2010年2月19日

雪


昨日また雪が降りました。

あの日1月28日、くららが旅立った日も、夜から初雪が降り、日付が変わるころには積もっていました。
ベランダに出ると、真っ暗で冷え切った外の空気はとても澄んでいて、くららが

「あたち、無事に着いたわよ」

と教えてくれているような気がしました。

そしてまた、何の計算もなく、いろんなことを真っ直ぐに信じていた10代の頃、暮らしていた東北の町を思い出しました。

2月8日にも雪が降り、そして昨日18日にも。

くららは8月生まれ、何か「8」という数字に縁があるのかな。



アトム君のお迎えはパパが行ってくれる、と言っていたのですが、ふと思い立って
身支度をし、いつもの帰り道のルートの途中で隠れて待ち伏せしてみました。

私の姿を見つけてアトムは大興奮、妙にリズミカルな歩き方になり、家に着くまでの約30分間、
ずーっとご機嫌でお話し続けていました。

夜お風呂に入りながら
「アトム君、生まれてきてくれてありがとうね」
と言ったところ

数秒置いた後に
「どういたまして(どういたしまいて)」
と笑顔で返してくれたあと、

「ママ、生まれてきてくれてありがと。」
と言ってくれました。涙がでました。

そしてくららにも、「くらら生まれてきてくれて有難う」を伝えました。

今目の前にある大切なことにもしっかりと目を向けていくこと、くららもそれを望んでいるはず。

そう思える瞬間とまだまだ悲しみが溢れてくる瞬間は入れ替わりにやってきますが
この不安定さを今は自然のものとして受け入れています。

くらら、いろんなことに気がつかせてくれて有難う。
命をかけて、いろんなことをママに教えてくれて有難う。

2010年2月16日

思うままにただ・・・


1回目の救急車の時だったでしょうか、主治医の先生に

「お母さん もしものとき、壊れないか心配。アトム君のママでもあるんだからね。」

と言われました。

「壊れる」・・・・・その意味の捉え方は人それぞれですが、その時私は

「大丈夫です。二人とも同じぐらい大切だし、万が一の事があっても、私は娘を弔っていく責任がありますから壊れません」
と答えました。

でも実際に今になってみて、少し壊れかけてるような自分を感じる時があります。

凄く元気で、泣いたっていい、もう大丈夫、と元気に思える瞬間もたまにありますが、
ほとんどの時間は、自分が思っていたよりも全然大丈夫ではありませんでした。

毎朝、ミルクを作ってくららにあげた後は、
何もする気も起きずにボーっとしているうちに1日が終わることが多くて。

お風呂やお手洗いから慌しく出なくて済むこと、ただそれだけのことが悲しくて涙したり。


アトム君のお迎えに行く道すがら、一人で歩きながら、梅を見つけて、
「春までもう少しだったのに。」と思ったり。

お迎えで保育園に着き、乳児クラスの赤ちゃんたちを見て、
「元気になってたら、くららもこの4月に保育園だったんだなぁ」と。

デパートで見かける可愛い子供服を見かけて、
「元気になってたら、くららにも温かいモコモコのベビー服似合っただろうな」
と、つい何でも関連付けてしまったりして。

人目もはばからずに、予測出来ないタイミングで、涙が出ます。

アトム君は、そんな私を気遣ってくれてか
「ママ、アトム君はくららちゃんが大好きだから、おもちゃ貸してあげるね」
「ママ、クッキー美味しいからくららちゃんにもあげようね」
としきりにくららのことを気にかけてくれます。

頼りないママでごめんね、と、アトムやくららに思いながらも、
でも、こういう状態も時にはアリなんじゃないか、とも思い始めています。

こういう状態を経て、いくつか存分に悲しみや苦しみの次のステップがあって、
色々な思いを感じて、最終的に一皮向けた母親になれたらいいんじゃないかって。



私の弟がメッセージをくれました。

「誰よりも頑張ったくらら。
太く短い人生だったけれど、でも、これほどまでに両親に愛されて幸せな人生だったように思います。
いつか くららに追いついたときに、くららに笑われない人生を僕も送れたら、と思います。」

いつか、ママ、がんばったじゃない、あたち ずっと見てたわよ、ってくららに言って貰えるママに
なれますように。

2010年2月15日

くららちゃん 帰ってこないね

奇跡を最期まで信じていました。少し体重が増えて移植に挑戦できるようになる、医学が進歩して日本にいても何か治療がみつかる、毎日、最期まで本当に信じていました。

自分の命に代えられるなら、是非ともそうしてほしいとも思っていました。

会いたくて会いたくて、何度泣いたら私は現実を受け入れることが出来るようになるんだろうか。
前に進める日って来るんだろうか。


日に何度か、アトム君が

「ママ くららちゃん 帰ってこないね」

と言います。

いつもは、くららはお空に行って、アトムからは見えないけど、くららはいつも見て守ってくれてるよ
と伝えています。

が、今朝は私も

「ほんとだね、いつ帰ってくるんだろうね」

と思わず口から出てしまいました。

帰ってきてほしいです。くらら。

2010年2月12日

仕事

写真は12月中旬のくららです。私をじっと見つめてるくららを姉が撮影してくれました。
私の一番お気に入りの写真です。





上司から連絡があり、3月1日に復職前の面談、3月8日から正式に職場復帰では大丈夫ですか?とのことでした。

大丈夫、、大丈夫と言われれば大丈夫ですし、一方で、
上司と電話で話している間にも、予測しないタイミングで涙が出てしまい、これから先職場で同様のことが
起きたら、と思うと不安もあります。

でも、こうして、パパもアトム君も、そしてくららの姿も見えない家に閉じこもり、現実が覆るんじゃないかと妄想してみたり、あの時もっとこうしていれば、と自分を責めたり、何もせずにボーっとしているよりも、「仕事」で強制的に頭と体を動かすことで時間を流していくのも、ひとつの手段かなと思い、復帰することにしました。

「社会の中での自身の持つ悲しみとの付き合い方は、時間と共に形成されてくるように思います。」

先日なみさんがコメントしてくださったメッセージです。

生涯忘れることも変わることもない今の悲しみと付き合いながらどうやって生きていくのか、時間の流れに身を任せていく中で感じていこうと思います。


復帰してみて、どうしても駄目だったら、仕事どころじゃなかったら、、それはそのときに考えようと思います。

くららの納骨はまだしていません。お墓にくらら一人だったら寂しいんじゃないかという事もありますが、何より私が離れられないからです。

職場に骨壷を持っていくわけにはいかないので、アッシュペンダントを買いました。

いつもどんなときも一緒に。

2010年2月9日

ブログについて・・改めて

病院と自宅が、99%くららの人生での空間でした。

一度くらい連れて行きたかったアトム君の保育園の送り迎えすら、一度も叶いませんでした。

病院の先生と看護師さん、家族以外にはあまりくららを知ってもらう機会がありませんでした。


本当に短い人生でしたけど、くららが生きたその事実を家族以外の人が覚えてくれている、
そのことが、くららを一人の人間として、その存在を認めていただいているようで
ただただ嬉しかったです。
なので、「くららのこと忘れません」というコメントを頂いて、号泣しました。


ブログは、くららの生きた軌跡でもあります。

ブログを開くと、そこにくららの存在を感じることが出来て、今の私には大きな心の支えになっています。
つらい思い出でも、懐かしい良い思いででも、兎に角くららで溢れています。

毎晩夜中のミルク注入の際の時間記録をつけていて、そのついでに、ブログを開いてくららの様子を綴っていたその日々を思い出し、くららがまだいるような錯覚に陥ります。


少しずつ、周りの生活が日常に戻りつつあります。

アトム君は今日から保育園再開です。

パパも忌引きが終わります。

パパもアトム君もいない日中、私はどう過ごすんだろうか。

アトム君の送り迎えにも復活しなくては。

でも、保育園で0歳児クラスの赤ちゃんたちに会う、それだけで、何故だかわからないけど、今は涙が出てしまいます。

そういったことを一つ一つ積み重ねてクリアしていけたら、と思います。


写真は、お正月、私を見上げて手をにぎるくららです。
ちょっとおしゃれをしてヘアバンドをしています。

2010年2月6日

文字にすることの意味




今日は横浜の海辺に行ってきました。

家の中にいても、くららのビデオや写真を見続けて苦しくなってしまい、会いたくて抱っこしたくて、気がおかしくなりそうで。
かといって雑踏の中は、何ヶ月も引きこもって暮らしていた身にとっては、ただただ疲れるばかりで、とにかく自然に触れたかったので。

寒気の澄んだ空気とカモメの鳴き声の中で、海に向かって、パパとアトム君と一緒に
「くらら、会いたいよー。

くらら、どうしてるー。元気なのー。」

と何度も大声で叫びました。

船の汽笛等もあって、大声でくららを呼んでも不審に思われないようで、とにかく気が済むまでくららに話しかけました。

くららが旅立って日も浅いのに、PCに向かってブログを再開したことについて、
「回復が早いね」
と知人からメッセージがありました。


心で想うことに加えて、言葉にしたり、文字にすることで、
くららが旅立ったことが、「現実なんだよ」
と自分に言い聞かせようとしています。

ただ、意味も無く、脈絡も無く、話したり、文字にしている時間を重ねていくうちに、
気づいたらたくさんの時間が流れていて、現実を受け入れることが出来るようになれば、と。

それが「回復」だとすれば、そうなのかも。


眠って起きるたび、「あれっ、くららは?」と
思い、次の瞬間に、鼻の奥のほうがツーンっ痛くなって、
言葉に出来ない悲しみがやってきます。

職業柄、眠っている時間以外、常にPCが立ち上がっているという生活パターンもあり、
PC漬けです。
これまで綴ってきたくらら(ウラン)の生きた証を読み返したり、
改めてくららの病気について詳しく調べたり、
同じ病状の赤ちゃんの海外での心肺移植例を読み漁ったりもしています。
(難しすぎて辞書を引きながら、流し読みですが)

アメリカで生まれていたら、移植という選択肢があったこと。
選択したかどうか、ということよりも、選択肢のある環境に産んであげたかった。

それでまたやりきれなくなってブログを書いたり。


写真は1月15日のくららです。
大好き、くらら。

2010年2月5日

会いたくてたまりません

1週間が経ちました。

何をしていても、これは現実じゃないんじゃないか、と思ってしまいます。

カレンダーには、今日の日付に「11時くらら 外来受診」のメモが。

でも、
今日レンタルしていた介護用ベッド、業者さんが引き取りに来ました。

会社の人事の方からは「1月28日付けで育児休職終わりましたから、復職願い出してください」と電話がありました。

復職できるかどうかも、考えることすら今はまだ出来ません。

急に時間に余裕が出来てしまって、でも気持ちには全然余裕が無くて。

夜、あれだけ忙しくて寝不足がつらかったのに、今は夜が眠れません。

2月1日にくららを見送って、

2月2日の夜から、5ヶ月ぶりにくららのいない夜が訪れました。

どうしよう、全然覚悟が出来ていませんでした。

ずっと、そばにいてくれるものと、希望を持ち続けていました。

この気持ち、どうしたらいいんだろう。