いしていたこともあってか、くららのことを覚えていて下さいました。
(男性なのですが、話し方も物腰も女性のように柔らかな先生です)

セミナーの内容や感じたことは少し時間を取って自分の中でまとめてから書こうと思います。

品川での開催で駅のそばに和菓子屋さんとお花屋さんがあったので、
くららに桜のお菓子、桜餅とお花を買いました。



お花はスイートピーばかりピンク、白、赤を買ってみました。同じ種類のお花ばかり3種類どうかな、とも思ったのですが、意外といいかも。くららが好きそうな雰囲気になりました。
どうかな?くらら。

2010年2月26日

赤ちゃんを救え!を読みました

加藤友朗先生の「移植病棟24時 赤ちゃんを救え」読み終わりました。

これまで、移植は病院から治療の選択肢として提示されるもの、という固定観念がありました。
でも実際には、日本においては主治医の先生や病院側が提示するものというよりは、親が自らその選択肢を探り、道を拓いていくものであることを知りました。
(理解が誤っていたらすいません。。)

大橋陽佑ちゃんや神達彩花ちゃんが重篤な状態の中渡航し移植を受け頑張っている描写は、その健気さに心を打たれ目頭が熱くなりました。

特に彩花ちゃんは日本の主治医の先生から余命宣告を受け
「もう治療のしようがないんです」と告げられたくだりは、本当にくららと重なり胸が締め付けられました。

そのように宣告されても、彩花ちゃんのご両親はどうすればよいのか、どうすれば治るのか、何度も先生に繰り返し聞き、自分たちの力で移植の道へとつなげられました。

そしてまた、大橋さんがブログで記されている

「奇跡は「起こる」ものではなく、信じる心が「起こす」もの」

という言葉を目にして、

信じる心が足りなかったんだ、と今、深い後悔で一杯です。



日本にいて、もう治療の術がない、手術をしても術中にかなりの高い確率で旅立つでしょう、と言われ、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンでも同じように術がない、と伺った後、主治医の先生に、
移植はどうでしょうか、と聞きました。

先生は、
「渡航移植は体力も必要だし、募金もしなくちゃいけない。乳児のドナーは大人に比べれば、アメリカとはいえやっぱり少ないから、くららちゃんはちょっと難しいかもしれないな。海外に生まれていれば最初から移植対象なんだけど。」

とおっしゃいました。

アメリカでは外国人の移植枠は前年の移植実績の5%とする「5%ルール」というのがあります。
外国人は日本人だけではないので、その枠に入れるかどうかも難しく、さらに枠に入ってからも
優先順位があります。

それらを考慮しての先生の発言だったのだと思います。



先生は不可能とは言いませんでした。「難しい」と言いました。


日本で移植が出来ていれば、、、ということよりも、
何故あの時難しくても僅かの可能性があればそこに向かって進んでいかなかったのか、
少なくとも1歳ぐらいにならないと(ドナーとのめぐり合いの観点、手術を受ける体力や体重の観点で)移植は難しい、という話を耳にして、勝手に今はまだ無理なんだ、とその時点で思ってしまいました。

もちろん移植をしても拒絶反応や術後の色々な懸念はあります。

でも、挑戦すらしなかったこと、悔やんでも悔やみきれません。


加藤先生の本に
「本当に弱った赤ちゃんは泣かない。ぐったりして泣けないのだ。彩花ちゃんの泣き声は
「生きたい」という魂の叫びのようにも聞こえた」
とありました。

くららは、旅立ったその日までちゃんと泣いていました。泣けていたんです。

前日27日の夜中は本当に良く泣きました。

苦しいのかな、明日受診してみようか、そうパパと話していました。

今思うと、「生きたい!」という、くららの魂の叫びだったのかもしれない。

くらら、本当にごめんね。

2010年2月25日

おひなさま

なみさんから、お雛様だから、とくららにこんな素敵なお花をいただきました。


レースラベンダーです。

そしてお菓子も。有難うございます。



そうちゃん、
こんな可愛いプレゼント、くららにもらって有難う。

くらら良かったね。

お雛様、最初は買う予定はありませんでした。

近所に住む姉宅に実家から持ってきたものがあるので、それをくららも一緒にお祝いさせてもらおうと思っていました。

でも1月22日金曜日に、なぜか急に思い立って、仕事中のパパに
「お雛様買おうと思う。いい?」
とメールをしました。

あまりに突然のことで、且つ大きな買い物ですから、パパから

「ゆっくり週末相談しよう」

との返事がありました。が、なぜかその日のうちにどうしても買いたくて

「いや、何故だかとにかく今日中に注文したいの。駄目でもいい。買うから」

とかなり強引に進めてしまいました。そして、そんな大事な買い物なのですが、外出は出来ないためネットで探し、お雛様とお内裏様だけのシンプルなものですが、「コレ」というものが見つかり、早速注文の電話をしました。

しかし、「納期は2月中旬」との回答が。。。。

それまで知らなかったのですが、お雛様は即納というのはほとんど無くて、納期は早くても1ヶ月前後かかるものなのだそうです。

その日は朝から少しくららのミルクの消化が悪くなってきて、もしかしたら2月に入ったら在宅ケアが継続できずに入院になってしまうかも、という不安が生じていました。

なので、お店の方には
「2月中旬にちょっと入院するかもしれないので、どうしても1月中に欲しいんです」
と強引なお願いをしてしまいました。

対応された方がとても親切な方で在庫をなんとか1つ探し出して確保してくださり、1月27日夜に自宅に届きました。

㋀28日に朝に、
「くらら、おひなさま っていうんだよ」
と話しかけながら飾りました。

夜アトム君が帰ってきたら皆で写真を撮ろうと思っていたのですが、、
その日の15時55分にくららはお空に行ったので撮れませんでした。


今でも本当に不思議です。そんな大きな買い物を一瞬の間に、現物も見ずに購入を決めるなんて後にも先にもあの時だけです。

相談する間もなく買ってしまったわけですが、くららがお雛様見たかったんだね、とパパは言ってくれました。

親らしいことは何一つ出来ずにいましたが、嫁入り道具は一つ揃えてあげることが出来ました。


来年も再来年もその先もずっとお雛様は1月28日に飾ります。

ね、くらら。

2010年2月24日

赤ちゃんを救え!



この赤い小さな恐竜のおもちゃ、アトムがお風呂でいつも遊んでいるものです。

昨日から何故かこの恐竜を「くららちゃん」と呼び始め、「くららちゃん こっちにおいで」といって手のひらに乗せたり、お湯で流してしまって「ママー、くららちゃんがいなくなったよー」と言って焦って探したりしています。

今日もそんな感じでした。くららに似てるのでしょうか、、。

くららは「あたち 恐竜に似てないわよー」と言ってそうです。





今日、心臓病の専門病院からくららが旅立った日の医療費請求書が届きました。

今まで病院からの郵便物はすべてくらら宛だったのですが、今回は主人宛になっていました。

当たり前のことといえば当たり前だし、ただの「宛先」なのですが、一抹の寂しさを感じます。




「赤ちゃんを救え!-移植病棟24時-」という本を読み始めました。
先月 NHKの「プロフェッショナル」で加藤友朗先生が出演されたのをくららと見ていて、アメリカの移植医療について詳しく知りたい、と思い読み始めました。

加藤先生がマイアミの病院で移植(主に小腸・大腸・肝臓など)を手がけていた当時に書かれたもので、
アメリカ国内はもちろん、日本を含む(アメリカから見た)外国の方々への移植への取り組みや
日本とアメリカの保険制度の違いなどが大変わかりやすく書かれています。

(先生は現在美香子ちゃん※1の渡航先であるニューヨークのコロンビア大学に移られています。)


図書館では、一緒に「脳死の人-生命学の視点から」も借りました。
移植医療の現状を知る上で、脳死についての理解は外すことの出来ないものなので。


※1 現在移植のため渡航中の美香子ちゃん http://yaplog.jp/sf97/

2010年2月23日

遺伝カウンセリング 1度目



国立成育医療センターに行ってきました。
パパも半休してくれて一緒に。

以前、2005年にも不育症検査で通ったことがあるのですが、兎に角建物が綺麗で立派です。
マクドナルドハウス(http://www.dmhcj.or.jp/)もあります。さらに今回は保育園と注入室まで出来ていてびっくりしました。

注入室は授乳室と兼用ですが、それなりにスペースもあり、何より「注入にも使える」と明記してあるところが、必要とする親の立場からすると本当にありがたいと思います。

注入のためには、注入筒(イルリガートル http://urandemain.blogspot.com/2009/12/2.html)を引っ掛ける場所(通常は点滴用スタンドを使います)とベッド(乳児の場合)が必要です。くららが通っていた心臓病の専門病院には注入室は無かったので、外来に行った際は診察室を30分ほど一部屋お借りしていました。

ミルクが口から飲めなくなってからは、毎回受付で事情を説明し特別対応という形を取って頂きお部屋を用意頂いていたので、本当に気が引けました。
診察室を診察以外で使わせて頂くための理由・説明を都度しなければならないですし、また、あまり長い時間占有しては他の方の診察にも差し支えてしまいます。
途中からは、くららが自分のペースでゆっくりミルクを飲めるように、病院からの帰りの車で抱っこしながら注入できるよう車の設備を整えたりしたことを思い出しました。

なので、「注入室」の存在、素晴らしいと思いました。


遺伝診療科で1時間ほどのカウンセリングを受けました。

くららの心臓病専門病院での病状説明記録や母子手帳とともに、写真もお持ち下さい、とのことで
写真をお見せしました。

お見せした瞬間、紹介状で見る症状に比べて、顔色などが非常に良くて驚かれていました。

そしてそのあと、なんとも表現し難い、でも、本当に嬉しい、と思える言葉をかけてくださいました。

「くららちゃんって感じがしますね」

くららという感じ、なんか私も主人も、なぜだかわからないけれど、すごく嬉しかったんです。


もちろん病気の根本原因や予防などは未だ解明されていないので、カウンセリングを受けてもはっきりとしたことがわからないことは事前に理解していました。

カウンセリングでは、母体がコントロールできる病気ではない、妊娠期間中、何をどうしても防ぐことは出来なかった、ということだけはわかりました。
原因についてはまだまだ解明は難しいとのことでした。


それでも、カウンセリングを終えても、妊娠中に何か出来ることがあって、それをすれば少なくとも命を失わずに済んだんじゃないだろうか、という思いは変わりませんでした。





くらら、
くららは自分の体を「個性として」選んで生まれてきたの?
くららの持つ個性を通して、パパとママに伝えたいことがあって生まれてきたの?
帰り道くららにそう問いかけました。



喪が明けないうちに色々と動き回るのは不謹慎かもしれないけれど、、、。私なりの思いがあって。


写真に写っているくららのお友達のわんちゃんは「くるる」といいます。
姪っ子ちゃんが、くららのお気に入りだから、、と名前をつけてくれました。

くらら、くるる ママがあずかってるからね。

2010年2月21日

遺伝カウンセリング



22日と3月4日にそれぞれ別の病院で遺伝カウンセリングを受診します。

無脾症候群は遺伝的要素は無く原因も未だ不明、と主治医の先生はおっしゃっていましたが、
それでも、何かくららに関わることで今は時間を費やしていたいと思い立ち、パパも賛成してくれたので予約しました。

以前ブログにも書きましたが、12月上旬に一度子ども医療センタで遺伝外来を予約していました。
ですが、11月末にくららが急遽入院となり大事をとってキャンセルしました。

主治医の先生も看護師さんも
「病院にいる間は人手があるんだから、ママ行って来たら」
と言ってくださいましたが、直感的に止めたほうがいいと感じたので。

そして再度1月28日に予約をしたのですが、、、

あの日のことを振り返るには、色々な自責の念、後悔をもう少し整理する時間が必要ですが、、、

とにかく、くららの旅立ちの日ですからやはり受診はしていません。

そして今、どうしても、あの日のことが思い出され、子ども医療センタに向かう気持ちは持てず、
他の医療機関として、世田谷と新宿の病院で受診することにしました。

受診にあたっては、くららの主治医の先生が診療情報提供書を書いてくださいました。




以前同じ病気でお子さんを亡くされた方が下さったメールに、

「今でも、何をしている時でも「あの時ああしていたら…」という考えが頭をよぎります。
でも、きっとそれは一生続くもので、私が一生背負っていかなくてはならない思いなのだと思っています。」

とありました。

今まさにそう思っています。ふとした時に「あの時どうして私は」と思うと
やりきれなくなります。どの瞬間も、後悔しないように、と思って判断し行動してきたつもりでした。そして、ある時からは、くららとは以心伝心になれている、100%くららの気持ちに寄り添ってる、と思い
こんでいました。

でも、、、それはとんでもない思いあがりでした。


あの日のこと、1月28日に関わりのある事柄があるたびに、私は自分の不甲斐なさを思い出し、
悔やんでも悔やみきれない思いになります。

自分の愚かさに腹が立ち、本当に自分に対して情けなくなります。



ママがいろんなことを後悔しても、くららは喜ばない、悲しむだけ、
ママは精一杯出来ることをしてきたことをくららちゃんはわかってくれているよ、と
パパは言います。
そうかもしれません、でも、私はこうして自分を責める気持ちを持つことで、本当はもっとつらい心の
痛みから逃れているのかもしれません。

人には寿命がある、
長く生きるだけが人生じゃない、
体はなくなっても、心や魂はいき続けてる。

それを理解し受け入れ、気持ちもそういうようにもっていければと毎日思っています。

でもやっぱりリバウンドしてしまうんです。

だからってどうして生まれて5ヶ月でいなくならなくちゃいけなかったのか。
なぜあの日に旅立つことになってしまったのか。

まだまだ時間が必要です。

2010年2月20日

整理・・・



写真は、去年の9月、病棟で酸素用チューブも取れミルク注入用チューブも外れてお口から飲めるようになり、お顔がすっきりしたときのくららです。生後1ヶ月、まだお顔が新生児です。


今日はくららの好きな曲をかけながら、
くららのベッドの周りにあったものを、少し整理してみようと思いました。

飲んでいたお薬や外来受診用のバッグ、洗濯物、くららが関わったものは、あえて、そのままにしてきました。少しでも動かしてくららの気配が薄くなったら嫌だと思っていたので。

でも何故か今日はふと、少し整理してみようかなと思いたって。


未使用の注入セット(イルリガートルやシリンジ、経鼻胃チューブ等)やオムツ、愛用のおもちゃ類。

整理、といっても、結局一つ一つ手にとって抱きしめて、色々思い出し笑いや思い出し泣きをして、
また元の場所においたので、片付けにはなってないのですが。。

くらら愛用の耳付き帽子、内側にはくららのパヤパヤした髪の毛がついています。可愛すぎる。。
大切に保管しなくては、と思い、ジップロック袋に入れました。

幼稚園年長の甥っ子くんが、くららが旅立った日に書いてくれたお手紙もありました。

「くららちゃんがてんごくにいってかなしくてさびしくてかわいそうで
なきそうでかなしいよ」

甥っ子くんは本当にくららを可愛がってくれて、くららのことが大好きでした。

こんなに想ってくれて、ありがとう。




くららの好きな曲、

1曲目は「おやすみ」という子守唄。

これは、以前ピジョンが無料で提供していたCD(http://www.pigeon.co.jp/release/book07_02_05.htm)に入っている歌で、アトム君が生まれたときに入手したものです。

くららの人生を通して、ICUにいた期間を除いて、毎日必ず1回は歌った曲なので
たくさんの思い出があります。

入院中、なかなか寝付けないくららを連れて、真っ暗な病棟内をお散歩しながら
歌ったこと、
毎晩添い寝しながら、私の人差し指をくららの左手でにぎにぎしてもらってたこと。

「おめめをつむって暗くなっても、ママがその手を離さないよ♪」

大好きだったはずのこのフレーズは、今はまだ胸に重く響きます。


2曲目は「明日に架ける橋」(原題:Bridge over Troubled Water)

これは色々な方が歌っていますが、くららのお気に入りのベッドメリーに入っていたもので
妹がCDを探してきてくれました。

とにかくこのベッドメリーが大好きで、手巻きネジ式なのですが、5分程度で止まります。

一旦止まると、目と「あぁー、うぁ~」という可愛い声で催促され、
夜中は眠い・・と思いながらも何度もネジを巻いたのが昨日のことのようです。

このメリー、くららの見送りの際、一緒にもって行かせました。




3曲目はスガシカオの「Progress」

NHKの「仕事の流儀 プロフェッショナル」の主題歌です。

くららが好きだった、というよりは、くららとの思い出の曲です。

1月19日に放送された移植外科医加藤友朗先生の回を、1月25日にくららと一緒に見ました。
丁度美香子ちゃん(現在移植で渡米中 http://mikako-bokin.com/)が出演していて、
生まれて半年しか生きられないと言われていたのに今1歳2ヶ月で頑張っている美香子ちゃんを見て

「くららも大丈夫だよ。1歳まで頑張って、体力付いたら、そしたら渡米移植できるよ」

と話しかけていました。何度聴いても、その二人で観ていた時間を思い出して、抱っこしていた
感触を思い出せて幸せな気持ちになります。


そして最後はHayley Westenraの「The Best of Pure Voice」というCDです。

これは以前妹がくららにプレゼントしてくれたCDで、毎日このCDを聞いてくららは午前睡をしていました。

アメイジング・グレイスやアヴェ・マリア、タイム・トゥ・セイ・グッバイといった親しみやすい
曲が多くて、またその声が本当に心地よくて、私もくららと一緒に眠ってしまうことが度々でした。

音楽のおかげか、いつも以上に、家の中にくららが溢れています。

涙もつらい涙だけじゃなくて、懐かしい気持ちと温かい気持ちの涙も。くららの感触も。


これが冒頭で書いた耳付き帽子です。
くらら、すごい寝相!